わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

底をついて再び思うこと

とことん考えてると飽きがくるっていうのは
本当だね。

考えるだけ考えたら
私はもっと
ちゃんと大切にされて当たり前なんだから
片手間に相手されてると感じて悲しくなるような
そんな関係は終わらせて幸せになろう、
もっとちゃんと自分を幸せにしてあげようって

そう思ったよ。


人の気持ちっていうのは

底に突き当たると跳ね上がるのかな。

ハイテンションとは少し違くて、
ある種諦めに似てるかも。

色んな思いが吹っ切れたっていうか、

まず
考えても分からないことを考えてるのが馬鹿らしくなったよね。

常識、つまり、
大半はこうであるというデータと照らし合わせて
どうなんだろう、こうなのかな、
安心したくて、スッキリしたくて
そんな風に考えてたんだけど
データはデータ。
全てがそこに当てはまる訳じゃない。
だから検索かけてても、
AとB、2つの考えに基づいた記事があって
結局どっちなんだかため息が出る。

【全部私が創ってんのに何やってんの】って
ほんっとに馬鹿らしくなったよね。

それに、そうやってあれこれ考えるのは
その中で、自分の想いに理由をつけて
後回しにする為、我慢する為だってことにも
気が付いちゃったから余計バカらしいんだよね。

考えることって良いことのように思えるけど、
実は理屈で考えて、
その理屈と自分の想いを衝突させて
自分の気持ちに折り合いをつけてるって側面も
あるんだと思う。

そんなことに
自分のいましかない時間を使って
想いと心とをすり減らして
本当にアホだなって思った。

そんな暇あるなら、
常識も一般もいらん、どーでもいいから、
望むこと自覚して
そこに一直線に想いを注いでろよって思う。

考える癖が根強くあるもんだから
ちょっと自分の思うところから外れると
すぐ「あれあれあれ?」ってなっちゃうのは
分からないでもないんだけどね。
何回も繰り返す中で
そのループから抜けていくんだとは思ってるけど

それでも、もーいい加減
同じこと繰り返すのはやめようぜって思う。



私は、いつも相手の都合だとか、
気持ちだとかを優先して
自分の欲求を二の次、三の次にして
とにかく我慢する子だった。

それってね、
良く言えば物わかりが良い子なんだけど

裏を返せばただの便利な子なんだよ。

自分の気持ちを口にすることはワガママなこと、
そう思ってるから何も言わないでしょ。

周りからしたら、
何も気にしてないようにしか見えないのよね。

内心では、あれしてほしい、これしてほしいっていう欲求があるんだよ。
でも我慢してるから、自分で自分を満たすことはないし、当然周りにも、自分が認めてないその欲求は伝えてないから満たされない。

【現実=内面の投影】だからね。道理だよね。


当然、満たされないわけだから
心には
不平不満の嵐が吹き荒れてるんだけども

自分で自分にそういう欲求があることを認めてない以上、それが満たされてないことからくる不満も無視。
積もり積もって、
こんな風に考え込んじゃうほどの
「どうして?」に達してようやく
相手の都合だのなんだのを優先して
自分の思いを押し退けてたこと、我慢してたこと、
望みやら不満やらの複雑な気持ちに気付く。

だけど。

もうね、
その流れはおしまい。

望みは一体なんなんだいって話。

もうね、ホントに行き着く先はそこ。

片手間に相手されてると感じたくないなら、
大切にされてると感じたいなら、
相手の言動の意味を探る検索なんかして
思い悩むことをしない!選ばない!

データなんかどーだっていいんだよ。
そんなもんに左右されるな。

【全部私が創ってんだ】

私が幸せを感じるから
次の瞬間にも幸せがくる。

私は
大切にされて当たり前の存在。

意識を向けるのはそこ!

「大切にされてると感じられて嬉しい」
「気にかけてもらえて嬉しい」

それを感じるんだよ。
だからそう感じれることが起きる。
そう感じれることが起きて当たり前。

自分の気持ち、想い、
こうありたいという願い、欲求、
隠すのやめるの。
真っ直ぐにそれらを見て叶える。

まず自分が
オープンに自覚することだよね。
自覚して、その望みを叶えることを
自分にあったかい気持ちで許すこと。
それが出来て、初めて潜在意識にも
オープンに伝えることが出来るんだと思う。

その結果、相手が何かしてくれたり、
環境が望むものに転じたり、
そうなる現実を見ることになるんだろうけど

どんな時も始まりは
私がどう自分の想いを受け止めてるか、
大切にとらえているか、
叶えてあげてるか。

大切にしてほしいなら
私がまず自分の気持ちを大切にして
「大切にされてる自分」を感じること。

それが潜在意識に伝わって
同じ気持ちがまた届くんだもん。

まずは私なんだよ。
不安であっても、迷ってても
その渦の中で情報を探すことは
安堵には繋がらない。
土台が不安や迷いを何とかしたい、だから。
その気持ちがまた来る。

常にいまこの瞬間、
私は何かを発注してるんだよ。

それが嫌な気持ちになることだなんて嫌じゃん。

望みはなんなのか?

毎瞬意識するのはそこ。

望むその状態を見ること。

それが注文になる。
注文は正確に。

その為にはやっぱり
自分の想いをちゃんと見てあげること。
言い訳せずに自覚してあけることだよね。


私、いつも何かに流されてた気がする。

ちょっとの事で足元がぐらついて、
すぐ昔の習慣に戻ってしまうのは

過去や未来ばかり気にして、
特に、先を計算して
逆算した言動ばかりを考えていたから。

『いま』に意識がなかったから
踏ん張りがきかなかった。

望むことから意識が逸れる、
そこにロックされてない、

それは、私自身の意識の比重が
『いま』ではないところに偏っていたせい。

考えても仕方のないことを考えるのもそう。

いまこの瞬間が全てを創ってるのに
いまこの瞬間から離れているから
そういうことが出来る。


こう考えると
ホントになんで私はこんなに
『いま』から意識が逸れるのかしらって思う。

知識として分かっていても
実践でこれだけブレるのは
本当には分かっていないからよね。

なんでこれ程『いま』から離れるのかな。
『いま』にいられない、いたくない?


もう一度立ち返ってみようかな。