わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

怖さの原点

ある願いを叶えたいと思ってた。

でも実際そうなったら

怖いと思ってることに気が付いた。

その人とのやり取りは楽しかったけど、

着信がいつも怖かった。

連絡来ないと不安になるくせに、

着信があったらあったで怖くて・・・


「そっか、怖いんだね。うん。

確かに怖いと思ってた。怖かったよね」

初めてその気持ちを直視した。


怖かったって気持ちが、

静かに、たくさん出てきた。

私はずっと「怖かった」って

そう言いたかったんだと思った。


大体意図してから3日目くらいにくる衝動は、

この怖さを味わわないようにするための

逃げだったのかもしれない。

「もういいやー」って放棄してしまえば、

受け取らなくてすむ、つまり、

怖さに直面しなくて済むもんね。


そうやって

「あー怖かったんやなぁ」って感じていたら

ふと思い出したことがあった。

それは、私が生まれた時の話。

父方の祖父は、私が生まれた時、

「なんだ、男の子じゃないんか」

って言ったんだって。

それで看護師さんに

「男の子でも女の子でも関係ない!」

って叱られたっていう笑い話やってんけど、

生まれて間もない時だって

耳は聞こえてるっていうから

その祖父の言葉を私が聞いていたら

「私という存在自体を受け入れられてない」

「生まれてきちゃいけなかったんだ」

って思っても無理ないかなぁと思った。

今こうして、記憶を辿って書いていても

ちょっと悲しいもんがあるもんね💦

「私は女の子だから必要とされてない」って、

赤ちゃんの私が感じていたとしたら

『私なんかが』って思うのも

道理のような気がする。


思えば私、いつもビクビクしてた。

親は仲が悪かったし、

ケンカにならないようにいつも空気を読む子で

家で落ち着けたことなんてなかったんよね。

けど、それも

『私は邪魔もの、余計もの』

っていう、生まれた時に感じたものが

内面にあったせいだとしたら。

っていうか、

元々そういう課題を持っていたから

「なんだ、男の子じゃないんか」

って言う祖父を創り出したといえるのかも。

【現象は内面の投影】だから。


そういえば私、20代の頃、

祖父母の介護、やりたくないのに

最前線に立たされて、

母親もやりたくないもんだから

私にうまくなすりつけてて、

「なんで私が」って思いながらも結局、

無理しながらでも

やらずにはいられなかったんだけど

今思えばこれ、

祖父に認めてもらいたくて

一生懸命やってたのかもしれない。

だから、お礼でお金もらうのが

めちゃくちゃ心苦しかったのかも。

お金をもらうのが申し訳なかった気持ちも

ないことはないけど、

私が欲しかったのは、お金ではなくて

私が私であること、私が生きてること、

私がこうしてここにいることを

認めてもらう言葉だったから。


「これだけ頑張ってるんだから認めて」って

私はそう思ってたんじゃないかな。

その裏には常に「認めてもらえてない」

「認めてもらえないもしれない」

「ちゃんとやらなきゃ嫌われるかもしれない」

「何がきっかけで嫌われるか分からない」

「否定されないように気を付けなきゃいけない」

っていう

恐怖や制限があったんだと思う。

それが潜在意識にしっかり染み付いてるんだろう。

だから、仲良くしたい思いと同時に、

仲良くなることへの恐怖も強くある。


『私は邪魔もの、余計もの』

その観念が、嫌われる恐怖や

否定される恐怖を生み出していたとしたら。

内面にあるその観念が、

その観念を強める出来事を投影しているとしたら。


「なんであの子が」って言われるのも、

「妹に回してあげればいいのに」と言われるのも、

“やっぱり私なんかが受け取ってはいけないんだ”

って思うには、十分だもんね。

“やっぱり私は邪魔ものなんだ、余計ものなんだ”

って観念を強めることになる。

それを感じるのは怖いから

最初から受け取らない。

けど、その観念は常にあって、常に不安。

今度こそ嫌われるかもしれないって

いつも怖がって身構えてる。

そしてその内面通りの景色を見る。


私の怖さの原点は

“自分は必要ないかもしれない

邪魔者、余計者、除け者かもしれない”

ってところにあるのかもしれない。