わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

問題だったのは...

大泣きしてからというもの、

猫たちがいつも以上に愛しくてたまらない。

猫たちの姿を見ているだけでも涙が出てくる😢


私はこの子達が本当に大事。

この子達と過ごす時間をいいものにしたい。


自分の中には、本当に深い愛情がある。

それを遠慮せずに、感じられるようになった。


その愛情は、大泣きするまでは

自分以外に向けられていた。

だけど、自分の状態に気付いて大泣きしてからは

自分にも向けられるようになった。


例えば、2つあるトイレのどちらに入りたいか?

ということさえも、自分に聞いて

その答えを尊重してあげる。

その時、私は、私に気にかけてもらってること、

愛情が自分に向いていることを感じている。


長年の習慣で、物事に一区切りがつくまで

休憩を取らないような所があったけど、

途中だろうがなんだろうが、

休憩を取りたい、息抜きをしたいと思った時に

出来るようになった。

自分を楽にしてあげるために。


自分が休みたいと思っているかどうかだって

自分に意識を向けていなければ分からないこと。

自分の気持ちを感じたり、

そのように整えてあげるということは、

過保護や甘やかしなどではない。

自分を喜ばせてあげる愛情だと思う。


その愛情を自分に向けられなかったのは

もっと頑張らなければ

幸せになれないと思っていたから。

つまり、今いる場所は幸せでないと、

私は決めていんだよね。

そして、自分は至らない、ダメなんだというように

自分を下げていた。

そんな自分を甘やかしたら、

もう頑張れなくなる。

幸せになることはできない。

幸せな世界にシフトすることはできない。


そう思って頑張らせていたけど、

私は充分に頑張ってた。

問題だったのは

『もっと頑張らなければ

幸せになることはできない』

『このままでは

幸せな世界にシフトすることはできない』

という考え方。

それを変えないことには、なにも変わらない。


潜在意識でそう思っていたら、そうなるんだから。

何をどんなに頑張っていたとしても、

結局『幸せでない世界』で

『幸せになるために』やってることになる。

そこで得られるものは

『幸せでない世界で、幸せになるために

頑張り続ける状態や景色』。


潜在意識がそうだったんだから

『ヨシッ!』ってことが起きたとしても

中々その世界に居続けられないのは道理よね。

まぁ、頑張る状態っていうのが当たり前すぎて、

頑張ってる自覚自体なかったんだから、

仕方ないんだけどね。