わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

イラッとして立ち返ったこと

寿虎さんのブログを読み返すようになってから、
ホントに目の前のことは、吐き出しきれてない気持ちが創ってるんだろうなと感じている。

今日も仕事のことでイライラしていた。
気持ちを吐き出したいと思ったとき、寿虎さんのブログで思い出した記事があって、書き留めているノートを見返した。

まさにこれだと思うものを発見。それを手がかりに少し考えた。


今の仕事に就いて間もない頃は、私は今ほど気を遣っていなくて、もっと本来の私で、素直に勤めていた。
でも今の私は、必要とされなくなる恐怖から(拒絶や見捨てられることへの不安がある💦)
以前の私のように、思ってもいないことを口にしてご機嫌をとったり、やりたいことをやらずに譲って我慢したりするようになっていたと思った。

考えてみれば、ホントに昔からいつもそうだった。
最初は本来の自由な私。生き生きしていて、楽しいこともいっぱい。でも段々と人に気を遣うようになり、自分の首を絞めるようになる。
そう、大体いい気分がタイムラグを経て現実化する頃にそういう気分になり、受け取り拒否をするパターンが私にはあると思う。



少し傲慢な書き方になるけど、私はいつも、抜きん出ることを恐れ、自分の能力を抑えてきた。

やれば出来ると分かってるのにやらない
代表に選ばれるのが嫌だから手を抜く
やっかまれたくないから皆に合わせる
自分が可愛がってもらえてるのに申し訳ないからその立場を譲る

そうやって、自分が持つ本来の能力を、謙虚を通り越して必要以上に見下げ、思ってなくても「見捨てられたくない」という思いから相手を褒めて、自分を出来損ないのポジションに立たせてきた。

潜在意識について学び始めて、そんな癖は落ち着いていたと思う。けど、消えた訳じゃない。今に限らず、その癖を忘れて、本来の自分らしく過ごすことが出来ていても、自分が幸せを受けとる頃にそれはひょっこりと現れ、自分の無価値感を強烈に見せつけるというサイクルを繰り返してきた。変化を恐れる好転反応なのかもしれない。それが出てくる度に私は受け取りを拒否する。悪循環である。


多分、溜まっている気持ちを吐き出しきれていないのに、ほどほどのところでほどほどのいい気分を送り出しているからだと思う。だから、それなりに現実は良い方向に舵をきるんだけど、私の内面に残ってる気持ちがそちらには進ませない。


これからまた、更にしっかり、さ吐き出してくるつもりだが、
必要とされたいのにされないという悲しい気持ちが込み上げてきている。
頑張っているのに与えられない、こうしたいと思っているのにさせてもらえない。

小さな私が叫んでる。
悲しいと。