わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

窒息しそう~(>_<)から気づいたこと

職場が息苦しい💦

現実すべてか
【私の内面の投影である】というならば

この窒息しそうな職場もまた
『私が私を締め付けていることの現れ』
なんだと思う。


自分にも他人にも
「こうあるべき」
というルールや
「こうしたらいいのに」
という思いの強いわたくし。

これは、周りに左右されて生きてきた私の中に
「こう動いてくれたら、私はこんな大変じゃないのに」
っていう思い、周りへの期待や怒り、
そういうものが、ずっとあったからだと思う。


どうしても周りの顔色を窺ってしまうんだけど
本当はそれ、しんどいんだよね。
やりたくないの。ストレスすっごい溜まるし。

周りの機嫌を損ねないようにとか、
空気を壊さないようにとか考えることで
本当は気が付いててもやらなかったりして
そのせいで私らしさはドンドン失われてくし、
それをすることに使うはずだったエネルギーを抑えるから
実は自分、めちゃくちゃ圧迫されてるんだよね。
ホントに良いことナシなの(ーー;

でも、やらずにはいられない。
自分の身を守るために。

でも本当はしたくない。

だから段々
「私にそういう気遣いをさせる周りが悪い」
って思うようになったんよね、きっと。


自分は、自分の保護のために
周りへの気遣いをやめるわけにはいかない。
そりゃそうだよ。
周りのご機嫌を損ねると
自分の生命、安全、そういうのがヤバイって思ってんだから必死になる。

でも、本当はもう嫌。
たくさんのしんどさが

「周りがもっと私に気を遣ってくれたら
こんなことしなくていいのに」
「私にもっと配慮してくれたら
こんなしんどい思いしなくていいのに」
「こういう風に動いてくれたら
私はこう考えなくていいのに」

そんな感じに転じてきて
それはいつの間にか、
自分に対する「こうしなきゃ」ってルールだけじゃなく
周りに対する「こうあるべき」ってルールにも
繋がっていったんだと思う。


自分を犠牲にしてきたことや
その上で周りも縛り付けていたこと、
そういう窮屈さが、
いまの職場の圧迫感や息苦しさを生み出してるんかなって
いまそう思う。


社会もそう。
「そんなんいる?」っていう決めつけが多いって最近思う。

前は、ルールがあるのは秩序を守るためだと思ってたから
ちゃんと決め事があるのがいいことだと思ってた。
でも、
ルールがあると、何かをやったり、決めたりする自由がなくなる。ルールから外れた選択をすると叩かれる。

私たちの人生って
そんな圧迫されたものなんかなぁ??
天文学的な、すごい確率で生まれてきたと言われている私たちなのに、あれやこれやの些細なことにとらわれて、自分の意思のようでいて、実は誰かが作ったルールに則って生きている。


それってちょっと
ちっぽけすぎやしないかぃ?


今日Yahoo!ニュースで、俳優大浦龍宇一さんの
年の差再婚の記事を目にしたんだけど、
それを読んで私は純粋に「おめでとう!」って思ったよ。

子供さんのこと、
年齢のこと、
二人が一緒にいられる時間のこと、

色々考えられたと思うよ。

それでも、
この世に生を受けて出逢ったこと。

その中で
お互いに抱かれた相手への想いを大切にされたこと

私は素敵だなって思う。

すごいことだと思うんだよね。
全然違う人生を生きてきた二人だよ。
同級生で机を並べてたのとは訳が違う。
勉強も恋愛も、多少の試練も経験したであろう頃に産まれた奥さまと、こうして巡り会って結ばれた奇跡。
お互いを愛しいと思った奇跡。
家族になった奇跡。

それを
『年齢』とかなんとかで縛り付けて見てしまうのは
天文学的な確率から産まれた私たちにとって
ものすごく惜しいことなんじゃないかな?
勿体ないことだと思う。


「ああすべき」
「こうすべき」
ほんと要らないと思うんよね。

たとえ後々頭を打ったって
それがその人には必要だったんだし
周りがどうこう言うことじゃない。

むしろ、なぜ頭を打ったその人を
「大切な経験したね」って
サポートしてあげられないのか。
頭を打つことは悪いことじゃないし、
頭を打つまでにあったことも悪いことばかりじゃない。
それなのに、何かあるとすぐ
浅はかだとかいうジャッジがついてまわる。

そういうジャッジをする人は
「後悔するようなことを選ぶなんて愚かだ」
「自分は絶対けなされたくない」
そういう縛り付けが
往々にしてある人だと思う。

ルールに則って生きてる人は
現代社会から見ると
すごく真面目で優秀な適応者だけど
実はすごく臆病で
自分で決めたようでいて
実は他者に決められている人生を送っている気がする。

誰かが決めた常識
誰かが決めた当たり前

私も含めてね。


本当に「生きてる」人は
自分の気持ちや思いにもっと正直で、素直で、
そんな風に生きるにあたっての締め付けが少なかったり
その都度捨て去ったりすることの出来る
「強さを持った人」なのかもしれない。


私は、自分の目の前の景色を
「息苦しい」って思ってる。
私自身に対して
「厳しい」「決めつけが多い」とも思ってるし、
周りに対しても
「こうするだろ普通」みたいな
自分がしんどい思いをしたくないが故の
私目線の決めつけを持っていることにも気が付いてる。

これらはもう捨てられる。
自覚できるところまで出てきてるから
あとはポイするだけ。


長く感じてきた息苦しさは、きっと解放できる。


私もきっと、天文学的確率で与えられたこの人生を
本当の意味で「生きられる強い人」になってやる!