わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

不足感がベースが当たり前だった💦

『与えてもらえない』

『ない』

そんな不足感がベースだった。


だから

『望むことより望まないこと』に

意識がいってたんだと思う。


だって『与えてもらえない』がベースだもん。

『与えてもらえる』という望む状態より

『与えてもらえない』という

望まない状態の方に意識がいってた。


不足がベース、望まない状態にいる自分がベース。


『与えてもらえない』不足の自分であるために

そういう自分であるという証拠を見つけて

自覚してたんだと思う。


『与えてもらえる自分はおかしくて』

『与えてもらえない自分が普通』だから

そのベース(いわゆる観念)に沿って

『与えてもらえない』に意識を向けて

『与えてもらえない自分』を自覚してた。


ほんとにベース(観念)のまんまだよね。


常にベース(観念)に沿って

『与えてもらえない私』

『不足を感じる私』でいたと思う。



『望むものが手に入ってない』

そこに意識を向けていた以上、

『与えてもらえない自分』っていう

ベース、根本的な土台、観念を

私は[補強し続けていた]ことになるんだよね。


「ほら、やっぱり与えてもらえない」

「私にだけない」

「なんでないんだろう?」


そう思う証拠を探すことで[補強]してた。


『与えてもらえない証拠』を探すことで

『与えてもらえない自分』を確信して


『与えてもらえる自分になるために』

『一生懸命自分にダメ出しをして』

『至らないところを見つけて』

『自分を変える私』


そんな私になってた。


そんな自分を叶えてたと思う。



『与えてもらえない』が嫌で

『与えてもらえる私』になりたかったのは

本当だけど


元々ある土台が

『与えてもらえない自分』で

『そんな自分はダメ、変えなきゃ』

そんな風に思っていたら


《望まないことを見て、自分を変える》


それを繰り返すのは当たり前だった。



<当たり前>


当たり前だったからこそ気づかなかった。

それが普通だったからこそ分からなかった。

自分の土台にあった

『与えてもらえない』『ない』という不足感。

『与えてもらえる自分になるために

自分を変えなくちゃいけない』という

健気な想い。


望むものを得るためには

望まないことを見て自分を変えるのではなく

望むものを見ることなんよね。

意識を向けたそれが来るから。


でも、望まないことを見ることが

あまりにも当たり前すぎて

望むものを見てるつもりが

望まないものを見てる時間の方が

圧倒的に多かった。


そりゃ現象変わらないわ。


変わってることより

変わってないことに意識を向けてる。

望んでることより

望んでないことに意識を向けてる。


そうして感じる不満が

また不満を感じる現象を連れてくる。


不足感を感じることを

私はちゃんと叶えてたんだ。

エゴに呑まれて気付いたこと③

エゴに呑まれたことで


①いい気分を感じてるのに現象が変わらない

そんな不満を持っていて

いい気分でいる時間より

不満を感じてる時間の方が長かったこと


②望まないものを取り除くことが

望む景色を見ることになると思って

望まないものを無くそうと必死になっていたけど

望まないものに意識を向けることで

『望まない景色を見てる自分はダメ』

『この私では叶わない』

『変わらなくては』

そんな思いを強くしていたこと


そういうことに気がついたわたくし。


いずれにしても、何にしても

望む景色を見れてないことに対する不満で

心の中はいっぱいだったと思った。


そして

③そういう自分のことを

無意識のうちに責めまくっていた。


あじゃないからダメなんだ

こうじゃないからいけないんだ

もっとこうしなきゃ

もっとああしなきゃ

こうならなくちゃいけない

こういう態度をとらなくちゃいけない

これではダメだ

何で私はこうなんだ

あの子のようにならなきゃ

あの人のように振る舞わなきゃ

こんなんじゃダメ

ほら、全然景色変わってないじゃん

このままでは叶わないよ

どうするの?

