わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

アファメーションの現実化②

前回の続きです。


そんな感じで、褒めちぎりながら遊んでたんですよね。3日間くらいかな。

そしたら突然、周りが褒めだしたんです。ほんとに突然。冗談でも大袈裟でもなく。

今の職場、あまり褒め言葉とか出ないんですけど、「さすが~」とか「すごい」とか、私がアファメーションしてる言葉を、そのまま周りが言ってくるようになったんです👏

最初は「珍しい」くらいにしか思ってなかったんですが、これが日をまたいだことで「アファメーションの効果かも」と気付いたんですね。


その数日後のことです。

仕事で結構活躍したんですね私(自分でいうw)

たまたま人手が足りなかったんですけど、結構な業務を1人で請け負いまして、その中でも些細なことに気付くなどしてフル回転してました。

もちろん周囲の助けもありましたが、いつもとは全然違う状態です💦
夕方はもう頭が働かず、いつもやってる簡単な計算が出来なかったり、仕事帰りの買い物でもトチったりして、疲労を感じずにはいられませんでした(^^;

でも、それもアファメーション通りだなと思ったんですよね🤔

結構な業務に追われてたんですが、バタバタしながらも冷静に、優先順位つけながらこなしてる自分がいたんですよ✍️
なので、いちいち「私って思ってたより全然仕事できてる。すごい」と感じてたんです。

つまり、
意識してアファメーションしなくても常に

「私ってすごい!」
「これが回せてる私すごくない?!」
「いやー出来てる!完璧!!」
「素晴らしい!素晴らしすぎる!!」

って思える現実がきてたんですよね。

アファメーション通りに。

意識しなくても、自然とそう言えちゃう状態の中に私はいた。

現実化していた、いつの間にか。

「私すごい!」といえる状態が私の周りにあった。


アファメーション・・・

アファメーションがいいと言われるだけのことはあるなと思いました。

私、これまであまり効果がなかった人なんですけど、侮れないですね😁笑

アファメーションの現実化①

最近は重たい話が続いていたので、
今回は実現が早かった話を書きます♪


私は、私をめちゃくちゃ褒めまくってました♡
アファメーションです。

「私すごい!」
「私やるじゃん♡」
「私って優秀!!」
「ほんと仕事できるよね!」
「さすが!!」

あらゆる言葉を遣って褒めちぎってましたw

小さい子を褒めるように、ありとあらゆることに対して、本当にいちいち褒めまくってたんですよ🌸

電卓たたいて出した数字と書類の数字が合致したら「さすが私!」
ドアを静かに閉めれたら「ほんと私って気が利く!」
自分がしたミスであれ、人がしたミスであれ、見つけたら即刻「あーもー私って仕事出来すぎ!」そしてしれっと直すw

“自分がしたミスであれ” っていうのはポイントですね。「もー私なにやってんのよ!」なんて責めない。責めたとしても即刻「でもこの時点で気付けたんだからさすがじゃん?」と切り替えです💪

あと、しれっと直すのもポイントです☺️

ミスに気付いた自分をアピールすると
「人の評価がないと凄いと感じられない私」
になったり、

ここぞとばかりにミスを指摘すると
「人を下にしないと能力がない私」
になったりしますから💦

もちろん、報告や相談がいるだろうなっていうミスや、これは相手に伝えとかないとマズイ、というミスは別ですよ✨
「いつもはちゃんとしてるのに」と思える程度のちょいミスの話です。

そういうのは、しれっと直して軽く反省&私も相手がしてるミスをするかもだから気を付けよう‼️ で終わりです。

これでいくと引きずらないし、スマートに直した自分の評価が自分の中で爆上がりしますよ☘️



続きます。

真逆の『類は友を呼ぶ』の実例

最近書いている『真逆の類は友を呼ぶ』とは、
簡単にいえば、

ハッキリ物を言えない弱気な人が、
ハッキリ物を言う強気な人、
つまり、
自分とは逆の性質を持つ人と出会うことです。

そういう人と出会うことで
「自分は言葉を選べる人だ」と感じたり、
あるいは
「ハッキリ言うことも大切だ」と感じたりする。

また、仕事の出来る人が、それほど能力の高くない人と一緒に仕事をすることで、

「自分はこれだけのことが出来るんだ」と認識したり、あるいは、
周囲をレベルアップさせる方法や、人を育てていく根気強さを学んだりする。

それらは『類は友を呼ぶ』を正位置とすらるなら、いわゆる『逆位置』です。
自分と反対のものから学ぶ為の出会い方です。

だから、人の振り見て我が振り直せの姿勢はいいけど、だからといって、いまの自分の在り方を「良くない」と否定する必要はなく、また、自分と異なる性質に合わせようと頑張る必要もなく、単に『違うからこそ学べること』に意識を向けたらいいんですよね。

自分も否定せず、相手も否定せず、単に学べることを学んだらいい。腹が立つので、その時は否定しちゃいますけど(^^;
でも、その意識を持っていると、否定した地点で止まることはないので、その出会いは結果的にプラスに働くんですよ♪


いまの職場でいうと、周りはホントに子供です。病気なのか?!と思うほどのお喋り💦何かあるとそれをキッカケに喋りだして止まりません。

本人たちは問題だと思っていないので自制できませんし、上司もコミュニケーションの範疇だと思っているのか注意できません。むしろ一緒に騒ぐので、学校で例えるなら学級崩壊といえるでしょう💧授業にならない=仕事にならないレベルですよ。

実際、まともに定時で終わってません。残業については、お客様の都合もあるので仕方ありませんが、喋ることで手が止まってるのも大きいと思います。

もうひとつ弊害として、喋ってるうちの1人はミスが多いです💦自分に注目がないとダメなので、お喋りしてない時もブツブツ1人で喋り “大変な私” を演出することに必死。ちょっとした事で「わたし大変~💦」的な騒ぎを起こし、喋りだしたら止まらず、そんなところばかりに力を注いでいるから、そりゃ仕事は手薄になりますよ。
それを注意するどころか、まともに相手をする同僚や上司・・・

全体的に幼いと思います、ホントに。


その点、私はとことん逆です。

私語反対派ではないですが、今の仕事はバリエーションが多く、集中していないと間違えるという危機感から喋りません。
おかげでミスが少なく、その点は褒めてもらえます。状況に合わせて動くことが出来る、ということです。

