わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

私の中のボス的観念

隠していたのか、
見て見ぬふりしていたのか、

いずれにしても
『本当の気持ちを言うと相手は機嫌を損ねる』
という思い込みからの

『話を聞いてもらえない悲しさ』
『分かろうとか、知ろうとしてもらえない寂しさ』
『歩み寄ってもらえない孤独』
『突き放されたと感じる痛み』
『そのように扱われることへの怒り』

という感情が心一杯にあることに気が付いて、
久しぶりに涙したんだけど

ホントにちょっとこの感情たちね...

最強だと思う。

これまで、すごくたくさんの思い込み、
ネガティブな観念と向き合って
人生をひっくり返したと思ってるけど

これほど私の性格、人生に根付いてる観念は初めて。つまり、私を形成してる最大の観念なんだと思う。

心に一杯なのになぜ気付かなかったのか、
最初は、傷が大きすぎて触れたくないとか、
意図的に誤魔化して気付かないふりをしてたとか思ってたけど、
ホントに単純に気付いてなかったんだと思う。

こんなにも自分の根幹に関わってるというか、
自分と密着、一体化してたら、そりゃ分からない。当たり前すぎるというか、普通というか、
自分そのもの=この観念って感じだもん。

いつだってすぐに
これらの感情が全ての出来事に反応して
次なる思考、感情を生んでた。
私の一部、基本、土台。
なんとでも言えると思う。
それほど普通だった中で、
そもそも気付くタイミングなんてなかったよね。


うまく言えないけど、
これまで取り除いてきた観念たちと
今回気付いた観念は、なんか違う。

これまでの観念も、あるのが当たり前で、
邪魔だなって気が付いた時に取り除いてきたから、その点では一緒なんだけど、
それはベース+αの『α』の部分であって、
今回気付いたのは、
ベースの部分を構成してる感情と、
そこから生まれた観念っぽいんだよね。

すごく深いところに潜んでるのが分かる。
それは、私の心の、深くて暗いところにいつもいて、周りを見張ってくれてる。
私を傷つけるのではないかと警戒してる。
それは、卑屈とかじゃなくて
それほど痛んでるってこと。
たくさんたくさん傷ついて、今もまだ
その観念に基づく見方をしているから
感じることも同じ、繰り返されてると思う。

自分の意見を言うと、相手の機嫌が悪くなる。
何かのキッカケでそれを感じてからずーっと
ないがしろにされた痛み、悲しさ、寂しさ、
聞いてもらえない、言えない、その悔しさを抱えて
それらを繰り返しながらきたんだよね。

私は、知ろうとして欲しかった。
歩み寄ろうとして欲しかった。
それでもぶつかってきて欲しかったんだ。
私の意見を変えてやろうとか、
そういうことじゃなくて
どうしてそう思ってるのか?
考えて欲しかった。
人それぞれだからとか、
話すのが面倒とか、
そういうのを感じさせないで欲しかった。
相手して欲しかった。
関わりたかった。
好きにすれば、勝手にすれば、それでいいならいいんじゃない、とかではなくて、
「そういう風に考えてたのか」
って思って欲しかったし
「そういうことがあってこうなのか」
って知って欲しかった。
「それもありだけど、こうもあるんじゃない?」
受け入れた上で、導きをもらいたかった。
その導きに従うか従わないか、
そこは私の判断だから押し付けないでほしい。
でも、個々の考えは視野が狭くなりがちだし、
選択肢や物の見方を増やすようなコミュニケーションを、私は取りたかった。


これらは、全て今の私の言葉だけど、
小さい頃の私が言いたかったことだと思う。

自分の意見を言ったからって
嫌わないで欲しいと思ってた。
嫌われたくなかった。
好かれたかった。

愛されていたかった。

そこに不安があるから、
確認行動をとるという二次災害が起きる。
でもそれは、
不安や恐怖を元にした行動だから

『嫌われてないだろうか』
『怒ってないだろうか』
『どのくらいなら許してくれるんだろうか』

そういう不安や恐怖が
より一層強くなるだけ。

やらないと不安な確認行動だけど、
やればやるほど不安になるんよね。
【今感じてることが次の感情】だし、
その不安や恐怖をまた感じることになると思う。

そういう点から言っても
今回の観念は中々のボス。
話を聞いてもらえなかった、
向き合ってもらえなかった、
その傷を癒すのはもちろんのこと、
話を聞いてもらえない、
歩み寄ってくれない、
意見を言うと拒否される、
ほっとかれる、
そういう観念を早急にひっくり返さなきゃ。

話は聞いてもらえるし、
歩み寄ってもらえるし、
知ろうとしてもらえるし、
投げやりじゃなく受け入れてもらえるし、
大切にしてもらえる。
相手は、自分の気持ちも言ってくれるし
私の気持ちも聞いてくれるし、
すねたりふてたりせずに、
お互いに考えをバージョンアップさせる。
相手のいいなりになるのではない。
相手を言いくるめるのでもない。
どちらの意見も意見としてあることを
自分の中で、お互いに腑に落とせるまで話す。
それだけの興味を持ち合える人と
私は関わることが出来る。

じゃないと、この先もこの観念と同居して
この観念から発生する感情を味わうっていうんじゃ私、かわいそすぎる。
こんな辛いのはもう嫌。
それはひっくり返す原動力。

ここで変える。