もっと頑張らなきゃ

ちゃんと変わらなきゃ

こうならなきゃ

ああならなきゃ・・・


そんなことをどれだけ思ってきただろう。


そうやって、自分のことをたくさん責め立ててたことを自覚した。


責めることや否定することから

なかなか脱することができない。


それだけ否定が『当たり前』だったからだろうか。


『自分どうしたい?何がいい?』って

聞ける自分になってはいたけれど

その何倍も、何十倍も

私は私を責めてた。


ものすごく煽ってたなと思う。

自分を鼓舞して

無理矢理やらせてたこともたくさん。


本当はこうしたいのに、こう在りたいのに

ねじ伏せて押さえつけてた。


それは全部

望む景色をみるためだった。


望む景色を見れてない今の自分ではいけない。


そうじゃない自分にならなくちゃと必死だったんだと思う。


自分とは違う人が

私が欲しいものを手にしている。


『私もその人のようになれば受け取れるのかな』


そんな風に感じてた気がする。

それも、うんと小さい頃から感じてた気がする。


幼い頃から、周りに対して

「いいなー」と思ってたことがたくさんあった。

いつも周りが羨ましかった。

「私にはない」

「私も欲しい」

「今の私にはない。じゃあ、どうなったら貰えるんだろう?あの子のようになったら貰えるの?」


私は、ただただ、欲しいものが欲しくて

それを手に入れられる私になりたくて

頑張って自分を変えようとしてきた。


欲しいものを与えてもらえる

そんな私になりたかった。

心の中はいつも

『与えてもらえない』『ない』という不足感で

いっぱいだったんだね。


それは今もきっと変わってない。


根底にあるのは

『与えてもらえない自分』

私にはない。与えてもらえない。

このままでは叶わない。


今の私のままでは受け取れない。

与えてもらえない自分はダメなんだ。

このままではいけない。


私が悪いから与えてもらえないんだ。

貰いたいなら変わらなきゃ。


根底にあるのが

『与えてもらえない自分』『ない自分』で

『そんな私を否定して』

『変えなくちゃ』と思っていたら


【現象は内面の投影】。


『与えてもらえない』自分

『ない』自分を繰り返して

『そんな私を否定して』

『変えなくちゃ』と思う現象を見るのは


当たり前のことだった。

エゴに呑まれて気付いたこと②

エゴに呑まれたことで

いい気分でいた時間より

『いい気分でいたのに現象が変わらない』

そのことに対する不満を

たくさん感じてたことに気が付いたわたくし。


もうひとつ気がついたのは


私はどうしても

『私以外の何かになろうとしてる』

ということ。


身近におしとやかなタイプがいれば

そうなろうとする。


元気な人がいれば

それを取り入れようとする。


本当はお喋りが好きなのに

大人しい人の方が好かれてると感じたら

喋ることを封印しようとする。


そうやって私は

私ではない何かに変わろうとしてる。


そう、好かれたいから。


私は、いまの私、本来の私では

好かれないと感じているんだよね。


お喋りが好きだけど

「うるさいと思われてるかも」

と勝手に推測して黙ったり


あまり喋らない人の方が話しかけられてたら

「私も気にかけてもらいたい」

と思って大人しくしてみたり


常に周りを見て

『何か』に変わろうとしてる。


いまのままの自分を許せない。

ありのままの私では愛されないと感じてる。


だからいつも

私は何かにつけ一生懸命、必死。

素の自分では愛されないと思ってるから

周りがどのように反応してるかにすごく敏感。


『私は愛されない』

『好かれない』

『嫌われる』


そう思ってるから

そう感じ取れる証拠ばかり

現象に探してる。


例えば、私と楽しく話してくれる人もいるのに

私はそれは見てない。カウントしてない。


「あの人は、この人と私とでは態度が違うな。

私の何がいけないんだろう?」


そんな事ばかり考えてる。


いまの自分や状況に不満で

ダメな証拠ばかり意識して拾ってるんだから

いくら現象が過ぎていったって

『不満を感じるもの』が繰り返されるのは

当たり前なんだよね。



考えてみれば

褒めてもらえたり、心配してもらえたり、

良いこともたくさんある。


私が感じてきたいい気分は

確実に

『いい気分になる現象』を連れてきてくれてる。


でも私は

そっちじゃなくて


『嫌な気分になること』

『不満に感じること』


そういうのばかり見てた。


なぜか『望んでること』とは違う

『望まないこと』ばかりに目を向けて

『望まないこと』を意識に入れて

その数だけを数えてた。

そして、その数を減らすことに躍起になってた。


