わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

なんとなーく分かったこと

これまで

「こうなったらいいな」と思えば思うほど

それが遠のくような感じがあった。


それは

『与えてもらえない自分』がベースで

『与えてもらえる自分にならなくては』と

必死になっていたから

願望を持てば持つほど

『与えてもらえない自分』が強固になって

ますます『与えてもらえる自分になる為に』

必死にならざるを得ないような

そんな状況がきていたからだと思う。


そのことが、なんとなーく分かった。


与えてもらえない自分

それは

今のままでは叶わない自分。


欲しいと思えば思うほど

与えてもらえてない自分に意識がいく。

このままではダメなんだという思いが強くなる。

今の自分を変えなくてはと必死になる。

必死になる現実が繰り返される。


必死になる現実、それはつまり

与えてもらえてない自分が

与えてもらえる自分になるために

必死に、一生懸命、頑張っている現実。


必死に、一生懸命頑張っている私は

与えてもらえるように頑張っているわけだから

まだ与えられてないってことだよね。

受け取れる自分になってないってことだから

結局いつまで経っても

「欲しいそれ」は得られない、受け取れない。


なるほどなーと思う。

良くできてるね、潜在意識。

って、当たり前か。

現象は内面の投影なんだから。


私が

今の私で受けとること、与えてもらえることを

「無理なんだ」と思っていたら

そりゃ延々「受け取れない」よね。


なんかねー。

おかしいなーとは思ってたんだ。

なんで私だけ、こうも「叶わない」と感じるのか。

何ヵ月も何ヵ月も「変わらない」と感じるのか。


本当に不思議に思ってた。


でもね、なんとなーく分かった。


自分に許可を与えてたつもりだったけど

『私は、今のままでは与えてもらえない』って

思っていたわけだから

私が私に出してる許可の範囲って

実はものすごく小さかったんだよね。

「この程度ならいいよ」みたいな。


自分の存在全体に対する許可じゃなくて

自分の中の、ほんの一部にだけ許可を出してた。

というか、

全体に大きく許可を出してるつもりだったけど

『私は与えてもらえる存在ではないから』

という観念が邪魔して、それをはね除けて

結果的に『一部分だけの許可』になってたような

そんな気がする。


なるほどねー。なんとなーく分かった。

何が私の邪魔をしてたのか。

本願を手放してラクになった理由も合点がいった。

『与えられない私』を強固にして頑張ることを

しなくてよくなったからラクなんだ。


望めば望むほど遠のく理由も分かった。

『与えられる私』になる為に必死になってたから

《必死に頑張り続けられるように》

それは常に遠くにあったんだ。


なるほどねー。

意図だけでいいって

達人たちが言ってた理由もなんとなく分かる。

頑張る必要なんて、ホントにないんだ。

与えられない自分を止めるだけで

きっと良かったんだ。