わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

『現象』に思うこと

昨日、思わず怒りを表現したあとに
「怒りたかったんだ」ってことを自覚した。

その夜、スッキリ感とモヤモヤ感とが
交互に来る感じでずっと考えてた。

こういう時、頼りになるのが天寿さんのブログ。
気になった記事を片っ端から読ませてもらって、
やっぱ極論『自分との関係なんだな』と思った。


私は、私との関係がメチャクチャだった。
思ってること、感じてること、全てねじ伏せてきた。
それは、自分を守るためだった。
我慢してでも、ゴタゴタや争いを避けたかった。

けど、それが何をもたらすかを知って、
自分の気持ちを感じるようになって、
関係は以前より良くなったと思ってた。


でも、この現象(現実)の中に身を置いてると
やっぱりたくさん無視してるし、否定してるし、
傷付けてるし、悲しませてるし、我慢もさせてる。

それが投影されてこの現象なんだってことを
うまくいえないけど、感覚として感じた。


私が頭ごなしに私を否定してたからなんだ
嫌いな人がいる自分を否定してたからなんだ
自分の気持ちを無視してたからなんだ
「もっと◯◯できなきゃいけない」とか
「周りに◯◯してもらえない自分はダメなんだ」とかいって、自分の心を追い込んでたからなんだ

たくさんの
『自分を否定して、けなして、追い詰める思考』が私の中にあって、
それらが私を否定し、けなし、追い詰め、悲しませ、傷つけ、怒らせ、苦しめる、そんないまの現象を創ったんだということが、よくよく染みてきた。

『私は私の心の中にいる』

なるほどな、という感じ。


現象を気にして、それを何とかしようとすればするほど、自分を見なくなる。自分と距離ができる。
それをいま、ものすごく感じてる。

やっぱり現象は、私の心を知るための指針であって
全てじゃない。どんな出来事も、他人も、私の現れであって、重きを置くものではない。

そう考えると、多くの達人が
『意図が全て』『意図を取り下げないこと』って
言葉を残したのも、本当に合点がいく。

私は、自分の心のなかを生きている。
とすれば、心で「こうである」と決めたら
その心のなかを生きることになるのは道理。

現象には何の力もない。よく分かる。

私が取り組むべきは、私の内面。心。

現象が痛いものなら
私の心が痛んでいる。
現象をなんとかするんじゃない。
私の心の痛みを私が癒す。
だから現象も変わる。

それだけのこと。


現象は、私の心の映し出し、指針。
現象が変わったら嬉しいけど
それは内面が変わったことの現れ。
現象様のおかげではない。
私のおかげ。私が主。私が全て。

だから本当に現象なんて「関係ない」んだと思う。
目の前の景色がどんなものに見えてても
私の心が変われば変わる。
それが現象だから。

私は、どんな心のなかを生きたいのだろう?

本当にただ、それだけな気がする。