また、以前の私はよく喋る方で、それをコミュニケーションだと思っていたんですが、それは人によって違う事を学んだので、意識的に控えてるんですよね💧

そういう配慮や、仕事に対する姿勢、段取り、あらゆることについて、ここにきて初めて、自分が「かなり高度な意識を持っている」と感じました。

自分が子供だから子供に出会ったのではなく、

「私って意外と大人だな」
「私ってこんなに考えてるんだ」
「普通と思ってたけど違うんだ」

ということを、逆を通して知れたんですね。

それはもちろん、子供である周りが下とか、大人である私が上とかではなく、性質が違うというから分かった、ということです。

タロットカードでいうところの、節制のような感じでしょうか。異質なものの融合によって生まれた化学反応です。


私は、現状に満足することがなく、常に上を目指す性格です。現時点の自分を褒めない為、常に自分の不足を見ていました。
「あれが出来ない」とか「克服できてないからこんな風に考えてしまうんだ」とか、不足を見出だして改善策を練るのが得意です。

でも、今は周りを見ていて、
「今の自分、そんなひどくないぞ」と感じています。むしろ「すごいのかも」とさえ思うこともありました。

と同時に「能力を伸ばす向上心は大切だけど、常に高みを目指さなくても、今の時点で出来ることをやって満足することも大切だな」と思いました。

全て、異なる性質をもっていたからこそ馴染めず、だからこそ見えたこと、分かったことだと思います。

これは本当に、自分を正当化しているわけでも、傲慢でもなんでもなく、冷静に見た上で感じたことです。

多分、もし周りの人にも学ぶという意識があったなら、似たようなことを感じていると思います。例えば『向上心も大切だな』とか『今の時点に満足してるのはいいことだな』とか。
聞くことはないので想像ですけどね(^^)

無駄な出会いは何一つないんだなと思います。

『類は友を呼ぶ』の逆の側面

前回も触れたこの言葉、

『類は友を呼ぶ』

私は昔、
この言葉をすごく気にしていました😓

『この人と同じなの?』
という出会いもたくさんあったんですが
似た者同士が集まるというのを信じていたんですよね。

それである時、勤めていた職場ではもう「仕方ない」と割り切りつつも「どうにかしたい」と思っていたことがあったんです。

その渦中には分からなかったんですが、その職場を去った後で、類は友を呼ぶには、別の側面があると知ったんです。
それが、真逆の友、相反する友を呼ぶ、という側面です。


私はその職場では、すごく悪口を聞かされていました😞でもそれは、私に100%自分に非があると思ってました。

『悪口を聞かされるのは、私が悪口を言ってるからだ』
『心の中で思ってるからだ』
『かつてそうだったからカルマが返ってきてるんだ』

そう考えていたんです。

それ自体はいいんです。波長の法則からみてもそうだと思うし、かつてのエネルギーを見ているのだという今の考えに通じるものもあります。
よくなかったのは、自分に非があるという視点が強すぎて、ぼっこぼこに自分を攻撃しまくっていたことです💧

自分を痛め付けるくらい取り組んでいたのに、周りから聞く悪口はどんどん増え、好転するどころか、雪だるま式に悪化していきました。

よくない話を延々聞かされることで消失するエネルギー。

どんなに幸せを見つけても、あっという間に相殺どころかマイナスに転じていく現実。

「何故なんだろう」と思っていました。
無理矢理でもなんでもなく、私は悪口を言わなくなっていたのに、なんで言う人がいるんだろう・・・

結局私は、体調を崩した上に『は?!』というようなことが起きて職場を離れる事を決め、その後で『類は友を呼ぶ』には、『相反する友を呼ぶ』という側面があることを知ったんです。

そこでね、思ったんですよ。

『あぁ、私は取り組むポイントを間違えてた』って。

私が取り組むべきは、自分の中から悪口をなくすことではなく(それも大事ですが)、悪口を言ってくる人をスルーする技をもっと身に付けることだったんです。

私は、どちらかというと遠慮するタイプで「悪口を言ってくる人も思うところがあるだろうから」と、多少は聞いてあげることが多かったんですね。
そこに甘えて、無遠慮に言ってくる人は、まさに私の真逆だったわけです💦

私はそこに気付かなかったんですよね。
『自分に非がある』という考えしかなかったので、本当に現実が伝えてきてることが分からなかったんです。

あの時『は?!』というようなことが起きたのは、あまりに自分を否定して、違う方向にいっていたので、強制終了させられたのかもしれません。

方向転換をさせられた、という自覚はあったのですが、そういう側面があったのかもしれません。渦中はしんどくて「なんなんだ!」って思いましたけど、おかげで強い自己否定を止めれたし、助けてくれたんだなと今は思います(^^)

気付けるのはエネルギーが変わったから

前回の記事で『子供っぽいこの職場に出会ったことが情けない』という話を書きました。

その事で、少し補足をしたいと思います。


世の中には「類は友を呼ぶ」という言葉があります。似た者同士が集まるというやつです。

となると、

『あなたも周りから情けないと思われてるんじゃないの?』
『あなたも子供っぽいんじゃないの?』

ってなると思います。

実際、波長が合ったから引き寄せたので、そういう部分はあると思います。

でも、いまの自分というより、少し前に出した自分の波動を見てる感じなんですよね🤔

今回でいうと、いまの自分が子供だからこの状態を見ているのではなく、以前子供だった時に振り撒いたあれこれがあるから見ている、ということです💀

言うなれば『あの頃の自分って子供だったな』と思える自分になったからこそ見ている景色、という感じがするんです。


私は今、かつての自分の言動によって周りがどんな思いをしていたか、それを感じられる私になりました。

“感じられる私になったから” 出すエネルギーが変わったのか、
“出すエネルギーが変わったから” 感じられるようになったのか、
それは分かりません。

ですが、いずれにしてもエネルギーが変わったので『なんかおかしい』という感覚を持つことが出来る訳です。

うまく書けないのですが、同じエネルギーを出している間って、そこに馴染めるんですよね。馴染んでいるから、自分がしていることがどんなことかなんて気付くわけないんですよ。