『いまの自分で

そういう望まないことが起きているということは』

⬇️

『いまの自分ではダメなんだ』

『いまの自分を改めなくてはいけないんだ』

⬇️

『望む景色をみるためには

いまの私ではダメなんだ!!!』


そんな思考回路になってたと思う。


だから私は、いつも一生懸命

『望む景色をみるために』

それを邪魔してる『不快なこと』を探して

『いまの自分ではダメなんだ』

という思いを強固にして

『私じゃない何か』

『私じゃない誰か他の人』に

なろうとしてたと思う。


そうやって、

『いまの自分ではダメなんだ』

という思いを土台にして

自分を苦しめて、痛め付けて、傷付けて、

否定し続けてきた。


でも、それは『望む景色をみるため』なんよね。


結果的には

『ダメなんだ』という思いは

『ダメなんだ』と感じる現象を招いていたけど


望まないものを徹底的に排除することこそが

望む景色をみることだと思って一生懸命だった。


やり方は間違っていたかもしれないけど、

私は、私が望んでる景色を、私に見せようとしてた。


私のことを想って、愛していたんだなって思う。

エゴに呑まれて気付いたこと①

今日はエゴに完全に呑み込まれた💦


こんなイライラ&不快感は久しぶり(>_<)


どんな時も気持ちを切り替えてきたのに

今日は涙が出た💧


『一緒にいたいだけなのに

どうしてそれが叶わないの?

いい気分になってたけど全然じゃん!

なにも変わんないじゃん!

本願も叶わない、人間関係も最悪!!

もうイヤ!もうイヤ!!もうイヤ!!!

こんな景色みたくない!

早く望むものに変わってよ!!

寂しい、寂しい、寂しい!

辛い、辛い、辛い!

心が痛い!もう嫌だ!!』


そんな気持ちでいっぱいになった。


エゴの抵抗は

何かしらの変化が来てるからだと思ってる。

でも

今日のエゴの大暴れは

『どんなにいい気分でいても

根底には不満が溜まってたんだ』

ってことを感じるものだった。


いい気分になってたのは本当。

だけど

いい気分になりながら現象をチラ見して


『いい気分になってるのに変わらない』

『いい気分になってるのに思うように行かない』

『いつになったら変わるの?』


そういう不満でいっぱいだったと思う。


いい気分でいた時間より

現象が変わらないことに対する不満を感じてた時間の方が

きっとずっと長かった。


だからこんな現象見てるんだって

そう思った。

久々に騒いだエゴっち

なんか知らんけど

ザワザワとイヤ~な気分になった1日。

朝は良かったんだけど

だんだん曇っていっちゃった。


でも、何度となく繰り返してきたおかげで

いい加減

「あ、エゴが騒ぎだした」

と分かるようになった。


昔は

「何でこんなに不安になるんだろ?」

「私、何か間違ってるんじゃないかな」

というように

自分に何かしらの落ち度があって

そのせいで不快な気分になってると思ってた。


だけど、そうじゃない。


襲ってくる不快な気分はエゴの抵抗。


何か新しいことが身に付いてきて

それがエゴっちにとっては不快なことだから

それが身に付かないように

放り出してしまうように罠を仕掛けてきている。

それが不快な気分の正体。


今はそう思ってる。


といっても

ざわつき始めは特にエゴの力が強くて

抵抗し始めたと感じる余裕は全くない。


けど、とにかく不快だから

何でこんなに不快なんだろうと

突き詰めていってると

あるところでふと

「あ、エゴの仕業か」って思う時が来る。


『ってことはよ?

エゴにとって不都合な何かが

エゴに取って変わろうとしてるんじゃない?』


『何かがこれまでと変わろうとしてる。

それは、良いことなんじゃない?』


そう切り替えられるようになった。


以前の私にとって、エゴの大騒ぎは

「何かが間違ってるサイン」だった。

でも今は「前進してるサイン」だと思ってる。


今から思えば

潜在意識に取り組み始めた頃、

縦長の手帳サイズのノートに

気持ちをバーッと書き出すことをしてたんだけど

ちょくちょく
放り出したくなる気持ちになってたのは、

まさにあれ、エゴの抵抗だったんだと思う。


イラーッとしても、

もうイヤって思っても、

取り組み直してたらその度に

必ず何か突き抜けるものがあった。


不快→向き合い直す→何かをつかむ

それを何回も繰り返してきた。

それはつまり、その度に

そこに留まらせようとするエゴの抵抗を
越えてきたってこと。


私は確実に前進してきたんだね。


そして今日も私は、エゴの抵抗をひとつ越えた。

きっと何かしらを得たんだと思う。


前進したんだと信じる(^^)

