わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

シンクロに思うこと🙄

私が見てる景色は、

【かつての内面の投影】だけど、

叶った私が投影された景色でもある。


シンクロっていうのは、

その入り交じった世界に垣間見える、

叶った状態に近い景色なんだと思う。



私は今、とあることを意図してるんだけど、

それを意図した翌日、

私が意図したことに近い状態を叶えてる人の話を

目にした。


それは外国の話だったけど、

年齢とか職業とかがマッチしていたから

「あぁ一緒だ。やっぱ現象化してるんだ」

って思った。


それは、霧が強く出てる日でも、

一部はちゃんと見えることに似てるかな。


意図した現象は、

隠れてるように見えても既にある。

その一部が見えるのがシンクロ。


だから、

シンクロって特別なことじゃなくて

当たり前なんだと思う。


といっても、

シンクロが見えないとダメって事はない。


だってシンクロは、

望んでる景色の一部が垣間見えたものだから。


その世界にいる目印にはなるかもしれないけど、

それは絶対的に必要なものじゃない。

だって叶ってる、実現してることがベースだから。


見たいのは一部じゃない。

だからシンクロは

見えても良いし、見えなくてもいい。


既にその状態が実現してるのが当たり前だから

見えたら見えたで嬉しいけど、

特別なことではないよね。


実現してるのは当たり前=見えるのは当たり前。


ただ、

「証拠が見えるはず」

「私はちゃんとその世界にいるの?」

などと思って、

シンクロという証拠を現象に探してしまうと、

『叶ってる証拠がほしい叶ってない私』

になってしまうから注意。



シンクロは、あくまで意図したことの一部。

それが垣間見えるだけなので、


シンクロがあるから叶ってる、

シンクロがないから叶ってない、


という判断は成り立たないということ。


叶ってるからこそ見えるとも、

叶ってるからこそ見えないともいえるということ。


もちろん時間が経てば、

以前の認識は投影され終わるから

望んでることが出てきやすい

=シンクロが起こりやすいっていうのは

あると思うけど、


シンクロ関係なく、

バンッとそれが出てきても良いわけだからね。


よく言われることだけど、

見えたら楽しめば良いけど、

見えることにこだわらなくていいもの。


それがシンクロだと思う。