もし周りに自分と同じことをしてる人がいたとしても『何あれ。信じられない』で終わってしまう。自分の所業に気付いてないから🙀

でも、それまでと同じものを出さなくなると、出していたエネルギーと、それを受け取る今のエネルギーか違うので、気が付くんですよね。

その空気に馴染めなくなってるので
『そういえば、私も以前そうだったかも』って、俯瞰して見れるというか、違う角度で見たり考えたりが出来るんです💡


相手に合わせることが出来るのは、それだけ感覚が近いからです。
職場の人を『子供だ』と感じたとしても、私が子供であれば、結局は合わせることが出来てしまう、染まれてしまうので、それだとなにも変わりません。同類です。

でも、大きくズレていたら合わせられません。
合わせられないのは協調性うんぬんではなく、『大きく異なるから』です。それは、かつては同類だったかもしれない、というやつです。


なので、もし私と同じように、職場でもプライベートでも、人間関係で悩んでいる方がいたら、ぜひ『前のエネルギーとずれたのかもしれない』と考えてみて下さい。

かつてこうだったという自覚があるなら、それが正しいと思いますし、自分の感覚や自覚のもとに下す判断は、正当化でもなければ傲慢でもないです。

冷静に自分の波長の流れや、心の反応を見てみてください。

『既に済んだからこそ』清算するために現れているのかもしれません。

なっさけない

前回『出したものは返ってくる』と書きましたが、これは書きます。


いまの職場の人・・・


ほんっとにおかしい!!!


こんなお子さまな職場は本当に初めて!
よくこれで仕事が成立してきたな💦


何かある度にきゃーきゃー騒ぐ人。

その人はほんの少し先だったり、
その他の可能性を考えたりが全く出来ない。

その上、周りが全く見えてないから、
自分の感情だけで始終騒くことができる。

周りには、集中して何かに取り組んでいる人がいる。それのに、何かしらをずっと騒ぎ立てている。無頓着にもほどがある。


子供。ほんとに子供。親に注目してもらいたい子供以外の何者でもない。


そして何より問題なのは、
上司とその下の社員の距離が近すぎて
注意ができないこと。

騒いでるそのテンションに合わせて
一緒になって騒ぐ上司。
何のための役職なんだ。
同じテンションになってどうする。

『楽しく仕事』の意味をはき違えてる。

もし、単に注意できないだけでなく、そんな風に騒いでる状態そのものを問題視していないのなら、さらに人間性を疑ってしまう。

それはまぁ、私は、ですけどね。


昔、勤めていたところにいた上司は、
当時まだ二十代。でも、ここの上司達より
よっぽどしっかりしていた。

皆と親しくしつつもケジメをつけていたから、
正確性など、締めるところはきちんと締めていた。だから、仲良くしつつふざけつつ、ほどよい緊張感もあった。

それが出来てた当時の上司より、十歳以上歳を重ねている今の上司たち。

年齢じゃない、経験だなと、改めて思いましたよね・・・私は若い時に、いい上司の下を経験したから、騒ぐ人を諭すどころか、足並みを揃えるしか出来ない今の上司たちには疑問しかない。

楽しい仕事って、自分だけ楽しければ良いわけ?って話です。自分が楽しかったら皆も楽しいのでしょうか???
どれだけ自分が真ん中にいたいんだ。

承認欲求は誰にでもあるから多少はいいですよ。でも、その人がきゃーきゃー騒いでるその後方で、締め切りがある仕事に取り組んでる人がいたんです。

それは私ではないので、その本人が、そうやって騒ぐのをどう感じていたかは知りませんが、私は第三者として、一緒に働く仲間に、全く意識を向けられないその人や上司を情けなく思いました。

特に上司は、その人の仕事を手伝ってあげれたんです(私は教わっておらず出来なかった)
『○○をして欲しい』と言われなかったら気にもかけないのでしょうか?

四六時中周囲に気を張って、気配りをしろと言っているのではないが、協力は出来ると思うのです。人の上に立つ上司なら、全体を見ろ、です。

もし手伝えなかったとしても
『他の仕事大丈夫?』という心配りの一言くらい言えるでしょうし、静かにしておくことも出来るでしょう。

なぜ言えないのか。なぜ出来ないのか。

日頃から周りを見ていないからです。
状況を把握していないからです。
分かっていないからです。
騒ぐ人に同調して、
その瞬間『自分達が』楽しければそれでいいと思っているからです。

それで『いい人間関係が築けている』『いいコミュニケーションが取れている』と思っているのでしょう・・・子供です。視野が狭い。情けない。

でも、何より情けないのは、
こんな職場にきてしまったことです。

この職場を選んでしまった(波長が合ってしまった)自分が、一番情けないです。

出したものは返ってくる

以前『それはあなたたちの事だよ』と思った話を書きました📱
ざっくり言うと、ある人達が第三者について述べてる感想が、私から見ると、その人達そのものだった、という話です。

その出来事から数日経ったある日。

その二人とは違うDさんが、よくやり取りする支社の電話相手の対応のことを、ある人に言っているのを聞きました。

それがやはり『それはあなたの事だよ』と感じる内容だったんですね💧

ざっくり書くと、
『相手は関係ない、いらない話ばっかりしてくる。ずっと喋ってるから電話が切れない。この人はおかしい』というもの。

私から見ると、そう言ってるそのDさん自身も絶えず喋ってるので同じなんですよね😅「今その話いるのかな」って感じることもよくあります⤵️

しかも、自分がやりたい仕事がある時は集中して、それが一段落したら、他の人のことはお構いなしに話しかけて喋り出すって勝手じゃないですか🙀それは、電話相手の状況を気にせず、ずっと喋り続けるその人と同じ行為ですよね。

私がDさんに対して「それは今いらない話」と感じていても、Dさんにとっては「今話したいこと」かもしれないように、Dさんにはいらない話でも、電話の相手にとっては今話したいことかもしれない。

そう考えると、Dさんは自分と似たエネルギーを持つ人を通して、日頃人に与えていることを受け取っているんだと思うんですよね🙄

他の人は知りませんが、少なくとも私は、私が話しかけられているかどうかに関わらず、Dさんが喋り出すと止まらないので「いらん話ばかりしてる」と思いますし、「困る、集中出来ない」とも感じています💧

そんな風に私が感じていることを、Dさんは他の人を通して感じているということです。

「あの人はどう思っているのかな」と、周りを気にしすぎるのもよくありませんし、自分が楽しいのが一番であることに違いはないのですが、時と場合があるんですよね💦
周りの状況を鑑みることは大切。