今日から8月✨

もう8月かぁ~早いなぁ☀️


今月は

毎瞬自分を心地よくしてあげることを

もっともっと深めていきたいと思ってる♪


7月は

あらゆる時間を自分のものとして

自由に動くことが出来た1ヶ月だった。


食べたいものを食べて

寝たい時に寝る😊


それだけのことでも

私の人生の中ではホントに

初めての自由な、

自分だけの自由な時間の暮らしだった🤗


今月は、その自由さを充足させるのが目標✨


健康や美に意識を向けて取り組んだり

知識欲を満たしてあげたり


なんていうのかなぁ~。

自由な時間の質を上げるっていうのかな。


先月は、自由な時間を

ただ流すように堪能してて

それはそれで心地よかったからいいんだけど


今月はその時間を

もっともっと実りあるものにしたくなった✨


例えば、ハンバーガーは美味しいけど♡

毎日食べてたら飽きるし、体にもよくない💧

それより、野菜、果物、穀物

色々食べてあげるほうが

食の楽しみも増えるし、体にもイイじゃない?


寝たい時に寝るのも大事だけど

眠くても

「これを勉強したい、知りたい!」って

思えることを見つけて取り組むとか


そんなに眠いなら

睡眠時間をもっと良いものにするとか


食べたいものを食べるのもオッケーだけど

「最近野菜不足だ」と思うなら

野菜炒めやサラダを作って食べるとか


なんか、そういう風に

同じことでも

より良いものを自分に与えていける

そんな1ヶ月にしたいんだよね。


そんな毎日を楽しみたい(*^^*)


なんかちょっとワクワクする♡


自分のことを幸せに出来るのは私だけ✨


うーんと幸せにしてあげちゃおう(*≧∀≦*)

7月終わり✨

この7月は、初めて、

本当に初めて

あらゆることを自由にやった1ヶ月だった。


例えば

食べたいものを食べたい時に食べること🍴


それは、食べる時間を誰かに合わせることもなく

食べたいものや食べたくないものを我慢することもなく

本当に自分の意思と自分の時間で

「食べること」を楽しむことだった。


ガッツリ食べたい時は食べた。

そんなに要らないなって時は控えめにした。

ご飯が食べたければ食べたし

麺類がよければ麺類にした。

帰ってすぐ食べようが

お風呂上がりに食べようが

全て自由。


幸せだった。

ラクだったね。


寝たい時に寝て、食べたいものを食べて、

見たいものを見て、聞きたいものを聞いて、

行きたいところに行き、買いたいものを買い、

仕事でも

自分の心地よさを最優先に考えてやっていた。


自分を縛るものが少ない時間。


これまで、どれだけのポイントで

どれだけの我慢をしてきたのだろうと

改めて感じずにはいられなかったね。


そう言う意味でも、この7月は

新しい自分に挑戦した

そんな1ヶ月だったな😊

ラッキー&セーフ✨な話

突然

「買い物に行く前に、眼鏡の調整にいこ~♪」

って思い立ったわたくし。


以前は自分の気持ちが分からなかったけど

最近は自分の気持ち

「どうしたい?」を気にして

優先するようになっていたから

自分の気持ちに従わないと

もう気持ち悪いのよね💧


それで、行きたいって気持ちのまま

行きつけの眼鏡店に行ったは良いけど


受け付け表に記載したあとに携帯開いたら


ホーム画面のメモに

『歯科予約』の文字が!!


予約してたことを完全に忘れてた~!!!


