わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

悔しい気持ち

私の中に蓄積していた悔しいという気持ち。

総じて言えば
思う通りにならなくて悔しい!

その表現に一括されると思う。

そう思った細かな出来事は思い出せない。
思い出したくもないのかもしれないが

これまで気が付かなかった悔しいという気持ちも

気付いてしまえば、それは確かに
小さい頃からベッタリ引っ付いてあったなと思う。


私は気が強いんだけど
この気の強さ、根性は
『悔しい!』っていう気持ちがベースだと感じた。

悔しいから諦めなかった。
悔しいから踏ん張った。
悔しいから投げ出さなかった。
悔しいからこそここまで来た。

強くなれた自分、その心意気の強さ、
それは美しく、自分でも誇りに思うけど

ベースが悔しい!だったらば、
悔しい!と感じる出来事がまたやって来て
それを土台にしてクリアするというような
修行スタイルのゲームが繰り返されるのではないかと、そう思うところもある。

実際、クリアしては次が来るという展開を
私は数えきれないほど繰り返してきた。
その度に『なにくそ!』と思って乗り越えてはきたけれど、やはり悔しいという気持ちそのものを癒さなければ、それを感じる出来事とクリアのセットを
経験し続けることになると、そう思う。


『このまま終わってたまるか!』という強い思い。
この強い思いが
これまでの私を守ってきたのは本当。

けど、その強い思いこそが
乗り越えなくてはならない状態を
何度も連れてきたのも本当だと思う。


その気持ち自体は凄いのだから
それを現象と対峙することに使うのではなく

現象をスルーして
頑固といわれても望むことを見続ける、
そこに使うようにすれば、また違う気がする。

現象と対峙するから
乗り越えなくてはならない試練が来る。

対峙することを止めて
スルーして
望むことを味わい続けることに使えれば
望むことが投影される。

『うわっ』て思う現象は
少し前の自分が
『うわっ』て思うようなことに意識を向けていたからというだけ。
それを基準にして考える必要はない。

何するときも
基準は常に今の自分において
そこから望むものを見る。
それだけでいいんだよね。


そうは言っても
くすぶっている悔しい気持ちが
目の前の『悔しい』をほっとけない。

満たされるために
その景色を何とかしようとする。

すでに終わった内面の投影である
目の前の景色に何をしたって
その景色は終わったことである以上
何をしても変わらないのに

それを変えなきゃと思うほどに満たされてないから、見る景色がいつまでたっても変わらないという悪循環。


嫌な現象に対処してる時の内面なんて
大抵ぐちゃどろだからね。
一見すると、目の前の景色が発端となって
嫌な出来事が続いてるように見えるけど

実際はその景色に反応した時の内面が
同じような出来事を引き寄せてるだけのこと。

対処する対象を
現象ではなく、いまの自分の内面に変えないと
何も変わらないんだよね。
現象に何かする時だって
軸にすべきは自分の気持ち。

とはいえ、悔しい気持ちが渦巻いている以上
それが邪魔をするだろうから
この気持ちと、きちんと向き合ってあげなくては。

やっと気付いてあげられる時が来たのだ。
やっと助けてあげられる時が来たのだ。

そう思って
前向きに向き合ってみようと思う。