例えば病院で、懐かしい人がいたからって、大声で喋り続けたらどうですか?
周りは困りますよね。
体調が悪い人、検査結果待ちで不安な人、色んな人がいますから、時と場合ってあるんです。
それは仕事にもある。

まぁ、それは私も、この職場で、この人達を通して学んだ事なんですけどね😄💦


おそらくDさんは、自分が周りに与えているものに気付いていません。悪気も何もない無意識のことでしょうから。なので、完全に他人事であり被害者になっています。

でも、実際には自分も誰かとの関係において、同じことをしている加害者なんですよね。
(嫌な言い方ですけど、便宜上)

以前の私がそうでした💧
自分が周りに与えているものが何かなんて、気にもしなかったんですよ。

以前も書きましたが、私は我慢しいだったので、我慢を止めて自分を大事にすることに集中したんですね。それゆえに、今度は周りを見なくなりすぎたんです😑
周りに全く意識を向けなかったので、自分の行動がどんな影響を与えているかなんて、微塵も考えていませんでした。

その後、今の職場で逆の立場になった、つまり、自分が与えられる側になったことで、いきすぎていた自分の言動に気付いたんですね。当時(一年ちょいくらい前)の自分が周りに与えていたものがどんなものだったのか、それがここで分かったんです。

気付いた時はやっぱり「あぁ、なんてことをしていたんだろう」と思いましたよね💦当時はあれで精一杯で分からなかったんだから仕方ないんですけど(^^;


私たちはあくまで、自分が出したもの、周りに与えたものを受け取っているに過ぎないんだと感じます。

こんな風に、人がしていることがその人に返ってきているのを実感したことがなかったので、どことなく「自分だけ」のように感じていましたが「返ってくるのは自分だけじゃない」んですね。

だから、何か嫌なことされたとしても、仕返しとかしなくていいんですよ。むしろしちゃダメです👍️
私たちは、無意識にせよ意識的にせよ、自分にも周りにも、嫌なことを与えすぎないようにすればいいだけ✨その人は、他の人を通して勝手にそれを味わいますから。しかも分かるまで繰り返されます。ドンドンひどくなりながら(これは体験談)

嫌なことのポイントは人それぞれ違うので、全く嫌なことを与えないっていうのは無理だと思うんですけど、意識するのとしないのとでは全然違うと思います😊

っていうか、無意識だからこそストレートに出てしまうのもあると思うのですが、無意識にやっていること(無意識に出してるエネルギー、無意識に周りに与えていること)でさえこんな風に返ってくるんだったら、意識的にしたことなんて、エネルギーが込められてる分、しっかり返ってきて当たり前だと思いませんか❓️

偶然の結果ならいざ知らず、意図的に「この人を仲間はずれにしよう、嫌がらせしてやろう」と画策したとしたらどうなるか・・・ それが『自分が望んでること』になっちゃう(オーダーになっちゃう)ってことですよね💦

鳥肌🙀🙀🙀

改めて気を付けなくてはです!!

眠くて寝たらスッキリした件✨

最近すごく眠かったわたくし💤

日中も、春の昼下がりのごとく眠かったんですよ💤

連日22時半には寝てたんですが、それでも眠くて仕方なくてですね💦

それで、昨日の日曜日、思いきって昼寝したんです。

休みの日の昼間に寝るなんて勿体なくて、それをするくらいなら、日頃あまり出来ない占いをトコトンしてみたいとかあったんですが、もうど~にも駄目で💧

眠すぎて何もする気にならないし、まして占いは、リーディングするのに結構エネルギー遣いますから、これは寝るしかないと思って寝たんですよね。

その結果、なんと15時から17時まで爆睡してました👀


あわてて洗濯物を取り込みましたね笑


でも、洗濯物を取り込みながら思ったんですよ。

「ああ、これまでの私の選択や決断って、何一つ間違っていなかったな」って。

本当に唐突にそう思いました。

そして頭は超クリア。

あわいオレンジ色の夕方の空と、
冷たすぎず暑すぎずのやわらかい風。

「ああ、私ってこれで良かったんだ」

そう思いました。

なんの理由も条件もなく感じて、本当にスッキリしたんです🥰


最近、仕事がとてもハードだったのもありますが、思考がかなりオーバーヒートしていたので、強制終了がかけられたんでしょう。
そしてたったひとつ、最も大切なデータだけが、再起動したパソコンには残された。

「私はこれで良かったのだ」

本当にとてもスッキリしました😄


みなさんも、眠い時はうまくやりくりしてぜひ寝て下さい♪
寝たら勿体ないなんて、頭の中のお喋りだなってことがよく分かりました笑

思考は結局考え続けたいんですよね。

強制終了なんかされたくない、浸っていたい。
ずっと考えていたいものなんです。
グルグルしていたいものなんです。

考えないといけないとか、やらないといけないとか、そんな風に思うのも、思考の考えグセゆえかもしれません。

どんなに考えたって、答えが出ないことは出ないのにね💧

なのに考え続けて疲れてしまって、その上エネルギーがダダ漏れになってるが為に、本当に大切なことに気が回らなかったり、忘れてしまったり・・・

強制終了も時には大事です👌

毎日自分で占ってみて🔮

私は毎日、前日か当日に、その日はどんな1日になるのか、どんなテーマを意識して過ごしたらいいのかを、タロットカードやオラクルカードで占っています🔮

大体、午前と午後の流れをタロットカードで、テーマや行動をオラクルカードで占っているのですが、
当たってるのかどうかと言えば、
タロットカードについては当たってないことのほうが多いです😅💦

占った時にメモをしておいて後から振り返るのですが「うーん??」です。特に、良い意味のカードは当たりませんw 「イライラするかも」 みたいなのは当たるんですけど、イライラがゼロの日なんてほぼないですしねぇ・・・(^o^;)

ただ、タロットカードって、1枚のカードからたくさんの読み方が出来るんですよ。
カードが元々もってる意味もそうですが、カードに書かれている絵からもドンドン意味が膨らんでいきますし、「本来持ってるカードの意味とは違うけど今回はこう感じる」ということもありますし、本当に色んな読み方が出来ます。

でも私は、リーディングに慣れていません😣どうしても枠にはまった考え方をしてしまいがちなんですよね💦
そのカードが出てくること自体に意味があると思っているのですが、カードが伝えてくる事をピンッと感じ取る事が中々難しいです😅

その点、オラクルカードはダイレクトで分かりやすいですね。
例えば、ワークユアライトオラクルカードには『通過儀礼』というカードがあるんですが、これが出た時は『今日はちょっとキツイことがあるかもだぞ』という心構えをしやすいです。

何か起きれば『あ、このこと』だし、
何も起きなければ『一安心』だし、

当たってるかどうか、というよりは、災難を和らげるためのクッション感覚かもしれませんね。

だけど、当たってるかどうかという視点で見ると微妙ですが、タロットにしてもオラクルにしても、占った時に、解説に書いてある言葉が引っかかれば内観のきっかけになりますし、出た結果を意識することが1日を意識することに繋がって、意識の散歩が多い私には良いようです😄

これからも毎日、カードにメッセージをもらっていこうと思います🍀

タイミングすごっ!