でも☆そこからがラッキーだと思ったんだけど♪


行きつけの眼鏡屋さんと

かかりつけの歯医者さんは

10分も離れていない所にあって

気付いた時間は遅かったけど

「ここからなら全然間に合う!!!」

って感じだったのね。


もし

「眼鏡の調整に行きたい~」

って気持ちを無視して買い物に行ってたら

携帯は開かなかったかもしれない。


携帯を見たとしても

見た時間によっては

間に合ってなかったかもしれない💦


めっちゃラッキー&セーフ✨な話だった🎵


しかも、眼鏡店から道路に出た時、

目の前の車が7777✨✨✨✨


私のラッキーナンバー7が

4つも並んで目の前に現れた🍀


どんなに交通量が多いところを走っていても

そんなに見れない7の4桁なのに

そのタイミングで見れたもんだから


「なんか知らんけどこれでイイんだ♡」

「完璧なんだ♡」


そう確信(*^^*)✨


眼鏡の方は

どうしても行きたいと思ったから

歯医者さんの帰りに立ち寄った☺️


そのあと買い物に行って

その時なんとなく

「7777もう一回見たいなぁ」

って思ったんだけど


帰るまでの15分ほどの間に

7777のトラックをホントに見ることができて

「あっ、きた✨」って嬉しくなった♪


そしたら、なんか今日、仕事で少し

落ち込み気味になってたんだけど

その出来事に関しても

これまで浮かばなかった事が浮かんできて


「私が決めた通りになるんだから

好きに意味付けしていこう✨

その世界にシフトしたらいいんだ🎵

面白い、楽しい、これがイイ✨

そう思ったものを遠慮なくドンドン

打ち出していこう!!」って


強烈にそう感じた(* ̄∇ ̄*)


今日のラッキー&セーフ✨な出来事は

これに気付く為のステップだったのかな~☺️


なんだか気持ちが軽くなった(*^.^*)

彩雲を見た♡

昨日は仕事帰り

あちこち回って買い物をしてた。


何件目かのお店で買い物を済ませ

駐車場に出て

なんとなく西の空を見上げたら


短く縦状に

雲に虹が出ているのを発見🌈


「彩雲だ~~!!」


うまく写真とれなかったけど

すごくキレイだった✨


虹って「わーっ💖」ってなるよね😆


あの時間、あの瞬間

たまたま外に出て

たまたま空を見上げたから見れた景色♡


もしかしたら

彩雲に呼ばれたのかもしれない☺️


彩雲って、幸運の証なんだよね🍀

よくある気象現象みたいだけど、

それに気づく人ばっかりじゃない。


やっぱり、気づいた、それを見たっていうのは
意味があると思う✨


私はなんか

「イイ感じよ」って言われてる気がして

嬉しかった(* ̄∇ ̄*)


やっぱり私

いまのこの感じでオッケーなんだ👌


自分にアマアマで

自分褒めまくって

望むことをイメージしてエヘッ♡ってなってる

そんな私でオッケーなんだね✨


そう思うからそうなる♪


今日もそんな私で楽しくいこ~☺️

自分にアマアマ(笑)

好きなものを買ってあげたり

好きなものを食べたり

「どれがいい?何がいい?」

って、決めきれなかったらトコトン付き合うし

めっちゃ自分にアマアマな私になった(笑)


喋りたかったら喋るし

寝たかったら寝るし

やりたかったらやるし

やりたくないことは

自分の中で競争にしたり

なんとか自分が楽しめるように工夫する。


それは

自分のことを一番に考えるようになった

私の姿(^^)


今日は朝から髪型を褒められた♡

楽しい話もできた♡

77の車をたくさんみた✨

777の車もも見た♪

こんなにたくさんの77を見ることは

久しくなかったし


なんだか色んなことが

こんなアマアマでオッケーっていうメッセージを

送ってくれてるような


そんな気がする☺️

もっと細かく自分を見よう☆

自分の幸せや心地よさを意識してはいたんだけど、

昨日感じた気持ちについて色々考えていたら

『私が意識していた幸せや心地よさって、
すごく対外的で、大まかなことだったんだな』

ってことをすごく思った。


例えば

晩御飯やデザートを好きなものにする♡

キレイにメイクして、髪型にもこだわる♡

眠いと感じたら寝る♡


そういうのでイイ気分になることが多くて

もちろんそれもすごく大事なことなんだけど


もっと身近な自分の心が

「してほしい」と思ったことを

その都度してあげること。

それこそ最も大事なことなんじゃないかって

そう思った。


もちろん、食べたいものを食べるとか

寝たいから寝るとか、

そういうのも、その都度私が

「してほしい」と感じたことを叶えていること。


だから大事なことなんだけど、

もっと日常的っていうのかな。


褒めてほしいなぁ

⇒褒めてあげる✨

こういう私って凄いよね?

