わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

満たされていない証

自分の思うような反応を周りがしてくれない時とか

あまり絡んで話してくれない時とか

イラッとして、ふてがちになるわたくし。


特別感が欲しい。


その欲求がすごく強い。


だから、私じゃない誰かと話してるとか
私とたくさん話してた人が他の人とも話してるとか

そういうの見るとイラッとするのね。

「私は?!」みたいな。

置いてけぼり感とか、疎外感に近いかな。

独占欲が強いとも言えるね。


他の人と話をされて、
私のことを忘れたり、私への興味が薄れたり、
私のことがどうでもよくなったり、

そうなることがすごく嫌、怖い。

ホントに小さな子供みたいな反応なんだけど

私と楽しく話してるけど
それは私とだけじゃないんだと感じた時の
あの気持ちは

本当に悲しくて、悔しくて、寂しくて

本当になんとも言えない。


「私だけじゃないんだ」っていうのは
ほんっとうに寂しいのよね。


それで周りの気を引きたくなって
無茶ぶりをしたり、突っかかってみたり。

でも、それで周りが構ってくれたとしても
それは一時のこと。

一時の会話では満たされないから
また無茶ぶりをしたり、突っかかってみたり。

繰り返す。


でも、やっぱり構って欲しくてやる行動。
不満が発端だから
相手から思うような反応があっても満たされないし、なければないで、余計寂しさが増して、不満が蓄積して、イライラする羽目になる。


構って欲しい、大事にして欲しい。

相手して欲しいだけなのにね。


「特別感が欲しい」っていうのも

自分は忘れられない存在で、
置いていかれない存在で、
大事にしてもらえる存在で、
ちゃんと考えてもらえてる存在で...

そんな確信がほしいってことだと思うんだ。


『周りにとって自分はどういう存在なのか』

そんな不安がずっとあるんだと思う。

本当に長いこと

周りの目
周りの声
周りの顔色

そういうのを気にして生きてきた。

周りの目
周りの声
周りの顔色
周りの反応
周りの態度

そういうので
『今の自分はどうなのか』を考えて

周りに合わせて
その時の周りにふさわしい私に衣替えして
対応して生きてきた。


周りの反応がよければイイ私、
そうでなければよくない私。


暗雲が立ち込めてきたと思ったら
ふざけてみたり、おどけてみたりした。

その場に必要なものを察知して
自分の気持ちは二の次にしてやってきた。

周りに合わせて
その都度色んな自分を演じて

周りが相手してくれたら良い自分。


全てが周り基準だった。


現象の始まりは自分だって言ってても
すぐ周りの反応(現象)を気にするクセが強いのは

相手の反応を見て、自分の立場や立ち位置を確認するのが、本当に常だったから。

命綱といっても過言ではない。

誰かや何かが求めるそれになることで
必要とされてる自分を感じて
ギリギリのところで自分を許して来たのだと思う。


でもそれは、誰かや何かを
いつも気にしなくてはならない自分。

自分の在りたい自分になるために
誰かや何かに、自分の思うように動いてもらわなければならない自分。


自分のあり方を決めるのは周りだから
周りを何とかしようとする。


私が他人に求めるものが強くある時、
それは

私の在り方に、私が満足していない時、
本当は他の在り方をしたいと思ってるから
周りを変えたくなってる時、

ということなのかもしれない。