お気に入りのYouTuberさんがアップした動画が、今の悩みに直結するものですごくビックリ!!
何このタイミングの良さ!!
まさしく目を見張りました👀

あと、ゾロ目を見る確率が格段にアップしています!!
ゾロ目を見たからといって、何かいいことが起こると期待する事はなくなりましたが、わずか1つズレているだけでも見えないのがゾロ目ですからね✨

そこを踏まえると、数字がそろってるのが目に入ったということは、やはりそれだけタイミングが良いということになるんです🎵

何がどううまくいってるのかは分かりませんがw
いいタイミングを掴んできてるのなら嬉しいことですよね☺️

一年近く『タイミングの悪さ』や『停滞感』を感じながら、窮屈に過ごしてきたわたくし。
いいタイミングを掴むことが出来たなら、ぜひ大いに飛躍していきたいところです🍀

タイミングが合わないとか、動かないとか、ホントに辛いですからね😣😣😣そんな時期はもう終わりにしたい💦

でも、それを経験しているからこそ、タイミングがいい喜びも、動ける幸せも分かるのでね✨😄⤴️
その側面を大事にしながら、時を待ちたいと思います😊

自分だけでオッケー🆗✨

最近の記事で分かるかもしれませんが、私は少しまいっておりました💧

周囲との関係がそぐわない。自分らしさが出せない。
逃げれない環境だったので、どのように自分を変えていくかが問題だったのですが、本来の自分を押し殺して耐えた数ヶ月ですっかりクセがついてしまい、どうにもならなくなっていました💦

しかし、やはり出来事というのは起こるべくして起こってくるようで、やっとあれこれ分かりました💡


私は、今の職場を通して、自分のこれまでの在り方を随分考えさせられました💧そして、周りのことを考えているようで考えていなかったことに気付いたんです。

私は元々、周りのことを考えすぎるきらいがあったんですね。HSPゆえかもしれませんが、周りのことばっかり意識して、自分のことはガン無視。
それを、周りのことばかりではなく、自分のこともしっかり考えていこう、というスタンスに切り替えたのが数年前でした。

しかし、なにぶん不馴れな為、行きすぎていたようで💦今の職場で、周りに嫌な思いをさせられたことで、そのことに気付いたんです。

例えば、私が話しているのに、平気で会話泥棒されることが多く、嫌な思いをしたことがありました。

もちろん、そうされて嫌な気持ちになったのは、私の中に「嫌だ」と反応する何かがあったからです😣
相手は、私が送り出した何かを届けてくれただけ。送り出した大元は私の中にあるので、相手のせいではなく、届くものは全て私次第。

先の例でいえば、会話泥棒されて嫌だったのは、私の中に「話を聞いて欲しい」「私に意識を向けて欲しい」という気持ちがあったからかもしれません。

その欲求を満たして欲しかったのに満たしてもらえなかったから嫌な気持ちになった。つまり「満たして欲しい=満たされていない」を相手は届けてくれただけなんです。

いまだから言えることですけどね😅

嫌な気持ちになったその時、私は「なんでこんな目に」と思ってました。「何て失礼な人」「話してる人を差し置いて自分の話をするなんて子供?」などと腹が立ってました。

でも、その不快な気持ちの中で「これまでの私はどうだったんだろう」と思ったんですよ🤔
「会話泥棒していなかっただろうか?」と。

周りが私のことを考えていないと感じる状況が起きたことで、自分は周りのことを考えていただろうか、という逆を考えることになり、

「あぁ、自分を幸せにすることを考えていたのは良かったけど、ちょっと行きすぎていたかもしれない」

と思ったんです。周りに与えていたもの、周りにしていたことが返ってきたように感じました。


ところが、やはり不馴れなわたくし。

今度は自分を後回しにして、人を優先しすぎる状態になっていました💦それが自分を押し殺すことに繋がっていたみたいで、そのことに、またもや職場で起きた様々な出来事から気が付いて、「もっと自分を大切にしなくちゃ!」というところに、ここ数日で戻ってきたところです😅

右に行きすぎたり、左に行きすぎたり、ちょうど良いところを見つけるのが中々難しいですが、どっちも経験したのでw 今度は良いところに落ち着きたいと思いますw

でも、やっぱり大事なのは、自分を幸せにすることのほうですね🥰

もちろん、自分の内面が現れているとはいえ、周りには人がいますので、配慮することは大事です❗️
人によって求めていることは様々ですから、相手が何を求めているか、それは言われないと分からないので、気を向けすぎると疲れるだけですが、例えば電話してる人のそばで、大声出さないようにするとかね。

そのくらいは配慮しといて損はないし、疲れもしないでしょう。

けど、人によって求めていることが違うので、
「相手のためと思って」とか、
「こうした方がいいと思うから」
という気持ちが、相手を苦しめる可能性もあるんですよね。
喋るのが苦手な人に、コミュニケーションだからと話しかけまくるのは、相手にとっては負担でしょうし、自分も満たされませんよね。思うような反応が返ってこないから。

ほんとに、あらゆる面において、十人十色なんだと思います。
それなのに周りに配慮しすぎるから、がんじがらめになって何も言えない、何も出来ないになってしまう。
まさに私は、そこに陥っていました💦


だからこそ、自分だけで良いといえます✨

周りは周り。自分は自分!

