数日前、ひょんなことから、
献体について調べていたわたくし。
何がきっかけだったかは覚えてないんだけど、
「自分の亡骸を提供する人がいるんだ」
って思った。
その時、Wikipediaに献体をした著名人の名前が乗ってたから、その人たちのWikipediaにも飛んで内容を読んだ。
著名人の一番下には、穂積隆信さんっていう俳優さんの名前が乗ってた。
2018年に亡くなった人だったから「どんな作品に出てたんだろう?」って興味が出て、特によく読んでたんだけど、でも残念ながら、出演作品を見る限りでは「あぁ、あの役の人!」などとは思えなくて、写真を見ても分からなくて「そういう俳優さんがいたんだな」くらいだった。
ところがその翌日。
『世直し公務員・ザ公証人』っていう二時間サスペンスがあるんだけど、その再放送をなんとなく見ていたら、最後に出た出演者の名前の字幕スーパーのなかに穂積隆信さんの名前を発見!!!
「なんか見たことある名前・・・ あっ?!?!」
「やっぱりそうだ!!!」
でも、どの役柄だったのか分からない。
ということで、
今度は公証人の二時間サスペンスを検索。
そして「あぁ、この人がそうだったのか」と、
やっと穂積隆信さんを知ることが出来た。
多分「この人はどういう人なんだろう?」と思った時から、この人を知ることが出来る過程が始まってたんだろうな。
流れでいうと、
『知りたい→知ろうとして調べた→放置→知れた』
って感じになるのな?
「穂積さんについて知ることが出来る」と決めていたわけではないし
「知れて嬉しい」ってイメージをしていたわけでもないから
願望=実現とか、現象は内面の投影とか、
そういうので考えるとワケわからんけど
じっと見ていたわけではない出演者の字幕スーパーのなかで、穂積さんの名前が出たタイミングをたまたま見たっていうのは、
穂積隆信さんについて知れるチャンスだよって言われた気がするんよね。
「知りたい」と思っていたから、
「知りたい」を叶えることが出来たってことになるのかな?