⇒凄いって認める✨

羨ましいなぁ

⇒じゃあ私もそれを叶えよう✨


そういう風に

もっと自分の、その時その時の心に敏感になって

望んでることを受け取って叶えてあげる。


それが最も大事なことで

それこそが

私が求めていた幸せや

心地よさなんじゃないかって

そう思った。


それをする為に必要なのは

もっと自分に意識を向けること。


何を思っているのか、

どんなことを感じているのか、

気付いて、察して、受け取ってあげること。


その為には、もっと細かく自分を見てあげること。


細かく自分を見て、

抱えてる色んな気持ち、想い、望みに敏感になって

気がついてあげること。


それが大事なんじゃないかって感じた。



もっともっと、

もっと自分に集中してみようと思う✨


何を考えているのか、感じているのか

何を求め、どうしてほしいと思っているのか


どうなったら良いなと感じているのか


もっともっと、もっと自分を見て、気が付いて、

出来ることは全て叶えてあげようと思う✨

私が私の望んでる反応をしていなかった

昨日、色々あれこれ考えて

結果気が付いたことがあったんだけど

何に気がついたのか忘れてしまった(笑)


「そっか」って思って

「ブログにはこんな風に書こう」って

文章も一部考えていた記憶はあるのに

肝心の内容をぜんっぜん覚えてない( ̄▽ ̄;)


ただ、周りに対して

私の思う反応をしてほしいって思うのは


私が私の思う反応をしていなくて

それが不満だから

周りを何とかすることで(変えることで)

満足しようとしているからでは?


そう思ったことは覚えてる。


そこから考えるに、


例えば、嬉しいとき。

誤魔化さずに素直に喜んでいたか?

「◯◯してほしい」と思ったとき。

それをストレートに叶えてあげていたか?