周りは内面の投影ですから、自分を大切にしていれば、周りとの関係も勝手に良くなっていきます🍀
実際、かつての私は、私を大切に思っていましたし、やりたいようにやっていたので、周りには段々いい人が増えていきましたし、良いこともたくさんありました♡

でもその反面、強い不足感もあったんですよね💦その辺りが配慮不足に繋がり、かつ今返ってきたと感じています😞

すなわち、充足も不足も自分の中にある❗️ということです。対処するのは自分だけでオッケー✨

私も早くその自分に回復していこう☺️

それはあなた方のことだがな🤣

ちょっと面白いと感じた学びがあるので書きます🍀

私の職場には、よく喋る女性が二人います。

『黙る』ということをしらないのか、あるいは黙っていると病気になるのか知りませんが、ありとあらゆることをキッカケに喋るんですね💦

どんな些細な事でも、それをネタにして喋るというのはある意味才能ですが、結局ずっと喋っているので、井戸端会議が延々と続いている感じです💦

けど、今の職場において『この状況をアウトだ』と思っているのは私だけ。上司は注意しません😱

アウトとなるレベルは人それぞれなので仕方ありませんが、上司の場合、場の空気を壊したくないのもあるようです。

別の支社から所用で来た社員が、喋っている女性たちの様子を見て『よく喋る』『また喋ってる』という小言を上司に残した事実があるので、おそらく上司も《コミュニケーションの範囲を逸脱している》というのは把握しています。

でも、女性の一人がお局というかね・・・ 世間でいうほどのお局ではないですが、やはり仕事を牛耳ってるところがあるので、強く言えないようです💦事務所内の人数が少ないので、こじれると相当やりにくい。なので、かなり甘く見ている部分があると思います。

と、まぁ前置きが長くなりましたが、今の状況下では、私が我慢するしかないんですね。しかし、これがかなりしんどい。なので、味方が欲しくて「誰か一回でも良いから、このお喋りを注意してよ」とよく思ってました😿


そんなある日のこと。
よく喋るこの二人が、また唐突に喋り出しました。

「昨日、家の周りでクラクションがうるさくて」

「クラクションですか?」

「そう、しかも夜中の0時近く」

「ええー!0時近くって迷惑ですね!めっちゃうるさい」

「そうなんよー。車をかわせとか何か理由があったんだろうけど、やかましいわと思って」

「うわー💦妨害ですね~周りのこと考えろって感じ」

「ほんと静かにしろって思ったわ」


私は思わず吹き出しましたw

『それはあなた方のことだがな🤣』と思ったからです。

女性二人が口にした言葉は、そのまま日頃、私がこの人達に対して思ってることw

『迷惑、うるさい、静かにしろ』

それらは日頃、この人達が私に与えていることで、私がこの人達に対して思っていることなんです。

まさかその言葉たちが出てくるとは・・・

“私にさせているのと同じ思いを別の所でさせられているんだ”

そう感じました。


同じ日の夕方、こんなことがありました。

事務所の外、窓の近くで、男性社員が二人、話をしていたんです。

男性二人は、少し距離がある状態で話をしていたので声が大きかったんですね。

なので、話してることが事務所内にもよく聞こえてきました。

その時、よく喋るその女性二人が言ったんです。

「もーうるさいなぁ」

「ほんとにねー。おじさんたちは声が大きくていけないわ」

「あんなに叫ばなくてもいいのに。うるさいー」


『だから、それはあなたたちも同じなのよ』

と思いました。

2回目はさすがに、喉まで出かかりましたね🤣


この女性二人がうるさいのは、喋り続けてるのもあるんですけど、声が大きい時はホントに大きいんですよ💦
それも、この男性二人のように、距離が離れていなくても大きいんですのね。
どれだけ広い事務所なの???って話です。

もともと自制が弱くて喋ってるんでしょうから、盛り上がると益々自制出来ないんでしょう。
隣に座って話してるだけでも「誰に話してるの?」ってくらい声が大きいですから、間違いなく「おばさんたちは声が大きくていけないわ」って言われるでしょう🤣


自分に当てはまることを口にしているというのは面白いですよね。

『人の振り見て我が振り直せ』ってことでしょうか。
それとも『人に与えたものは返ってくる』ということでしょうか。

いずれにしても『天が味方して見せてくれた出来事』と感じました😇


ちなみに、私はこうして『お喋りがうるさい』と思い、よく書いておりますが、今の私はうるさいほど喋っていません。『今の私』には当てはまらないです。

しかし、かつての私は喋っておりました。
なので『かつての自分に当てはまること』を思い、書いていることになりますね💧

今の状況を通して『かつての自分の振りを思い返して直している』とも言えますし『当時の私が周りに与えた不快感が返ってきている』とも言えると思います。

いや~そう考えると世界はよく出来てますね🌏️

かつての私は、自分の喋りをコミュニケーションだと思っていましたが、この人達を見ていて、その範囲を逸脱していたと今は思います😥
周りに思うことと、自分に思うことは、本当にイコールのようです。

これはすごく面白くて、深い学びでした📑

1日1日を意識して得たこと

今日で1月終わりですね。新年明けてから今日まで、皆さんいかがでしたか?

わたくしは、
「これほど1日1日を意識して過ごしたことはない」
と断言できてしまう1ヶ月でした。

いつも感じる『もう終わり?!早い!!』ではなく『やっと1ヶ月終わったか』と思っているのは、いつもと違う過ごし方をしたからでしょう。


今月は、というか、昨年末からですが、私はタロットカードやオラクルカードから、毎日メッセージをもらって過ごしてきました。

出たカードの意味を意識して過ごすことが、1日1日を意識して過ごす、ということに繋がったのですが、そのおかげで、今までどれだけ適当に時を過ごしてきたのかがよく分かりました💦
それなのに、どーでもいい事や嫌な事に限っては、流すことなく掴んだままだったんですよね😣道理で嫌な事が繰り返されるわけです。

