わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

目立ちたい人の話

職場に、何かと張り合ってくる人がいて
正直困ってる。

最初は、私の自意識過剰かと思ってた。
だから、その人の言動が気になってもスルーしてたんだけど、どうも気のせいや勘違いではないということを、今日確信した😣💦


そもそも、そんな風に思うにようになったキッカケは、ホントにかなり前なんだけど、私が対応したお客さんと、雑談で少し盛り上がったことがあったんよね。

お客さんは、私がその話に触れたことをすごく喜んでくれて、短い時間だったけど、結構楽しくやり取り出来て「良かった」って思ってたんだけど

その数時間後。

再び来たそのお客さんに対応した彼女は、私が出したのと全く同じ話題をお客さんにふった。

その話題っていうのが、そのお客さんの仕草に関係することだったから、別々の人間が同じ日にふる話にしては不自然で耳にとまった。

お客さんは
「さっきも言ってもらった」って笑ってて、
彼女は
「いや~私もそう思うんですよ」って言ってたけど

引っ掛かった。それが最初だった。


それ以降、そのように意識を向けてたからか、
同じようなことが何回も続くことに気が付いて、

「10歳上の頼もしい先輩だと思ってたけど、実はこの人、自分が主役じゃないとダメな人?」

そう思うようになった。


そのお客さんの時だけじゃなく、私と雑談で盛り上がったお客さんには、いつも巻き返すかのように必死で話題をふってる姿がそこにあった。
私が話した時には出なかった話を、お客さんから聞き出せた時は隠すか、しばらくして「こうらしいよ」って言ってくる。私だけが知ってる、私は知ってた、そう在りたいんだないう雰囲気だった。

私のお客さんとのやりとりには、
この人に対する悪意はなかった。
だけど、
この人を刺激するものだったんだなって
その時初めて思った。


こんなこともあった。
私がミスに気付いて上司に報告したあと、
彼女は必ず
細かなことを上司に質問し始める。
それは一見、細かいことに気を付けてます、
よく確認してますっていう姿勢に見えるけど
聞こえよがしに言うそのスタイルは
私がミスに気付いたことが悔しくて
私も仕事できるんだっていうアピールをしないと
いてもたってもいられないんだろうなと思った。
あら探しでもなんでもいい、
自分も気付いてますってアピールをしないと
不安なんだろうね。
「私は必要な存在なんです」ってアピールを
しておかないと、不安でたまらないんだと思う。


連休前も、たまたま私が注目された時に
「私にはこういう繋がりがある」
って得意気に言い出したことがあった。
間接的な表現をしてるわりには
自分を押し出したい感が強かったから
精神的に結構崖っぷちなのかなと思ったりもした。

そして今日。

私が取ったある行動が評価されたんだけど、
それが次なる行動に繋がる、
ということが分かった時、

彼女は、過去の自分の美談を持ち出した上で、
今回その行動が取れなかった理由を公言し始めた。

他の人には雑談だったろうし、
何も感じなかったと思うけど
私はちょっと引いた。

話を聞きながら確信したね。

気のせいかも、考えすぎかもっていう思いは、
あの瞬間消えた。



多分、私がしてる言動って
本来彼女もとりたい言動なんだと思う。
でも正直言って、
彼女はそれ程コミュニケーション能力が高くない。

ちょっと言ってしまえば
私は結構苦労してきたこともあって
相手の話を聞くこと、
話を広げること、
収拾すること、
得意というほどではないけど出来る。
だから、大抵お客さんと雑談で盛り上がって、関係性に風穴をあけるのは私がしてきた。
そういう私の姿は、そうしたいけど出来ない人にとっては、悔しいというか、承認欲求を強く刺激される嫌なものなんだと思う。

彼女はまさにそれ。
だから、嫌な存在の私より秀でようとして必死なんだと思う。


別に私は
誰かの上になりたいとか、誰かを負かそうとか、
そんなこと思ってない。
むしろ、平等でいたいと思ってるんだけどね。

だから、仕事も振り分けるし、共通認識しておくべき情報は必ず共有する。誰かを排除しようとは思わないし、自分自身のことも要らないなんて思ってない。基本的には、職場の人たちを立てながら自分の言動を選んでるつもりなんだけど
そういう姿勢そのものが嫉妬心に火をつけてたりするのかもしれない。
そう在ることそのものが羨ましいというか
負けたと思うのかも。





うーん。なんであんな人が身近にいるんだろう。

私は確かにその昔、自分に自信がなくて
人を蹴落として上に立つ方法でしか
「私は必要とされてる」と思えなかったから
この人と似てるというか、おんなじだとは思う。
勝手に嫉妬心燃やして対抗して、
人を蹴落として蔑んで、
「私は、この人より必要な存在なんだ」って
そう思うことで、なんとか自分を保ってた時期がある。
自信があるように見せといて、
本当はいつ要らないと言われるか分からなくて、
それが怖くて、心はその恐怖心でいつもいっぱいだった。

偽りの明るさ、偽りの物分かりの良さ。

本当は、いつ自分が消えるか分からないような
そんな鋭い恐怖心でいっぱいで、警戒しまくってた。周りの人を敵視しているのが本当なのに
楽しいふりをして、幸せなふりをして、
そんな気持ちには蓋をして誤魔化してた。

周りに対しても、本当は認めてなんかいないんだけど、負けを認めるわけにはいかないから強がって受け入れて、大人のふりしてた。
本当は認めてないけど、受け入れてないけど、
それこそ、そんな風に思ってる自分の気持ちなんか
認められるわけがなかったんだよね。
相手の方が優れてるなんて思う隙を、少しでも自分に与えてしまったら最後だもん。
必死に保ってるバランスを崩してしまう。

自分の自信のなさ、不安、そういう不安定な状態が誤魔化せなくなる。直視せざるを得なくなるのは避けたかった。

自分は要らないかもしれないという
自分の根幹を揺るがす気持ち。
見たくないから必死で隠すよね。
気付いてても気づかないふりをして誤魔化した。
蓋から吹き出しそうになってたとしても
それでも見ない。
自覚すると痛いからね。
存在そのものに関わってる気持ちだもん。
生命に関わってくる気持ちを避けようとするのは
ある意味本能だと思う。
だから隠すし誤魔化しもする。

私だって、積もり積もって体調に出なければ
未だに直視してなかったかもしれない。
けど、あるものはあるんだよね。

どんなに誤魔化しても
不安や恐怖、心配はそこにある。

どんなに誤魔化しても
目の前の人の刺激に反応してしまうほど
蓄積してる、抱えきれなくなってるのが本当。

私は向き合って、ある程度その思いを超えた人だから、自分と向き合うのを避けて、溢れんばかりの不安や恐怖心を抱えてる人にとっては、相当恐ろしく刺激的な存在なんだろうね。

私自身がそういうの感じてきたから分かる。

自分を目立たせること、必要な存在だってアピールをすること、それで自分の存在をやっとこさ保ってる人にとって、そういうことをしないでいられる人っていうのはものすごい脅威だもん。

ベースに不安を抱えて蓋をしてる自分よりも
波動が高いその人。
一緒にいると、飲み込まれるような、
かき消されてるような、霞んでしまうような、
負けたような、そんな気になる。

私に張り合ってくるあの人もそうなんだと思う。
そうでもしないと自分が消えていく。
元々ある恐怖心が刺激されるから
「私は負けてない」っていうのを示さないと
居られないんだろうね。


でもこれ、一体いつの残像だよ(^_^;)

私が自分と向き合ったことで
あの頃とは全然違う自分に辿り着けたことは
もう十分に分かった。

この景色、さすかにもういらない。