わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

エゴに呑まれて気付いたこと③

エゴに呑まれたことで


①いい気分を感じてるのに現象が変わらない

そんな不満を持っていて

いい気分でいる時間より

不満を感じてる時間の方が長かったこと


②望まないものを取り除くことが

望む景色を見ることになると思って

望まないものを無くそうと必死になっていたけど

望まないものに意識を向けることで

『望まない景色を見てる自分はダメ』

『この私では叶わない』

『変わらなくては』

そんな思いを強くしていたこと


そういうことに気がついたわたくし。


いずれにしても、何にしても

望む景色を見れてないことに対する不満で

心の中はいっぱいだったと思った。


そして

③そういう自分のことを

無意識のうちに責めまくっていた。


あじゃないからダメなんだ

こうじゃないからいけないんだ

もっとこうしなきゃ

もっとああしなきゃ

こうならなくちゃいけない

こういう態度をとらなくちゃいけない

これではダメだ

何で私はこうなんだ

あの子のようにならなきゃ

あの人のように振る舞わなきゃ

こんなんじゃダメ

ほら、全然景色変わってないじゃん

このままでは叶わないよ

どうするの?

もっと頑張らなきゃ

ちゃんと変わらなきゃ

こうならなきゃ

ああならなきゃ・・・


そんなことをどれだけ思ってきただろう。


そうやって、自分のことをたくさん責め立ててたことを自覚した。


責めることや否定することから

なかなか脱することができない。


それだけ否定が『当たり前』だったからだろうか。


『自分どうしたい?何がいい?』って

聞ける自分になってはいたけれど

その何倍も、何十倍も

私は私を責めてた。


ものすごく煽ってたなと思う。

自分を鼓舞して

無理矢理やらせてたこともたくさん。


本当はこうしたいのに、こう在りたいのに

ねじ伏せて押さえつけてた。


それは全部

望む景色をみるためだった。


望む景色を見れてない今の自分ではいけない。


そうじゃない自分にならなくちゃと必死だったんだと思う。


自分とは違う人が

私が欲しいものを手にしている。


『私もその人のようになれば受け取れるのかな』


そんな風に感じてた気がする。

それも、うんと小さい頃から感じてた気がする。


幼い頃から、周りに対して

「いいなー」と思ってたことがたくさんあった。

いつも周りが羨ましかった。

「私にはない」

「私も欲しい」

「今の私にはない。じゃあ、どうなったら貰えるんだろう?あの子のようになったら貰えるの?」


私は、ただただ、欲しいものが欲しくて

それを手に入れられる私になりたくて

頑張って自分を変えようとしてきた。


欲しいものを与えてもらえる

そんな私になりたかった。

心の中はいつも

『与えてもらえない』『ない』という不足感で

いっぱいだったんだね。


それは今もきっと変わってない。


根底にあるのは

『与えてもらえない自分』

私にはない。与えてもらえない。

このままでは叶わない。


今の私のままでは受け取れない。

与えてもらえない自分はダメなんだ。

このままではいけない。


私が悪いから与えてもらえないんだ。

貰いたいなら変わらなきゃ。


根底にあるのが

『与えてもらえない自分』『ない自分』で

『そんな私を否定して』

『変えなくちゃ』と思っていたら


【現象は内面の投影】。


『与えてもらえない』自分

『ない』自分を繰り返して

『そんな私を否定して』

『変えなくちゃ』と思う現象を見るのは


当たり前のことだった。