わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

自分を認めたい気持ちを叶えよう

昔から聞き役が多かったこともあって
話すのが下手なわたくし。

色々ネットで検索してたんだけど

そこでぶつかったのが

『スゴイと言って欲しい』
『気を引きたい』

という思い。

スゴイと言って欲しいから、
相手が聞いてきたことじゃなく

自分が言いたいことを言ってしまう。

結果自分でも
何の話をしてんだ?ってなっちゃったり

気を引きたいと思ってるから
聞きかじったことや
自分だけが知ってるような内情を
得意気に話してしまったり

面白いことを言うなーと思って欲しいから
相手がどう思うか考える前に
自分のその欲求を優先して言ってしまって、
後になって言わなきゃ良かったと思うことに
なってしまったり...

会話において後悔することがある理由が
何となくわかった。



スゴイと言って欲しいのも、
気を引きたいのも、

『肯定されたいから』

だと思う。

『肯定されたい』
『気にかけてもらいたい』

そう思ってて
その気持ちはホントに強いと自覚してる。

それは
ずっと満たされてなかった気持ち。
満たしたい、満たされたい、
ずっとそう思ってる気持ち。

だから、結構身構えてると思った。
ちょっとの言葉にも
『これは満たすチャンスだ』と反応して

スゴイと言われるように、
気にかけてもらえるように、

そういう話を持っていってしまってる。


だけど、

スゴイと言って欲しいのも
気を引きたいのも

つまるところ

『スゴイと認められた自分をスゴイと思いたい』
『気にしてもらうことで存在価値を実感したい』

ってことなんよね。


自分をスゴイと思いたいから、そのために
『相手にスゴイと言ってもらいたい』

自分に存在価値があると実感したいから、
『相手に気にしてもらいたい』

自分で自分を認めるために
その事象を欲しいと思ってるんだったらば、

そんな現象を見ることなんか
すっ飛ばかして、

現象に対して何か
コントロールするようなことはやめて、

『自分ってスゴイ!』
『私の存在って素晴らしい!』

さっさと認めちゃえばいいんじゃないかと思う。


誰の許可も要るわけない。
だってここは私の世界。

現象は
少し前の自分の内面の投影でしょう?

少し前の自分の心にアプローチしたって、
その時そう思ってたのはもう過ぎたこと、
変えようがないことなんだし

そんな食べかすのようなものに
幸福だ承認だって求めてないで
欲しいものは
いましかないこの瞬間に手に入れられるんだから

間に現象挟む手間なんかもうやめてしまって

その目的部分だけ叶えちゃったらイイって話。


現象=かつての自分に
なぜ許可を求める必要があるのか?


かつての内面=過去。


いまを生きてる私が
なぜ過ぎたものに許可をいただく必要があるのか。

なぜ現象の御伺いをたてなくてはならないのか。


力があるのは、
なんでも自由に想像し、
選ぶことのできる

いまこの瞬間の自分の心。


誰かに認めてもらいたい

そう思うのは

誰かに認めてもらうことで
そんな自分を認めたい

ということなのだから

『自分を認めたい』

という部分を

目の前の景色=現象に頼らず叶えてあげる。


目の前の景色は
必要とされてないと感じるものだったとしても、

それは
かつてはそのように
自分を必要な存在と認められていなかった、
というだけのこと。

かつてがどうであれ
いま何を選ぶかは、私が決められるのだから

望むこと、したいことを選んで叶えたらイイ。


会話においては
自分を認めたい気持ちを
まず叶えてあげようと思った。


会話上手になりたいと思ったところから
こんなところに辿り着くとは

ヒントは至るところに潜んでるね。