望むことを意識してる時間は長くても
根底にあったのが
「叶ってない」だったから。
ただそれだけ。
「叶ってない状態を何とかしたい」
というのは
原動力としてはいいんだけど
ガソリンとしては最悪。
『叶ってない状態』を
固定することになるからね。
でも
《叶うとは望む現象を見ること》って
思ってたから
望む現象を見るために
必死だったんだ。
『好きな人と仲良し』と意図したなら
仲良くしている景色を見ないと
叶ってるとは思えない。
だけど、その景色を見てなくても
目の前に広がる景色は
『叶ってるからこそ見てる景色』
なんよね。
それなのに
『叶ってない。叶えるために何かしなきゃ』
そう思っているから
“叶えるために何かする世界” が
叶い続ける。
「叶えるための何かをし続けたいんだね」って
素直な潜在意識は、そのまま汲み取るから
『仲良くしている景色』なんて
見えるわけがない。
《叶えるため》
という気持ちを捨てるには
《こういう現象を見なければ叶ってないんだ》
というこだわりを捨てること。
どの達人さんだったっけなぁ。
【目の前のことは意図した私だから見てる】
っていうニュアンスのこと、書いてくれてた。
【テレビをつけたら◯◯さんが出ていた】
とか
【天気がこうだった】
とか
そういう目の前の景色は全部、
叶ってる私だからこそ見ているということ。
特定のその景色を見ていなくても
【内面の決定が全て】なんだから
《特定のその景色を見ていなくても》
内面でそれを得たなら
『叶ってる』。
現象でそれを見てないからって
『叶ってない』にはならない。
《これ!》っていう
自分の中で決めてる現象を見てないからって
『叶ってない』って決めてるのは誰?
『叶ってない』そう決めてるから
『叶ってない』と感じる景色を見る。
味わってる感情を
また味わうことになるのだから。
去年の12月から内観がすごい進んで、
その中で思ったんだけど
《現象は何の証拠にも許可証にもならない》
んよね。
【私が先、現象は後追い】。
早くその景色を見たいと思うならなおのこと、
『先頭である私』が
『叶ってない』という思いから脱出していないと、
その景色は見れない。