何かの記事で読んだのだけど
叶ったを体験するには
叶ってないを体験しておく必要があるんだって。
だから
「叶った!うっそ~夢みたい!ほんとにこれ信じていいの?」
という感じで、
叶った瞬間に喜びを爆発させるようなイメージをしていたら
そう感じられる分だけの「叶ってない」を
前もって体験する事になるということ。
「どんなにイメージングしても現象が変わらない」
という理由は、途中で取り下げてしまってるとか
まぁ色々あると思うんだけど、
もしかしたら
「叶った!」
という喜びを存分に体験するために、
そのオプションとして
「叶ってない」
と感じる時間を
長めに体験しているのかもしれないよね。
叶った瞬間に
それを「奇跡だ!」と感じて喜ぼうと思ったら、
それを「奇跡だ!」と感じるだけの真逆の状態を味わっておかないと
「奇跡だ!」は成立しないもんね。
なんかこれは、
大いにあり得るなと思った。
「叶わない」と感じることが当たり前だったから
「叶う」ってすごいことのように思いやすくて、
「引き寄せの法則」なんて言葉は
知った当初は本当に魔法のようで魅力的だったもの。
今でもなかなか「現象が動かない」
と感じる時は、
「叶ってないを叶えるのが当たり前」
になっちゃって、
「叶うってすごいんだ!」
と思っちゃって、
それが余計に
「叶ってないと感じる期間」
を伸ばしちゃってるのかもしれない。
それは、叶った瞬間に「すごい!」
と感じられる私になるための過程。
つまり、それも含めて
やっぱり「叶ってる」ってことになるんだよね。
でも、
イメージングできた時点で「既にある」訳だし
その内面になった時点で「もう叶ってる」訳だし
その内面にくっついて「現象」は起きるのに、
「叶った喜びを爆発させたい!」
という思いを間に挟みたいのはなんでなのかな?
我慢した方が喜びが大きい❗️っていうあれかな?
それだけ頑張った私はすごい❗️ってやつかな?
けど、そうやって先延ばしにすることで
「現象がくっついてこない」
とグルグルするくらいなら
先延ばしになんかしないで
さっさと受け取っちゃえばいいんだよね。
叶える過程で止まって、
そこですごいと感じる為の時間を過ごすより、
叶えたあとの世界を受け取って
その世界を堪能すること。
本来の目的ってそこじゃん。
なのに、いつの間にか「叶う」「叶わない」
にとらわれて、そこを見失ってた気がする。
コントラストなんて、もういらないな。
「叶った!」という喜びを強調するための過程なんて、もういらない。
通販と同じ。
商品はスッと受け取って
その商品(内面の世界)を私は楽しみたいわ。