わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

悔しい気持ちの収束

悔しいって気持ちの蓄積に気が付いたあと、

幼い頃の我慢とか
悔しさを感じたくないから欲求を抑え込んでたこととかにも気が付いた。

そしたら、

『あ~そっか。自分を大切に出来てなかったってこういうことだったんだ』っていうことに

辿り着いた。


こうしたいという気持ち、
こう在りたいという気持ち、

ぜーんぶ無視して...


それはね、
自分を守る為のことではあったんだ。


それは分かる。


悔しい思いしたくない、
悲しい思いしたくない、

そんな思い、もうさせたくない。

そう思ってた。


初めから諦めてたら
そんな思いすることないって
そう思ってたんだけど、


でも、違ったね。


諦めようがなんだろうが
欲しいもんは欲しかったんだもの。

それが手に入らないことで
悲しく感じる、悔しく感じる

それは

最初から諦めていようが
途中で諦めることにしようが

どっちにしろ感じることだったんだと思う。


なぜなら
それは私の心にあることだったから。

ある以上
『感じない』という選択肢は
存在しなかったんだよね。

見て見ぬふりしてたって
気が付かなくたって

それがあることに変わりないんだもの。

内面にあるそれを
投影である現象を通して感じるのは道理。

それがよく分かった。



悔しいという気持ちは
私にとって相当のものだったんだよね。

そう思ってたこと、感じてたことに
ホントに全く気が付いていなかったんだ。

それほど鈍感にならないとやっていけないほど
私にとってはキツくて、重たくて、
嫌なものだったんだよね。


それをホントに実感してる。


今は、多少とはいえ、
自分の気持ちを優先できるようになったから

その分、何もせずに抑え込むとか、
我慢するとかが減って、

感じる気持ちが以前とは大きく変わった。

だからここに来て
長く蓋してたその気持ちが出てきたんだと思う。



今はもう悔しいという気持ちを恐れてない。
認識してる。

だから
悔しかったからああいう態度を取ったんだとか
人に突っかかっていたんだとか
色んなことに合点がいってるし

今はもうちょっとのことでも
悔しいと思ってる自分に気付くことが出来るから
気持ちの深みにはまらずに
早くに自分を助けてあげることが出来る。

悔しいという気持ちを感じたくなかったから
どう在りたいかという気持ちも誤魔化してたけど
今は悔しいという気持ちも自覚してる分、
望むことも遠慮せず自覚出来てる。

結局、自分の思いを一番ないがしろにしてたのは
自分自身だったんだよね。

それがホントのホントに身に染みてる。


『それは気が付いた時点で終わってる』っていうのもよく聞くことだけど、それも本当だなと思う。
悔しい気持ちは、私が認識したからか、信じられないほど薄れた。


これからは、
もっと本当の意味で幸せを感じられるように
望みを自覚して、それをしっかり意図していこう。