いい気分になるためには
嫌な気分になるものを徹底的に追い払う。
それが私の長年のスタイルだった。
とにかく嫌なものや苦手なものを消す!!
私の幸せは、そうすることで得られるもの、
っていうか、
そうしなければ得られないものだと思ってた。
始まりを考えると、
ニワトリとタマゴの論争になるから置いとくとして
早い話、幸せと『感じられないこと』が多すぎて、
幸せと『感じられること』が少ない人生だったんよね。
どんなにお目当ての宝石も、
砂の山に埋もれていたら見えないのと同じ。
目当ての宝石=幸せ
砂の山=幸せじゃないこと
そうだな。私はずっと、宝探しをしてた感じかな。
幸せという宝を手にするために、
“幸せじゃないもの”を取り除く。
いい気分になるために
“嫌な気分になるもの”を取り除く。
やりたいことをするために
“やりたくないこと”を取り除く。
でも、そうすることで得られるものは
結局、
幸せじゃないもの、嫌な気分になるもの。
やりたくないことに意識が向くから
それがどんどん増えるし
それらを取り除かないと
幸せを感じることが出来ないというような
新しいブロック(条件)も生まれてしまう。
何より、幸せを感じることを
先延ばしにしていたら、ずっとそうだよね。
何も変わらない。変わるわけがない。
今幸せを感じることを先延ばしにしていたら
当然それがそのまま投影されて目の前の景色になる。
多分、許可できてないんだろうなぁと思う。
幸せであることを自分に許せていないから
「あれをしてからじゃないと」とか
「これが出来るようになってからじゃないと」とか
御託並べて先延ばしにしてる。
譲るとか避けるとかして、これをしたいとか、
こうでありたいから逃げてしまう。
幸せでありたいといいながら
許可してない
↓
許可していないので
幸せでいられない理由として
「これがあるから」というような言い訳が必要
↓
これ=嫌なこと。
↓
嫌なことを用意する=探す
つまり私は、幸せになる為に、
嫌なことを取り除いてるように見えて、
実は幸せになることを避けているわけだ。
嫌なことを探すクセは、
自分がいる場所を幸せにしたくない、
そこから来てる。
嫌だと感じるものを消す為には
そう感じるものが必要だからね。
『幸せになろうとしてるけどなれない』っていうのは、
幼い頃の私が、自分の身を守る為の術だった。
出来ることでも、わざと出来ないようにしたり、
得られるものでも、
わざと得られないように仕組んだり・・・
自分の状況が、良い方に変わっていくことは
かつての私には、非常にめんどくさい事だった。
「あなたばっかり得してる」とか
「あなたは楽でいいわよね」などというような
責めをかわす意味でも
たいして幸せでない状況っていうのは
ずっと必要だったんよね。
私にとっては、幸せでいるより、
幸せになろうとしてる状態の方が幸せで
安心もできたんだろうな。