わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

久しぶりに泣いた

涙を流したのは
どのくらいぶりだったろう。

我慢のしすぎで泣けない私から、
内面の整理をする過程で泣ける私になって、
一時は、スーパーに流れる音楽でも泣けるほど
些細な思いに敏感な私になってたけど

最近は、怒ることこそ多かったけど
悲しんだことはなかった。
涙を流したことはなかったなぁ。


泣いたきっかけは、意見の衝突。

衝突といっても、かすった程度だと思う。

でも、分かろうとしてもらえなかったこと、
突き放されたように感じる物言いをされたこと、
その相手の姿勢がホントに悲しくて、
すごく大きな溝が出来たように感じた。
時間がとれなくて、
相手との話が途中やめになってることも大きい。
私も話しきれてないし、
相手も話しきれてないだろうから
余計悲しいんだと思う。

何回も泣きそうになったけど、
泣くなら一人が良かったから
お風呂まで我慢して、そこで泣いた。


相手に理解してもらいたいとか、
同意してもらいたいとか、
そんなこと思ってなかったのは本当。

何が悲しかったって、
自分の意見を言ったことで
「もういい」みたいに扱われたこと。

すごくすごく深い傷に触れた気がした。

それで気が付いたんだけど、

自分の意見を述べたり、通したりすると
相手が「もういい」ってふてたり、
「好きにすれば」って突き放してきたり、
そういうパターンが
私は幼少期からものすごく多かったんよね。

すぐ相手の顔色を窺うのは、
私が言った言葉で、
相手がどう反応してるか探るため。
機嫌を損ねそうって思ったら
すぐさま相手に同意したり、立てたりして
機嫌をとるのが私だった。
「もういい」「知らない」「好きにすれば」
そうやって放置されるのが嫌だった。悲しかった。
置いてけぼりにされたくなかったんだ。
怖かった。

相手は
私が納得するまで、
もしくは
お互いに折り合いがつくまで
自分の意見を言ってくるのに

なぜ私は
私が納得するまで言えないのか。

なぜ私の話は聞いてもらえないのか。

私は、
私の言葉を理解して欲しかったわけじゃない。

私は、私と向き合って欲しかっただけ。

「それでも」
私と向き合って欲しかった。

「私が強く言ってても」
私の話を聞いて欲しかった。

聞く耳をもって欲しかった。
分かろうとして欲しかった。
知ろうとして欲しかった。

でも
誰もしてくれなかった。

そこまでしてでも私と向き合おう
分かり合おう
そう考えてくれてる人はいなかった。

自分の考えを押し付けるんじゃなく、
でも、
私の意見に無条件に賛同するでもない。
そんな人はいなかった。

どちらの考えも
あるものとして否定せず、
互いに意見を出しあった上で
「そういう考え方なんだな」って納得すること。
理解し合うというよりは
知り合うこと。

私はずっと
それを求めてた。


私は、人と話す時に
自分も相手も尊重することを意識してた。
相手の考えを知ろうとしてた。
だから、
質問もいっぱいする。
最終的に
「そう思うならそれもありかもしれないね」
という思いに辿り着きたいから。


でも、こうなって今思うのは、
人にたくさんしてきたその向き合い方や
言ってきたその言葉っていうのは

誰よりも私自身がして欲しかった向き合い方で、
誰よりも私自身が言って欲しかった言葉だったんだなっていうこと。


しっかり向き合って欲しかった。
めんどくさがらずに、
知ろうとして欲しかった。
分かろうとして欲しかった。

押さえ付けるでもなく、
無条件に賛同するとかでもなく、

どうでもいいとか、適当とか
そういう言葉が不釣り合いって実感するだけの時間を割いて、私と向き合って欲しかった。


今こうして書いてても泣けてくる。

本当に幼い私は
ずっと悲しく思ってたんだと思う。

今日まで気付かなかったけど、
尊重されない悲しさ、
話を聞いてもらえない悲しさ、
そこから転じた
「なんだ私は聞いてもらえないの」
っていう怒り、
そういうので心が一杯だった。

こんなにも一杯なのに
なんで気付かなかったんだろう?って今は思う。

でも、気付かなかったというよりは、
傷が大きすぎて、深すぎて
ちょっと触れるだけでも痛いから
隠してたとか、見ないふりしてたとか、
誤魔化してたから分からなかったって言えるかな。


相手から連絡来るかなぁ。
私からは一応入れてるんだけど、
忙しいのか、忙しいふりをしてスルーなのか...
微妙。

まぁ、こんなことで縁が切れるんだったら
その程度の人だったんだ、
切れて良かったって話だけどね。
だって、
私の意見を許容してもらえない訳でしょ。
聞いてももらえない。
自分は言うのに、
私も違う意見を知ろうって姿勢で聞くのに、
相手はそれをしてくれない。

私のことなんてどうだっていいんだって
そりゃ思うよね。
私の意見ってなんなんだろう、
私の考えってなんなんだろう、
そうなるよ。

私が思いを口にしたら、相手は機嫌を損ねる。
ふてる、突き放す、
私を不安にさせる言動をとる。
「私は意見を言ってはいけないの?」
「私は相手に合わせられなきゃ相手してもらえないの?」
そう思うようになるって。

そりゃ多分、
相手が私を不安にさせる言動を取る、
というよりは、
私が相手の言動から
勝手に不安になってるんだと思うよ。

【世界は私の内面の投影】だもん。

私の中に
不安になる要素があるから、
それに反応して不安になってるし

【そう思うからそうなってる】ってことも
言えると思う。

向き合って欲しい、向き合ってもらえない私。
意見を言うとすねる相手、聞いてもらえない私。

でも
私はずっと
それは私が悪いからだと思ってきたし
仕方ないこととも思ってきたけど
本当にそうなんかなって
今ちょっと思ってる。

向き合って欲しいって悪いこと?
ふてるとか、
一方的な発言とかで押し付けたりしないで
話を聞いてほしいって思うのはワガママ?
意見の交換をしたい、
そっちの考えも知りたい、
こっちの考えも知ってほしい。
その気持ちが通らないのは私が悪いからなの?
伝え合うのは諦めなきゃいけないことなの?

私の話を聞いてくれない相手
すぐに「もういい」って言ってくる相手

この人たちに
私が合わせることないんじゃないかって思った。
相手に非があるとまでは言わないけど
それでも、その程度の興味しか私になくて、
知りたいとは思ってくれなくて、
分かろうともしてくれなくて、
下手すれば
自分の意見に染めようとしてる人たちだもん。
私が追いかけてまで
私のことを知ってもらう必要あるのかな?
興味があったら、知りたかったら、
聞いてくる。

それがないのは、それが答えなんだと思う。
その程度の人に伝える労力、
関わる労力、割くことない。


私、もっと自分軸で立ちたい。
話は聞いてもらって当たり前だと思うし、
邪険に扱われるとか、
どうでもいいと思われてるとか、
そんなの感じるのはおかしい。

顔色も反応も、気にはしても、
それで自分を不安にさせたくないな。