わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

自分に愛されたかった

いい気分で過ごす時間も多かったけど、
それ以上に良くない気分で過ごしてたんだと思う。

現実がしんどい。

そんな中でイライラを吐き出して見えてきたのは、
「思うようにやってもらえない、やってくれない」という幼い頃からの気持ちだった。

こうしたいのに邪魔される
こうして欲しいのにやってくれない
分かってくれない
それじゃない、これなのに、など、

静かに深く、重く暗く、泥沼のように奥底に沈殿した不満な気持ちたちは、

私は必要とされてない。
ここにいてはならない。
申し訳ない。

そんな気持ちと複雑に絡み付いて、私を締め付けて苦しめる。


往々にして、思うようにしてもらえない➡私のこと好きじゃないんだ、鬱陶しいんだ、嫌いなんだ、いらないんだ、利用されるだけなんだ➡「やってくれないならもういいもん」という形でふてるパターンを繰り返している。その人に近付かなくなったり、喋らなくなったり、傷つくことから前もって逃げてるんだと思う。

ふてることで、私は自分の不満や悲しさに気付いてもらおうとしてる。必要ないって言い切られる最悪の状態にならないよう自分を守ってる。

でもそれは、言葉を変えれば脅迫みたいなもん。
「私はふててるよ、怒ってるよ!ちゃんと気にかけて!」
そんな風に、言葉ではなく態度で脅してるだけ。だけど、そうしたことで優しく構ってもらえた記憶がたくさんあるんだろうね。ふてればご機嫌をとってもらえたり、気にかけてもらえたり、安心したんだと思う。

ただ、逆に言えば、そうしなければ構ってもらえない、優しくしてもらえない、気にかけてもらえないって言ってるようなものなんだよね。
つまり本心では、自分はふててない、本来の自分では愛されない、大切にしてもらえない、必要とされてない、いる意味がない、そんな風に思ってるんだと思う。

そんな私を、私はきっと否定してる。
周りに認めてもらえない自分、思ってることを期待通りにしてもらえない自分、否定してる。
だから無理させる。
限界が分からなくなるほどに無理させて、苦しめて、頑張らせて、我慢させて、必要とされる存在になろうとしてる。愛される存在になろうとしてる。

そんな私を、私は愛してない。

やってもらいたいと思ってる通りのことをやってもらえなかった自分。
やりたいことをやらせてもらえなかった自分。

そんな程度にしか愛されなかった自分。
そんな程度の存在でしかなかった自分。
楽しいも幸せもない。それでも良い子だねって褒められるから我慢して、誰かの笑顔や満足のために我慢して、そんな苦しい気持ちを誰にも言えず、気付いてもらえず、助けてもらえずだった自分。

私自身、自分のその心の苦しさに全く気付いてなかった。そうしなければならない存在なんだ、そうしなければ捨てられる、そう思って、自分の気持ちが分からなくなるほどの我慢を自分にさせてた。
そうして、全部周りの目線に合わせることで、自分の欲求を消すメリットもあったんだよね。欲求を消せば、叶わないっていう苦しみがなくなるから。

ホントに無茶苦茶だったな、私。


自愛を知ってからいつも「○○が出来たね、偉いね」って、自分のことをたくさん褒めてきた。

「ケーキ食べれて良かったね!」
「納得するまでアクセサリー選ぶなんて凄いね!」

そういうのって、本当に私が欲しかった言葉たちなんだろうと思う。私が私を見てる証っていうのかな。

そう、私は私に、もっと見て欲しかったんだ。

親に思った通りのことをしてもらえなかった私でも愛して欲しい。親に期待通りのことをしてもらえなかった私だとしても愛して欲しい。親に裏切られたと感じた私だとしても愛して欲しい。誰かの言葉じゃなく、私自身の気持ちを優先して認めてほしい。モテなくても、話に入っていけなくても、理解できないことがあっても、愛した人に愛されなくても、価値がないなんて思わないで欲しい。

そう、価値がないと自分に思われることが、ダメだと言われることが、何より一番怖かった。
「どんな自分でもいい、大好き、愛してる、一緒にいよう、楽しく過ごそう」
私はそんな風に、私に言って欲しかった。思って欲しかった。安心したかった。

例えば親に「私の思うようにして!」「邪魔しないで!」と思うのは、そうしてもらっている自分を私が愛せるからなんだよね。他の誰かに愛されたいのは、認めてもらいたいのは、そんな私を私に愛してもらいたいから。

何人かの達人と呼ばれる人たちが言っていた「自分自身に愛してもらいたかったんだ」っていう言葉の意味がようやく分かった気がする。私はホントに、自分を苦しめて、痛め付けまくっていただけなんだね。ただ私は私に「大好きだよ」って言って欲しかっただけなのに、安心したかっただけなのに、そう思われるためにあれこれ頑張って、条件つけて、なんでそんなに自分のこと苦しめなきゃいけなかったんだろう。

そうやって苦しめていたから、周りにいるのは私に苦しみや無価値感を与える人、私から気力を奪う人たちなんだ。私が求めてるのは私からの承認、私と楽しく過ごすこと、私に愛されることなんだから、他の誰でもない私が、私の気持ちを敏感に察知して満たしてあげることなんだよね。
どんな私でも、誰になんと言われても、存在してることに価値がある。

全ては私の世界のこと。私が存在していなければ、私目線のこの世界は存在しない。自分の世界を与えてもらってるのに価値がないなんておかしい。

私目線のこの世界を、私を愛することでもっと楽しもう。私自身と楽しむの。私の気持ちを聞いて、満たしてあげながら、楽しむ(^^)

私は私に愛して欲しかった。その気持ちを満たしてあげる。もう付け焼き刃じゃない。愛して欲しかった私は、この世界を共に生きる大事な私。そんな大事なパートナーを二の次三の次にするなんて、本当にどうかしてた。

親に愛されたと思えなかったとしても、私は無価値なんかじゃない。その時その時、一生懸命生きてきただけで価値がある。
そう、私はいつも必死だった。その瞬間の精一杯で生きてきたこと、私は知ってる。誰に認めてもらう必要もない。私が分かってる。そんな私を、私はもっと誇りに思おう、大切にしよう。

いつも期待を裏切られたと思ってきたとしても、そんな私で構わない。その瞬間瞬間、私はたくさんのことを学んできたから。
痛い思いからは優しさ、悲しさからは誠実さ。
私は私の強さ、素直さ、優しさ、全てをもっと誇りに思っていい、大切にして良い。

私は、どれだけ自分をバカにしてきたのだろう。これほど一途にまっすぐで、何回も樹海に迷い込んでどえらい目に遭ったけど、それでもこうして今日までしっかり生きてきた私のこと、どうして見下したりしていたんだろう。
私はもう私を裏切らない。私自身の気持ちを一番大切にする。愛してるから一番幸せにしてあげる✨