わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

怖いという気持ち

例えば行列に並んでいても、

順番がくる直前で踵を返す癖があると

気付いたわたくし。

そしたら、ある人とまた連絡取り合いたいなーって

思ってたんだけど、

“その人とのやり取りは楽しかったけど

なんかいつも怖いと思ってた”

ってことにも気が付いた。

何が怖いのか?

それは、嫌われること。

話していて嫌われることが怖かった。

楽しみな反面、

着信画面にその人の名前が出るとビクッとした。

私はいまでも、あの頃のようにその人と

楽しく話がしたいと思ってる。

それは本当。本当なんだけど、

でも・・・ やっぱり怖いと思ってる。


【全ては内面の投影】だから

私が『嫌われるかも』と怖がっていたから

そう感じる現象を見たんだと思う。

最初は、ホントに気が合って楽しかった。

それなのに、段々否定されることが増えて、

嫌な気持ちになることが増えて、

「今度は何言われるんだろう」って

話したい気持ちがある反面、

話すのが怖くなったのは、

私が内面で『怖い』を見ていたからだと思う。


《怖いと思ってたから、怖いと感じる現象を見た》

だとするならば。

元々の『怖い』はどこから生まれたのか?

その『怖い』があるから

次の『怖い』がやってくる。

多分、行列に並んでいても

順番がくる直前で列から外れたくなるのは

受け取ることに抵抗があるから。

その抵抗の根底にあるのも『恐怖』だと思う。

例えば「なんであの子が受け取ってるの?」

って思われたくないとか、

「あの子が受け取ったからこっちに回ってこなかった」

って言われたくないとか。

もしかしたら、覚えてはないけど

そういう風に言われたことがあるのかもしれない。

そういえば、いつだったか、

『妹に回してあげれば良かったのに』

って、母親に言われたことがあった。

今となっては

『なんで私に回ってきたものを!』

って思うんだけど

考えてみればこれも

『なんであなたが受けとるの』

って言われてるのと変わらない。

不服だよね、これ。


【現象は内面の投影】ってところに立ち返るなら

私が私にたいして

『私は受け取ってはいけないのでは』

等と思っているから

そう感じる現象を見たといえる。

不服な世界を見たのは、

私が私に不服な思いをさせていたから。

けど、何が発端かはともかく、

そういう言動で私は

『受け取ると批判される』という恐怖心を

強くすることになった。


癒してあげなくては。

私がその怖さや拒否感、否定感を

和らげてあげなくては。

私が味わったことだもの。

本当に癒せるのは、私しかいないんだから。