良いことに意識を向けてるようで、それ以上に嫌な事に意識を向けてる時間が多かった。思ってた以上に、嫌なことを掴み続けていた。そのことに正直驚きました。

1日1日を意識して過ごすと、こんなことに気付けるんですね。想像以上にすごく大事なことだなと思いました💦

その中で感じたのは
『変えがたい環境をどうするのか』ということです。
例えば、合わない仕事、合わない上司、合わない学校、合わない人間関係。

毎日過ごす場所がよくないと、どうしても意識は『よくないこと』に引っ張られます。

【意識が先】と言っても、目の前に広がってる景色がある以上、意識だけをなんとかするのは違うと感じました。

もちろん、意識が先なのだから、嫌だからと今の場所から離れても、意識が変わっていなければ、また同じ目に遭うのは然りなんですが、

目の前の現象にもきちんとアプローチするのも大切。

このこと、私経験してたはずなんですけどね💦
忘れてたなと思いました😅


例えば、仕事が嫌だから、仕事中は我慢して、プライベートタイムを充実させて、明日の鋭気を養っているとします。しかしこれでは、せっかく味わった充実感が全て、仕事を乗りきる為だけに使われているんですよね。

自分自身には微少にしか残らなかったり、プライベートの時間がとれなければ、いつの間にかマイナスに転じていたり。

もしそのマイナス状態のまま頑張って病気になっても、誰も助けてはくれません(これ経験談💧)

もちろん、医者は見てくれるでしょうし、場合によっては薬も出してくれるでしょう💊家族も看護師も優しいかもしれません。

でも、苦しいのはあなたです。
痛い思いをするのはあなただけなんです。

孤独ということではなく、風邪を引いた時とかもそうですよね😷💦風邪のしんどさを知る家族が近くで看病してくれたとしても、その時のしんどさを越えるのはあなただけ。誰も代われないんです。

そんなことになる前に、学校も仕事も休んでしまえば良いんです。

そこに至るまでには、絶対に何かしらの努力をしているはずだから。

あとは自分を守ることに専念する。

輪に入る努力、勉強についていく努力、ノルマを達成する努力、上司とうまく付き合う努力、我慢、辛抱、工夫・・・

色々やって来てダメなら仕方ない。

そのことをすごく感じました。


【意識】を変えなきゃ、
その意識の反映である【現実】は変わりません。

とするなら、

【意識】を変えるために【意識】が整う環境にしていくことも、すごく大事なわけです。

よく言われてる掃除なんかもそうですよね。

自分がいる空間をキレイにすると、
意識に入っていくものが変わるんです。
すると現実も変わっていく。

目に見えてる現実を変えるのも大事というか、
自分がいる空間、環境をないがしろにしておくことは、自分自身をないがしろにすることとイコールなんですね。

1日を意識して過ごす中で、そのことがすごく身に染みました。
2月は、このあたりを実践していきたいです。

ちなみに、毎日引いてるカードのリーディングや結果については、また書こうと思います。

お喋りする人の特徴

以前も、いまの職場のコミュニケーションについて書きましたが、今回は更に突っ込んで書きますw


今の勤め先は、ほとんどの人が新卒入社で、事務所内は全員がそうです。異動などなく、ずっとそこにいます。(支社はいくつかあるけど、異動なしが基本らしいです)

私はずっと、新卒から十数年、そこしか知らないというのはすごい事だと思ってきました。そこに腰を据えて頑張ってきた、それはすごいことだと思ってました。

でも、それもよし悪しですね😅それをここで学びました💦


まず、基本的に異動がないので、慣れた関係の中でしか生きてないこの人たち。

会話が変です🙀

家族のことを話す時、「妹」や「旦那」などではなく、普通に名前で話すんですよ。「うちの子」や「上の子」などではなくて名前。自分の同期や後輩の子供だったら呼び捨てにします。

本人たちが良ければ良いとはいえ、おかしくないですか❓️友達だとしても、職場という自分達以外の人がいる公の場で、そんな風に話します❓️❓️

そもそも、そこまでプライベートをオープンにしてまで話さないといけない理由ってなんでしょう?


これは私の経験則ですが、話をしたがる人は、満たされてない人が多いです。

常に会話の中心に、自分がくるように話す人いませんか?その人は、会話に入ってないと寂しいんですよ。寂しくて満たされていないから、常に人の話の中に、自分がいるように持っていってる可能性が高いです。

人の会話に割って入って話す人もそうですね。自分の存在を示したいからそんなことをするんです。

割って入られた方は、そのせいで話の流れが変わったり、話したかったことが話せなくなったりするのですが、そういうのが想像できないほど、自分の事しか考えてないんですね💦

そのくらい寂しくて仕方がない💦

自分の心をどうにかすることに必死で、他の人がどんな思いをするかなんて考えられない。

『いじめられる人の気持ちを考えてないから、いじめをすることが出来る』っていうのと、本質は一緒かもしれません。気の毒といえば気の毒です💀

他の仕事を経験していればともかく、社会人になってからずっと同じ人ばかりと関わってるから、馴れ合いになってるのも大きいでしょうね。
相手の立場に立って考えるって事が、驚くほど抜け落ちています。だから、失礼な言動が多いんですよ。会話に限らず、色んな面で😑

全ては、己の満たされてない気持ちを満たすことに必死だからですね。

自分に対して、自分で存在価値を与えている人は、誰かに強く認めてもらう必要がないので、会話に入ってないとダメ、ということはありません👌

しかし、自分に不安がある人は、周りに認めてもらわないと立っていられないので、ことあるごとに人の気を引こうとするんです。

喋ってばかりいる人は、どんなに仕事ができても、どんなに強く見えても、自分をみて欲しくて、構って欲しくて仕方ない子供ですよ👶
他に自分の満たし方を知らない子供です👶
相手にしない方が懸命です。
面倒みても、保育料はもらえないですよw

特にプライベートの話をしたがる人(たまにではなくしょっちゅう話す人)っていうのは、承認欲求が枯渇しまくってる人です。

妹の話をしたがる人は「お姉さんをしている自分をすごいと思ってもらって」満足しようとしているし、子供の話をしたがる人は「親である自分を表現することで」満足しようとしています。

人を差し置いて喋る行為もそうですが、自分以外を持ち出さないといけないレベルは、かなり危険なタイプです。このタイプとはホントに、話を合わせない方がいいです。冷たいと思われてもかわさないと、エネルギーすっかり吸いとられちゃいますから💦


ちなみに、どうしてここまで言いきれるのか?ですが、それは、私がかつてそうだったからに他ならないんですけどね(^^;

