わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

子供の頃の習慣が前提に

私は、昔から家が嫌いでね💧

個室がなくて、いつもひとつの部屋にすし詰め。

それが嫌だった💧

「この空間から離れたい」いつもそう思ってた。


でも、体調を崩すことが多かったわたくし。

家が一番安心できるのも本当だった。

だから、居たい場所にリラックスして居られない

ってことが本当にキツくて、

家に居ながら、そのキツさから逃れるにはどうしたらいいのか、それが課題だった。

どうやったらその空間から逃げられるか。

どうやったら離れることが出来るのか。


自分がそんな風に思ってきたこと、これまで気にしてなかったんだけど、

お局様から離れて仕事したいと思ってるのを
「なんでかなー」って考えた時に、

そういえば、いつも何かあると、

その場を離れる選択をするクセがあるなー

ってことに気がついて、

それを掘り下げていったら、

『家の居心地の悪さから逃れたい私』

に辿り着いた。


“もしかして、自分が心地よく過ごすためには、

私自身がその場を離れなければ成立しないと、

そう考えてるところがあって、

それが今も現象化してる?”


初めてそう思った。


私が『心地いい場所に自分が移動する』

という意識でいる以上、

『移動しなければ心地よくない状態』が存在する。


変な話、お局様が嫌だとしても、

別の場所に行ったりしないで、

空間を共有することも出来ると思うんだよね。

もちろん離れてた方が飛ばっちり来ないし、

意識に入れなければ、それだけ惑わされない。

メリットは多々あるんだけど、

堂々とそこにいても、惑わされないことは出来る。

でも、私はそれをしない。

っていうか、とてもじゃないけど出来ない。

持っていかれるエネルギーが大きすぎるから。


ただそれは、離れたい、とか、

居心地のいい場所を探さなきゃ、とか、

そういう意識が染み付いているから、

そうせざるを得ない状況を呼んでるだけなのかなって思う。


【すべては内面の投影】でしょ。

逃げ出したい職場を創っているのは

私の内面、意識。


子供の頃からずっと意識してきた、

“居心地の悪い家から逃れつつも家で過ごす方法は?”

っていう、ねじれた方程式みたいなものが、

そのまま残ってる。


私は、逃れること、離れることで、現象を変えようとしていたけど、

でも内面が先。

内面に《居心地悪い状況》《そこから離れる》などの前提がある限り、

それを繰り返すのは道理。

この前提を変えなくちゃ。

《心地いい環境》《楽しい環境》

それを許そう。