わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

腹痛と決意

夕方、仕事が終わった頃に
じわじわっと来た腹痛😖🌀💢

その鈍い痛みに
「また来た」
となったわたくし💦


今日ひとつ、
気持ちに整理をつけたから来た痛みだと
そう思った。


私の場合、この鈍い痛みは
何かに気付いたあとや、
整理がついたあとに来ることが多いので

腹痛=吐き出し

と定義してる。


最初は鈍痛だけど
後々キューッってなるから
ウェルカムな痛みではない。

だけど
心と体は繋がっていて

心から不要なものを出せたから
体からも出すことになってるんだと考えたら

不要なものがなくなったぶん
見る世界が変わってくるのだと思えて

これからの景色に
ワクワクしないでもない(^^)


ただ、今回の腹痛
いつもと違うのが

ここで一区切りついたのは間違いないんだけども
芋づる式に他のことがズルズル出てきて
スッキリとはなっていない点。


今日整理がついたそれは
大きなことだったんだけど

その分
大きな落とし蓋になってたんだと思う。

整理がついた

外れた

その下に抑え込まれてたものが出てきた。


抑え込んできたそれを
私はいま感じてる。

感じてるそれを言葉で表現するのは
ものすごく難しい。

色んな感情ごちゃ混ぜで

モヤモヤ
グニャグニャ
ベタベタ

そんな表現しか出来ない。

でも、そんな表現が一番適切。


なんか
めちゃくそ我慢してたんだなと思う。
んでもって
めちゃくそ自分を否定してた。

大分否定しなくなってたけど
それでも肝心な部分はいつも自分が間違ってると
そう思ってきたことに気が付いた。

例えば
私は遠出が好きじゃない。
でも身近に遠出が好きな人がいれば
「遠出が好きじゃない自分は良くない」と
そのように思ってしまう。

慎重な性格で
確認作業を重ねる私。
でもその確認も早い人がいれば
「確認に時間がかかる自分は良くない」と
そのように思ってしまう。


なんでそこまで
『自分が間違ってる』になるのか。

遠出が好きじゃないのがなぜ間違いになるのか。
逆に
自分が遠出が好きじゃないからといって、
遠出が好きな人はおかしいということになるのか。

自分の間違いを探して
指摘したり批判したり

なぜそんなことをするのか。

それは
自分は間違ってるという思い込みがあるから。

間違ってると思ってるから
いつも間違ってるところを探して
そこを正そう、改めようとする。

それは何故なのか。

そうしないと
受け入れてもらえないと思ってるから。


自分が受け入れてもらえるのは
自分が正しい時だと思ってる。

それはつまり

自分が正しい
イコール
周りが正しくないと証明できた時に限り

自分は受け入れてもらえると

そう思っているということ。


でも
『自分が間違ってるから受け入れてもらえない』

そう思ってる以上

目の前に広がる景色は
『周りではなく自分が間違ってる』と
そう感じる景色な訳でしょ。

その中で自分を否定して批判しても
受け入れてもらえる時なんて来るわけない。

だって
『受け入れてもらえない』がベースなんだから。

己の否定や批判、
間違い探しがエンドレスに続くことになる。

『そこを改めなければ幸せになれない』

その景色が延々と続いていくのは道理。

だって【現実は内面の投影】なのだから。


私が今
すごく思うことは

本当の意味での自己否定を
徹底してやめていこうということ。

いわゆる【自愛】。

あれができなきゃダメ、
これができなきゃダメ、

そんなものに囚われてきたけど

もう一切要らない!

受け入れてもらう為のおべっかも
もう言わない。

他人のご機嫌をとる言葉があるなら
それは自分に言ってあげる。

他人のご機嫌をとる時間があるなら
その時間、自分の為に使ってあげる。


私、これ程まだ自分を否定してるとは
正直思ってなかった。

謙虚さのつもりだった。

でも謙虚さとは違う。

自分で自分をバカにして
こけ下ろしにして
否定しまくっていじめてた。

そりゃ嫌な景色見るよ💦
自分が嫌な思いしてんだもん。
自分の欠点ばかり探してあげつらってたんだもん。
そういう景色見るよ、当然だよ💦


でも、あまりに当たり前にやり過ぎてて
同化しすぎてて、気付かなかった。


しばらくは
嫌な景色が続くかもしれないけど
私はもう自己否定やめる。
どんな時も【自愛】でいく。

誰かを褒めるくらいなら
私は私自身を褒めるわ。


【全ては自分をもっと好きになるため】

この達人の言葉が
ずっと心に残ってたんだけど

なんか分かる気がする。

私は
私を幸せにしたかった。

その為には
自分が愚かで間違ってるから
そこを正さなくてはいけないと思ってた。

でも違った。

そんなことする必要は
全くなかったの。

息が詰まるほどに自分を追い込んで
無理させて、我慢させて、周りに気を遣って

そんなことしなければ幸せになれないような
そんな存在じゃないのよ。


なぜ今のような景色を見ていたのか
それが今ならよく分かる。

『自分に無理させるほどのことをしなければ
私は幸せになれない』

そう思ってたのよ。

だから目の前の景色には
無理して合わせなければならないものが
たくさん投影されてた。

無頓着
意地悪
身勝手

私が私を抑え込まなければならないような人が
目の前の景色にはたくさんいた。

それらを何とかしなければ幸せになれないと、
いつの間にかまたがんじがらめになってたのは

私自身の中の
『自分は間違ってるから正さなければならない』
という条件が根強くあったからだと思う。

クリアしなければならない壁や
考え込むような状況も然り。

『自分を鍛えなくてはならない』
『鍛えなくては幸せになれない』

ホントに心の底からそんなふうに思ってた。


でも、もういい。いらない。

どんな条件もサヨウナラ。

私は
今のままの私でオールオッケー!!

周りの誰かが
何かの条件を持ち出してきたとしても
そんなの知らん✨

私は
今のこの私で完璧だし

成長しようともがいてた
さっきまでの私も完璧なんだ✨


そう思うことで怖いのは
自分が裸の王様になること。
周りの声を聞けなくなること。

だけど
【現実は内面の投影】ならば

大切なのは
いついかなる時も

『私自身の内面の状態』であるはず。


だったら
もっと図太く生きようじゃん!

自分の内面が幸せになる考え方、
自分の内面が喜ぶ考え方、在り方、

それは何なのか。

周りの目よりも何よりも

自分の望むこと
在りたい姿
在りたい状態

それを譲らないことが
一番大切なこと。

もっと素直に強く生きようじゃん。

【自愛】徹底する!!