わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

エゴに呑まれて気付いたこと②

エゴに呑まれたことで

いい気分でいた時間より

『いい気分でいたのに現象が変わらない』

そのことに対する不満を

たくさん感じてたことに気が付いたわたくし。


もうひとつ気がついたのは


私はどうしても

『私以外の何かになろうとしてる』

ということ。


身近におしとやかなタイプがいれば

そうなろうとする。


元気な人がいれば

それを取り入れようとする。


本当はお喋りが好きなのに

大人しい人の方が好かれてると感じたら

喋ることを封印しようとする。


そうやって私は

私ではない何かに変わろうとしてる。


そう、好かれたいから。


私は、いまの私、本来の私では

好かれないと感じているんだよね。


お喋りが好きだけど

「うるさいと思われてるかも」

と勝手に推測して黙ったり


あまり喋らない人の方が話しかけられてたら

「私も気にかけてもらいたい」

と思って大人しくしてみたり


常に周りを見て

『何か』に変わろうとしてる。


いまのままの自分を許せない。

ありのままの私では愛されないと感じてる。


だからいつも

私は何かにつけ一生懸命、必死。

素の自分では愛されないと思ってるから

周りがどのように反応してるかにすごく敏感。


『私は愛されない』

『好かれない』

『嫌われる』


そう思ってるから

そう感じ取れる証拠ばかり

現象に探してる。


例えば、私と楽しく話してくれる人もいるのに

私はそれは見てない。カウントしてない。


「あの人は、この人と私とでは態度が違うな。

私の何がいけないんだろう?」


そんな事ばかり考えてる。


いまの自分や状況に不満で

ダメな証拠ばかり意識して拾ってるんだから

いくら現象が過ぎていったって

『不満を感じるもの』が繰り返されるのは

当たり前なんだよね。



考えてみれば

褒めてもらえたり、心配してもらえたり、

良いこともたくさんある。


私が感じてきたいい気分は

確実に

『いい気分になる現象』を連れてきてくれてる。


でも私は

そっちじゃなくて


『嫌な気分になること』

『不満に感じること』


そういうのばかり見てた。


なぜか『望んでること』とは違う

『望まないこと』ばかりに目を向けて

『望まないこと』を意識に入れて

その数だけを数えてた。

そして、その数を減らすことに躍起になってた。


『いまの自分で

そういう望まないことが起きているということは』

⬇️

『いまの自分ではダメなんだ』

『いまの自分を改めなくてはいけないんだ』

⬇️

『望む景色をみるためには

いまの私ではダメなんだ!!!』


そんな思考回路になってたと思う。


だから私は、いつも一生懸命

『望む景色をみるために』

それを邪魔してる『不快なこと』を探して

『いまの自分ではダメなんだ』

という思いを強固にして

『私じゃない何か』

『私じゃない誰か他の人』に

なろうとしてたと思う。


そうやって、

『いまの自分ではダメなんだ』

という思いを土台にして

自分を苦しめて、痛め付けて、傷付けて、

否定し続けてきた。


でも、それは『望む景色をみるため』なんよね。


結果的には

『ダメなんだ』という思いは

『ダメなんだ』と感じる現象を招いていたけど


望まないものを徹底的に排除することこそが

望む景色をみることだと思って一生懸命だった。


やり方は間違っていたかもしれないけど、

私は、私が望んでる景色を、私に見せようとしてた。


私のことを想って、愛していたんだなって思う。