いまの職場の人たちは、かつての私なんです。

私は、自分を満たすことを意識するようになったので、この人達のような生き方をする必要はもうありません。

なので、過去の自分を見てる感じです。

それプラス、これまで出会った人達の情報を集結させて学習してる感じですね。

『自分こんなんだったのかぁ』って。

あの頃の私は、喋る理由に『構って欲しい』という不足が強くあったので、話して聞いてもらえて満たされたと感じても、それは一瞬の事でした。だから喋り続けてました。

出会った人の中には『皆で楽しく仕事したいから喋るんだ』と公言してた人もいて、それに同意していた時もあったのですが、そういう人って『自分が楽しいと感じたいだけ』で、その為に相手を利用してるに過ぎなかったりします。

だから、誰かと会話していても、その『誰か』に求めるのは、自分が楽しいと感じる反応だけ。本当の意味では、その『誰か』は置いてけぼりなんですよね💦それを大事なコミュニケーションだと思っていたなんて、勝手なものだったなと、それもここで学びました。

経験は大事ですね💦

罪悪感をかわしてきた道のり

私には罪悪感がありました。
自分が幸せになることへの罪悪感。

それは酷いもので、例えば、化粧水ひとつ買えないんですよね、自分のために。
唇がカサカサしていても、リップクリームひとつ買えない。
買うことが怖い。
頑張って買ったとしても、使えないんです。
使うと自分が幸せになると分かるから。

化粧水で肌が潤った時、気持ちいいじゃないですか?カサカサの唇がリップクリームで潤うのもいいじゃないですか?でもダメなんですよね💦申し訳ないと思ってしまう。

その理由は、母親との関係にありました。

私の母親は、母親らしくない母親でした。
友達を目指すというんでしょうか。
対等であろうとするんです。娘に対して。


長くなるのでカットしますが、私が私の好きなものを買って帰ると「私の分は?」と本気で聞いてくるんですね。「ない」と答えると平気でふてます。フリじゃないです。本気です。

友達と遊びに行く約束をしても機嫌が悪くなりました。あらゆる面に置いて、自分もセットじゃないといけないんですね。母親だけが取り残される状態というんでしょうか?そうなると機嫌を損ねます。

普通に口聞かないとかもありました。

めんどくせー話ですよね😓

でも、めんどくせーんですけど、子供っていうのは機嫌をとるしかないんです💦少なくとも私は、そうするしかありませんでした💦

するとどうなるか。

段々「これをすると母親はどうなるか」というのが、行動基準になっていきます。

『母親が求める良い子』になろうとするんですね。

全てはめんどくせーからです。
そうしとけば大人しいからそうする感じです。


どっちが親だって話です💧


おかげさまで、私は私の為に何も出来ない子になってしまいました。

『自分の幸せを考えるのはいけないことだ』
『自分だけが幸せになるのはいけないことだ』

という観念が成立してしまったんです。

しかもそれは、年月を重ねるなかで、

「周りが幸せでないのに私が幸せになるのはいけないことだ」

という、母親以外をも巻き込んだ、訳の分からないひん曲がりを起こしました。

それだけ強烈に自分に言い聞かせないと、私はそれをしてしまうからです💦より強い禁止命令を出し続けた結果、そうなってしまいました💦自分が幸せを感じることへの罪悪感は、より強いものになりました😓

おかげさまで「リップクリーム欲しいな」と思っても買えません。
恐ろしいことに「私以上にカサカサで辛い人もいるのだから我慢」などと考えてしまうんです。

なんじゃそら???って思いませんか?私は思います💦でも、あの頃はそう思って、禁止していました。
それが、自分が安全に生きる術だったからです。
親の機嫌損ねたら、生きていけません。

でも、その術から生じた罪悪感が、私をずーっと苦しめることになったんですよね。

幼い私が、私のために習得した術が、大人になった私を苦しめるというのは悲しい話です😓

でも、仕方ありません。それしかなかったのですから😊


私は、この一連の関連性に、ずっと気付けずにいました。
点と点、つまり、罪悪感の存在や、母親との関係に嫌な気持ちがあることなどは次第に認識したけれど、それを結びつけてはいなかったんです。

それらが結び付いたのは、罪悪感をなんとかしようとするのを止めて、ひたすら自分の声を聞き始めた後でした✨

私は、以前も書いた通り、何もない日に、自分の為だけにケーキを買って帰ることが出来なかったんです。いまはスイスイ買えますがw

それが出来るようになったのは、なぜ罪悪感があるのか?と考えるのを止めて、ひたすら自分の声を聞くようになってから。

ある時、ケーキが欲しいと心が言った時に「じゃあ行こう!」と勇気を出して買いに行ったんです🍰

それは小さなカットケーキ。
400円もしない普通のケーキ。

でも、やっと買えました。

母親の分や家族の分は買いません。
自分だけに買いました。

ものすっごい罪悪感ありました💦
後ろめたさもすごかったです💦

でも、そういった気持ちをなんとかしようとはせず「わたしが食べたいんだ!」で貫いて買いました。
めっちゃドキドキしてましたw

その日は、それを買えたことだけ褒めまくりましたし、買えた自分にすごい満足しました🍀そうして買ったケーキを一人で堪能しました🍰
とても幸せでしたよ✨

その他にも、自分だけがコーヒーを飲む、ということもやりました☕️(それまでは、飲む時に母親に聞いて、飲むと言えば淹れてあげてました)

自分だけがお菓子を抱え込むこともしました🍪(それまではシェアが当たり前でした)

それらは小さなことですが、全部自分のため、自分だけのためにやりました。

罪悪感がありつつも、そういう時間を少しずつ、意識的にチョイスしていった結果、罪悪感がありつつも、私の意思を尊重した行動がとれるようになりました🌸

これが私の、罪悪感をかわしてきた道のりです。

罪悪感がありつつでいいんだと思います。
自分の声を聞いて、そこに誰かを絡めずに、自分の為だけにしてあげる。

その一歩の積み重ねで、罪悪感は薄れると思います。自分への許可ですね。

いまでも罪悪感は出てきますよ。
「私なんかが」ってすぐ思ってしまいますし😅

でも
「やりたいの?どうなの?」
「欲しいの?今はいらないの?」
って聞くことが定着してるので、

「やりたい」といえば貫いてやりますし、
「欲しい」といえば「じゃあゲットしよう!」ってなります😊

厄介だからこそ「なんとかしようとしない」。
直接的ではない対処をするというのが、罪悪感をかわすには有効な面もあるかもしれませんね。