なんの条件もなく喜び

なんの条件もなく叶え

なんの条件もなく認め

なんの条件もなく満足する。


それを私がしていなかったから

周りにそれをしてもらおうと思っていた、

そんな風を考えていたのではないかと思う。


でも、現象は内面の投影。


私が私の望む反応をしてあげてなきゃ、

周りはそういう反応をしてくれない。


私が私の望む反応をしていないから不満で

それを他の人で満たしてもらおうとするけと

周りにどんなに要求したって

私が私を満たしていないんだから

投影の世界で私が満たされることなど

あるわけがない。


素直に喜び、素直に怒り、

素直に悲しみ、素直に楽しむ。


誰かと比べて、条件付きで褒めるのではなく

ありのままの自分単体で、素直に褒める。

誰かと比べて、条件付きで褒めるのではなく

ありのままの自分単体で、素直に認める。


誰かを褒めないと

自分を褒めてはいけないとか思ってた。


自分より出来る人がいるのに

いまの自分を褒めたり

いまの自分で納得したりするのは

傲慢で良くないことだと思ってた。


でも、私には私の心があって、想いがあって

それが投影されて、その中で生きている以上、

いまの自分を褒めるのも

いまの自分を認めるのも

いまの自分に納得するのも

傲慢なことではない。


むしろ、生きたい世界を生きる上では
当たり前のこと。


いま自分の中にある想い、

褒められたい、認められたい、納得されたい。

喜びたい、楽しみたい、笑いたい。

嬉しい、楽しい、悲しい、寂しい。


すべてを素直に感じて欲しい。

ひねくれず、こねくりまわさず、

素直に感じて表現して欲しい。

分かって欲しい。

ずっとそう思ってた気がする。

周りにも、ちゃんと伝えてほしいって

そう思ってた気がする。


そういう私の望みを

私は叶えてあげていなかった。

気付いてあげてすらなかった。


これからは、もっと素直に

私が望んでる反応をしてあげよう。

喜びも、楽しみも、怒りも、悲しさも

押さえつけず誤魔化さず

素直に感じて分かってあげよう。

理解してあげよう。


良いことも悪いことも

嬉しいことも悲しいことも

私は分かって欲しかった。


イイと思うところは認めて欲しかったし

嬉しい時は周りなんか気にせず喜んでほしかった。


周りに対して表現することなんてない。

周りに分かってもらう必要なんてない。


ただ私は、私の気持ちを押さえつけずに

ねじ伏せずに

私自身に感じて、分かって欲しかった。


全ていまここから、叶えてあげよう。

満たされていない証

自分の思うような反応を周りがしてくれない時とか

あまり絡んで話してくれない時とか

イラッとして、ふてがちになるわたくし。


特別感が欲しい。


その欲求がすごく強い。


だから、私じゃない誰かと話してるとか
私とたくさん話してた人が他の人とも話してるとか

そういうの見るとイラッとするのね。

「私は?!」みたいな。

置いてけぼり感とか、疎外感に近いかな。

独占欲が強いとも言えるね。


他の人と話をされて、
私のことを忘れたり、私への興味が薄れたり、
私のことがどうでもよくなったり、

そうなることがすごく嫌、怖い。

ホントに小さな子供みたいな反応なんだけど

私と楽しく話してるけど
それは私とだけじゃないんだと感じた時の
あの気持ちは

本当に悲しくて、悔しくて、寂しくて

本当になんとも言えない。


「私だけじゃないんだ」っていうのは
ほんっとうに寂しいのよね。


それで周りの気を引きたくなって
無茶ぶりをしたり、突っかかってみたり。

でも、それで周りが構ってくれたとしても
それは一時のこと。

一時の会話では満たされないから
また無茶ぶりをしたり、突っかかってみたり。

繰り返す。


でも、やっぱり構って欲しくてやる行動。
不満が発端だから
相手から思うような反応があっても満たされないし、なければないで、余計寂しさが増して、不満が蓄積して、イライラする羽目になる。


構って欲しい、大事にして欲しい。

相手して欲しいだけなのにね。


「特別感が欲しい」っていうのも

自分は忘れられない存在で、
置いていかれない存在で、
大事にしてもらえる存在で、
ちゃんと考えてもらえてる存在で...

そんな確信がほしいってことだと思うんだ。


『周りにとって自分はどういう存在なのか』

そんな不安がずっとあるんだと思う。

本当に長いこと

周りの目
周りの声
周りの顔色

そういうのを気にして生きてきた。

周りの目
周りの声
周りの顔色
周りの反応
周りの態度

そういうので
『今の自分はどうなのか』を考えて

周りに合わせて
その時の周りにふさわしい私に衣替えして
対応して生きてきた。


周りの反応がよければイイ私、
そうでなければよくない私。


暗雲が立ち込めてきたと思ったら
ふざけてみたり、おどけてみたりした。

その場に必要なものを察知して
自分の気持ちは二の次にしてやってきた。

周りに合わせて
その都度色んな自分を演じて

周りが相手してくれたら良い自分。


全てが周り基準だった。


現象の始まりは自分だって言ってても
すぐ周りの反応(現象)を気にするクセが強いのは

相手の反応を見て、自分の立場や立ち位置を確認するのが、本当に常だったから。

命綱といっても過言ではない。

誰かや何かが求めるそれになることで
必要とされてる自分を感じて
ギリギリのところで自分を許して来たのだと思う。


でもそれは、誰かや何かを
いつも気にしなくてはならない自分。

自分の在りたい自分になるために
誰かや何かに、自分の思うように動いてもらわなければならない自分。


自分のあり方を決めるのは周りだから
周りを何とかしようとする。


私が他人に求めるものが強くある時、
それは

私の在り方に、私が満足していない時、
本当は他の在り方をしたいと思ってるから
周りを変えたくなってる時、

ということなのかもしれない。

「単純に褒めれば良いんだ!!」

仕事をしていて思ったこと。


一緒に仕事してる人で、
すごくミスが多い人がいるんだけど

ミスが多い上、段取りがうまくないのか
そのやり方になって2ヶ月以上経つのに
何故かその人だけ手際が悪くて

コンビを組むと正直困る💧


今日はその人と
コンビだったんだけど

その人の手際を見ていると
ほんっとに「2ヶ月何してたんだろ」
っていう感じで

はっきり言って「下手だなぁ」と思った。


「この人に比べたら、私はミスもないし、
手際も良い。全然仕事出来てるわ」


そう感じてる自分に気が付いた時
ハッとした。


『それって比較しなくても
認めて良いことなんじゃないの?』


唐突にそう思った。


"あの人に比べて私は出来てる"

"なんでそんなやり方なんだろ"

