「一緒にされたくない」という気持ち。
その気持ちをひもといて、最終的にいきついたのは、
『私には誰かの為にという強い気持ちがある』
ということでした。
「一緒にされたくない!」というのは
『誰かのためにという気持ちがない人、相手のことを思えない人とは一緒にされたくない』
ということだったんです。
ここだけ切り取ると「あんた神様か」というような、なんとも傲慢な言い回しに聞こえますが、そうではありません💦
後でまた書きますが、役割が違うだけの話なんですよね。
『誰かの為に』という思いやりの気持ち、それは、私は誰にでもあるものと思ってました。
でも、今の職場にはなかった💧
もちろん、思いやりがゼロとはいいません。でも、これまで関わってきた人間関係とは違ったんです。
「相手のため」と言いながら「相手の立場には立っていない」というんでしょうか。
その人が思う「相手のため」と、実際に相手がして欲しいと思ってることって異なる可能性もあるんだけど、そこまでは考えていない感じ。
「こうしてあげれば相手は喜ぶかもしれない」ではなく「こうしてあげれば喜ぶ」と思い込んでいる。「そうすることがいいこと」と、想像ではなく教え込まれている印象。
例えば、図書館で大きな音を立てないように配慮すること。
これが出来る人のうち、「そうしなければならないから」と思ってる人と「本を読んでる人がいるから静かにしてあげよう」と思ってる人とでは、同じ行動でも根っこが違う。
行動の動機が違う。
言われてやっているのか、考えてやっているのか。
『誰かの為に』という考えがない人には、そもそも図書館で音に配慮することすら出来ない。だから子供は、図書館でもはしゃげる。まだその認識がないから。
でも、その認識がある人でも、そうすることが普通と言われてやっている人と、更に深く「集中したいかもしれないから静かにしてあげよう」と思ってやってる人とでは違うんです。
私と、いまの職場の人達の間には、その差があったんですよね。だから、その人たちと一緒にされたくない、同じ扱いや評価を受けたくないと思ったんです。
でもそれは、どちらがいいとか悪いとかではありません。先にも書きましたが、役割が異なってるだけなんです。
続きます。