わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

悔しい。もう繰り返したくない(T^T)

なんで私が諦めなきゃいけないんだろう

なんで私が譲らなくちゃいけないんだろう


私だってそれが好きで、

それが大切で、それが欲しくてたまらないのに。



小さい頃からそうだった。


我慢して譲って諦めて誤魔化して・・・


そんなことばかり繰り返してきた。


それがどんなに自分の身を削ぐことだったか


今となってはよく分かる。


痛感してる。



もうそんなことしたくない。

譲りたくなんかない。


悔しい。


私が欲しいもの。

私の好きなもの。

諦めたり譲ったり、

そんなこともうしたくない。


そんなことしないで

自分のものにしたい。



自分のものにするのを許すこと。

欲しいものを欲しいということ。

手に入れる自分を許すこと。


そういうのをクリアしていく為に

同じような壁が来ているのかな。


好き、欲しい、そう言いたかった幼い自分。

本当は譲りたくなかった。

「譲らないで」

「譲りたくない」

「私もこれがいい」

本当の私は確かにそう言ってた。

でも聞かなかった。

私は私の声を聞かなかった。

無視した。


周りに譲ることが大切だと思っていたから。


そのせいで失った喜びのなんと多いことか。

そのせいで感じた痛みのなんと強いことか。


私はもう失いたくないし

痛い思いだって、もう味わいたくない。

私だってそれがいい!

そう言いたい。

それが本音。


言ってもいいのかな?

もう許していいのかな?

“誰か私に譲るよって言ってくれないかな”

なんて、周りに期待するのは、もう嫌。


本当に好きなものを

自分で言えなくて、選べなくて、

だから人に何とかしてもらうことで

それを得ようとして来た。

でも得られたことなんて一度もない。

誰かに何かしてもらって叶えることは

私にとっては免罪符になる。

「私の意思じゃないのよ」

「周りがこれを選べって言ったから」

なんとでも言える。

そう言えるような準備をするのは

免罪符が欲しいのは

自分が欲しいものを選ぶことに

罪悪感があるから。

罪悪感が付きまとっているから

何かを選ぶとき、欲しいものが出来たとき、

「私が選んでいいのかな」ってなる。

罪悪感を感じられるような状態が

成立しやすいとでもいうのかな。


だから、

きっともっともっと

自分を許すことなんだよね。


「言っていいのかな」っていう

状況判断とかは大事だと思う。

けど、全て私の世界なんだもの。

なんで私の意思を全うすることに

他者の許可がいるのよってことだよね。


心をひっくり返したものがこの世界だって

天寿さんは言ってた。

私の心の中の何が

“欲しいものを欲しいと言っていい許可”を

邪魔しているんだろう?


邪魔してるものを取り除くことが出来れば

この悔しい気持ちは消える。


欲しいと言っていい、私は。

そしてそれを、手に入れていい。

アファメーションを繰り返して出てきた抵抗の中に

その種はあるはず。

とことん繰り返してみよう。

食べたいものや欲しい服は

昔に比べると

驚くほどに手に入れられるようになったけど

他の人が絡んでくるようなこと、

例えば、

最後のお菓子1個を欲しいと言えないような

そんな状況での許可が出来てないんだと思う。


アファメーション

何回でも何万回でも繰り返してやろうと思う。

邪魔してる何かをあぶり出す。

許可を繰り返しまくって

実際にある「それが欲しい」という気持ちを

ひたすら自覚し続けてみよう。

自覚すると辛いから

誤魔化したり、

見て見ぬふりする癖がついてるんだよね。

欲しいと口にするどころか

欲しい気持ちを自覚した途端に

たぶん消してる。

なかったことにしてるから

「悔しい」って気持ちも一層強いんだと思う。

周りはポンポン手に入れてるのにって

そう感じるのも無理はない。

そしてそういう現象を見るわけでしょう。

苦しいループだよね💦


でも気づいたんだから

このループはもう終わる。

抜け出せる。

抜けだそう。


現象にたいして何かすることは

対症療法でしかないから

何か変わったように見えても

それは一時しのぎ。

所詮、

過去の映像がロードされてるだけ

というのなら

これからの映像をいいものにするっきゃない!


悔しい気持ちはもう味わいたくない。

二度と味わわない。


欲しいものは欲しいという。自覚する。

それがいいとハッキリいう。自覚する。


こんな現象、もう繰り返さないぞ。