達人と呼ばれるたくさんの人が残してくれた言葉には、いつもとても助けられてきた。
☆思い浮かぶ願望は、既にあるから思い浮かぶ。
→なので、創り出す必要はない✨
☆思い浮かぶそれらは、 今の私で叶えていいもの。
だから浮かぶ。
→なので「あれしなきゃ、これしなきゃ」は不要。
「○○だから無理、叶えられない」という事も
有るわけがない👍️
腑に落ちるまで難解だったけど、今では
《シンプルだけどホントに大元を突いてる言葉》
だと思う。
あと、やはり最上級に何回だったけど、やっぱり大きいのは【現象はあと】ってところ。
目の前の現象をしっかり見て、それに沿って生きてきた真面目さんほど、ひっくり返すのが難しいかもしれないけど、
【意識が現象を創り出す】という点は大きい。
私は、これを採用する事は、すごく難しかった💦
これまでとはまるで違う考え方。
自分を押さえ込んで、我慢してまで、
目の前の景色を絶対的なものとして見てきた私には
現象に対する手綱を弛めるということが
どうしても出来なかった😓
【現象はあと、意識が先】
概念では分かってる。でも、結局は全て
『現象で特定のそれを見るため』になってしまう。
何をするのもそう。現象とにらめっこ。
これをやったら変わるかな?どうかな?
いつも見張ってた。
現象を軸にする生き方が本当に抜けなかった💧
例えてみると、そうだな。
英単語や文法を詰め込んで、
頭では色々分かっていても
(ペーパーテストは高得点!!)
実際喋ると
発音やイントネーションに難がある感じ?
(実践ではもう一歩・・・orz)
英単語や文法が分かるから話せるんだけど、
正しい発音じゃないから伝わらないから、
実践で勉強しなくちゃいけないんだけど、
怖くて出来なかった、みたいなね。
もし『現象は後、そういうもの』とシンプルに受け入れられてたら違ったと思う。
でも、現象にベッタリだったから、そんなの無理。
だからまず、知識を得て道をならしていく、という、ながーい過程が必要だったのだろう。
実際、
イキナリ『そういうもの!』とごり押しして、
【意識】を前に持ってきていたら、
心が壊れてたかもしれない、私の場合。
理屈で自分を納得させて合わせてきて、
それを正しいものとしてたが為に、
色々抑え込んで、体調崩したからね。
いきなり
『違いました!変えましょう』っていわれても、
そりゃ聞く耳持てなかったと思う💧
新しい認識に取り替えて馴染ませる過程が、
私にはしっかり必要だった。
けど、認識の変更がどんなに進んでも、
『現象を基準にすること』はホントに別だった。
それをやめるために
『現象化はしなくていいもの』
『求めてはいけないもの』
っていう方向に意識が向いた事もある。
現象化が待ちきれない状態は、
「その私」から外れる可能性もあるが、
《現象化はすると分かってるから待ちきれない》
と考えたら、現象化を求める気持ちそのものを否定することは
ないんだけどね。
届くと分かっているものが中々来なかったら
「あれ?」ってなる。
けど、目の前の景色こそ現象化であり、
配達途中の景色。
その景色は、私が決めた後に起きてきた物だから、
その景色の中に、決めたことが含まれてるはずだと
思うのは当然。その意識があるから探してしまう。
例えば喉が乾いた時、
ペットボトルに手を伸ばす時間があるように、
決めたことが見えるまでには時間がある。
それを飲むと決めた以上、
飲むそれはあって、既に実現している。
現象化もしている。
(☆選ぶものは既にある)
実際口に含むまでには時間があるけど、
もう「ある」んだから、別に何もしなくても、
時がきたら飲めばいい。
(☆今の私のままで叶えていい)
忙しくて思ったタイミングで飲めなくて
「いつ飲めるんだ」と思っても、必ず飲める。
そんなもんなんだと思う。
認識が腑に落ちたばかりの今の心境としては、
《それは浮かんだ以上、どうあがいても現象化して
いるので、それを見る時は来る》って確信に近い。
理屈屋の私らしい文言だ😑