そんな風に言いたい時

私は

「私はこうなのに」って

自分のことを褒めたいんだと思う。


例えば、今回の事だったら

「この人はホントに手際が悪いな」って言いたい

イコール

「私は手際が良いと思ってる」

ってことだから

「この人はホントに手際が悪いな。
それに比べて私は手際が良いな」

って褒め方をするんじゃなくて

「私はホントに手際よく出来てるんだなぁ」

って、単純に、純粋に、自分のことを褒める。

比較も何も要らない。


単純に、純粋に、自分のことを褒める。


それで良いんじゃないかって思った。


誰かをけなしたり、落としたりしなくても

私は私のことを褒めて良い、認めて良い。


「あの人はこう」
なんて証拠はいらないんだと思った。


周りがなんであれ、どうであれ、

私は私のすごいと思うところを

自分で認めて褒めて良い。

そう感じた。


そしたら、1つ芋づる式に解けたことがあった。


この手際が悪くてミスをする女性は
一見クールなんだけどぶりっ子なところがあって
「なんだか気持ち悪いな」と思ってた。

くすんだ顔色、小さい声、どんよりした雰囲気。
時々「死神か」と、ぶっちゃけ思う時があった。

でも、ミスは庇われるし、
ミスをして謝らなくても誰も何も言わないし

何故か可愛がられるんよね。

私はそれが気に入らなかった。
私も可愛がられたいと思ってた。

でも、何故かその人のような扱いはされず
寂しい思いをしてた。


その思いの裏にあったのは

「私は手際がよくてミスもしない、二面性もない。メイクもキレイにしてるし、声もはっきり出すようにしてるし、相手の気分を明るく出来るように心がけてる。ミスをした時はちゃんと謝ってる」

⬇️

『それなのにどうして私は可愛がってもらえないんだ!大切にしてもらえないんだ!あの人より私の方が頑張ってる、凄いじゃかいか!それなのになんで私は大事にしてもらえないんだ!』

っていう不満だったんよね。


『私は可愛がられて当たり前のはずなのに』

『手際がよくてミスもしない私が可愛がられないのは何故?』


そう思ってたんだけど

「可愛がられる」とか
「大切にしてもらえてる」とか
そう感じたいのは結局

「手際がよくてミスもしなくて...」

そんな自分を
周りの人に認めて欲しいと思ってるからなんよね。


『そんな素敵な自分が愛されないのは何でなんだろう?この人より愛されないのは何でなんだろう?』

私は、素敵な自分を認めて欲しかった。
凄いねって褒めて欲しかったんだと思った。


でも、そうならなかった。
いつも不満だった。


答えは簡単。
自分で自分を認めていないから。
誰かと比較した上でしか
自分のことを凄いと思っていなかったから。

比較した上でしか成り立っていない承認。

私は凄いんだってことを
本当には認めることができていない。

だから、世界は望むそれを
私に与えてくれなかった。


現実は内面の投影。


私が私を凄いと認めず、褒めもせずだから

認められない、褒められない。


褒めていないから、褒められない。
認めていないから、認められない。

単純な話。

自分単体では自分を認められない私が
ミスが多いあの人を比較対象にして
自分を認め、褒めていた。

でも、それは結局

「自分を褒めているのではなく
相手をけなしてるだけ」

だったのだと思う。

だから、ずっと内面は満たされなかった。
それゆえに、不満を感じる現象が
ずっと続いていたんだと思う。


私は、誰かや何かと比較して自分を認めたり、
褒めたりすることを、もう止めた!

もっと単純に、純粋に
良いなと思うところ、凄いと感じるところを、
自分単体で認めまくる、褒めまくる!


それについては、誰の許可も要らない✨

だって私のことだもん🎵

私だけが理解して、納得していればそれでイイ✨


自分をたくさん満足させてあげよう!!

今日の幸せ🍀

「イメチェンを見て欲しいから
こういうシチュエーションがいいな」

って、昨日からそう思ってた。

そしたら朝、思ってた以上の状況が整って
見てもらいたい人に
イメチェンを見てもらうことが出来た✨

すごく良いタイミングだったんだ~

もうめっちゃ嬉しかった(*^^*)

いつもはそっけない人が返事をくれたり♪
妄想に爆走してドキドキしたり♡
「こういう扱いをしてほしいな」って思ってた扱いをしてもらえて「そうそうこの感じ~⤴️」ってすごく嬉しくなったり

なんかいい1日だったなぁ~って思う(* ̄∇ ̄*)

なんなんだろうなぁ~

買い物出来たこと
ご飯があること
飲み物があること
エアコンがきいて涼しいこと
ドライヤー、鏡、コテ、化粧水、美容クリーム...

なんか、あらゆるものがあることが有り難くて
幸せだなぁっていう気持ちでいっぱい(*^^*)