わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

怒りの先にあったこと

私は、誰かの望む通りに生きて

それを褒められることが良いことだと

ずっと思ってた。


そのことに

ここしばらくの怒りの吐き出しを通して

気がついた。


誰かの望む通りに生きること、

それが良いことだと思ってやっていたけど、

今にして思えば、私はずーっと不服だった。

不服で、不満で、満足したことなんかなかった。


褒めてもらうなら、

誰かの望む通りに生きる中ではなくて、

私が思う通りに生きてる中で褒めてもらいたいと

今は思う。


例えば親が「こうしなさい」と言った。

その通りにやって褒められることを

「良いことをした 」とか

「正しいことをした」とか

「褒められた♪」とか思って

喜んでいたけども、本心は不服だった。

何故ならそれは、"私が" 褒められたというより、

"親を満足させることをした"という行動が

褒められただけで、

私自身が褒められたわけではないから。


本当の私は、親の言葉に従いたくなかった。

だから従った結果、不満を感じた。

私の本心で生きていなかったから

満たされなかったんよね。


そういうことに気付いて、いくつか合点がいった。

あふれかえりそうな怒りは、

本当の自分で生きれなかったこと、

本当の自分を見てもらえてなかったこと、

本当の自分を出させてもらえなかったこと、

そこに大きく由来してるし、

誰かに愛情を向けてもらえても

私自身で生きてる気がしてないわけだから

「愛されてる」なんて実感しようにも

出来るわけがなかったということ。


「何いってんの、この人」って

私ほんっとによく思ってて、

好きって言ってもらえても

「何も知らないくせに 」って思ったり、

「どこ見ていってんの?」って思ったり、

ほんとか?って疑うばっかりしてた。

「あなたが好きって言ってる私は誰?」って

ずっと思ってた理由が今なら分かる。

ただの「受け取り拒否」かと思ってたけど

それは違うっていうのも今なら分かる💧



私はずっと、これがやりたい!とか

こうしたい!とかでは生きてなかった。

潜在意識を知ってから、

そういう生き方を意識し始めて、

それでも最初はやっぱり

何がやりたいかなんて分からなくて、

最近やっと自分の気持ちに従って

満たすことが出来るようになってきた。

でもまだ満たされてない。

まだまだ自分の生き方というものを始めたばかりで、

私が私として、私を生きることが、まだ出来てない。

でも、もうこの姿勢を崩したくない、

譲りたくないって思った。

誰かの望む通りに生きて褒められても

それは私の生き方や、

私の何かを褒められたわけじゃない。

それを望んでいた誰かを満足させたから

褒められただけのこと。

自分を後回しにして

誰かを満足させる為の生き方をしていたら、

そりゃ不服で不満で当たり前。

そうしなきゃいけない習慣を植え付けられた私。

そのせいで台無しにすることになった

貴重な私の時間たち。

確かに戻っては来ない。

でも、繰り返さないことはできる!


誰かの望む通りに生きるんじゃなくて、

私自身が望む通りに生きる。

誰かの望む通りに生きて、

誰かを満足させて褒められたとしても

それは本当の充足じゃない。

それは自分じゃなくて

相手を満足させてるだけのこと。

それを忘れたくない。


自分の生き方や思いを犠牲にして誰かを喜ばせる。

それが嬉しい時もあろうし、

そういうのが良いって人もいるだろうけど

私はもう違う。

本当の満足は得られないと分かったし

それで整えられることなんて

砂上の楼閣でしかないってこともよく分かる。


だから私は、私をもう犠牲にしない。


怒りの先にあった

私は、私の声で生きたい!っていう心の叫びを

大切にしてあげなくてはと思う。