私が見てる景色は、
【かつての内面の投影】だけど、
叶った私が投影された景色でもある。
シンクロっていうのは、
その入り交じった世界に垣間見える、
叶った状態に近い景色なんだと思う。
私は今、とあることを意図してるんだけど、
それを意図した翌日、
私が意図したことに近い状態を叶えてる人の話を
目にした。
それは外国の話だったけど、
年齢とか職業とかがマッチしていたから
「あぁ一緒だ。やっぱ現象化してるんだ」
って思った。
それは、霧が強く出てる日でも、
一部はちゃんと見えることに似てるかな。
意図した現象は、
隠れてるように見えても既にある。
その一部が見えるのがシンクロ。
だから、
シンクロって特別なことじゃなくて
当たり前なんだと思う。
といっても、
シンクロが見えないとダメって事はない。
だってシンクロは、
望んでる景色の一部が垣間見えたものだから。
その世界にいる目印にはなるかもしれないけど、
それは絶対的に必要なものじゃない。
だって叶ってる、実現してることがベースだから。
見たいのは一部じゃない。
だからシンクロは
見えても良いし、見えなくてもいい。
既にその状態が実現してるのが当たり前だから
見えたら見えたで嬉しいけど、
特別なことではないよね。
実現してるのは当たり前=見えるのは当たり前。
ただ、
「証拠が見えるはず」
「私はちゃんとその世界にいるの?」
などと思って、
シンクロという証拠を現象に探してしまうと、
『叶ってる証拠がほしい叶ってない私』
になってしまうから注意。
シンクロは、あくまで意図したことの一部。
それが垣間見えるだけなので、
シンクロがあるから叶ってる、
シンクロがないから叶ってない、
という判断は成り立たないということ。
叶ってるからこそ見えるとも、
叶ってるからこそ見えないともいえるということ。
もちろん時間が経てば、
以前の認識は投影され終わるから
望んでることが出てきやすい
=シンクロが起こりやすいっていうのは
あると思うけど、
シンクロ関係なく、
バンッとそれが出てきても良いわけだからね。
よく言われることだけど、
見えたら楽しめば良いけど、
見えることにこだわらなくていいもの。
それがシンクロだと思う。