わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

同僚に見たかつての私

先日、私がやろうとしてた事を
「いつもやってもらってるから」と言って
代わってくれた同僚がいた。

私としては、最近そこまでやってなかったから
代わってもらわなくても良かったんだけど

せっかく言ってもらって悪いからと思って
代わってもらった。

そしたら、なんとトラブル発生。

代わってくれた同僚Aさんは
上司から注意を受けたんだけど
それが中々理不尽なもの。

私もAさんと同じ対応をしただろうから
私はAさんに代わってもらったことで
『災難から守られたんだ』と感じた。

だけど、Aさんの日頃の言動を考えてみると
私が守られたと言うより
Aさんが自ら災難を引き寄せてるというか
火の粉を被る場所に率先していってるというか
自らすすんでトラブルの渦を起こしてるような
そんな気がするんよね。

Aさんは、自己評価が低くて
「私なんか」が口癖の50代女性。

仕事は、正直あまり出来る方ではなく、
元々パソコンに疎いところに輪をかけて
理解してない仕事が多いので
臨機応変に対応することが出来ず
上司からは『不出来』の烙印を押されている。

見れば分かるものでも確認の為に聞くので
一層仕事が遅くなって不評を買ったり
混雑してる時に冗談を繰り返して
『ふざけてる』と取られたり

やることなすこと裏目に出てる感じ。

確かに
「いまそれ?」というような事をやったり
言わなくてもいいことを言ったり、
なんとなくツボがズレてる部分があるので、
癪に触る人は多いかなと思う。

私生活でも、
集まりに無理矢理呼び出されたり
友人との飲み会に呼ばれたかと思えば足にされたり
決して大切にされているとは言えない話題が
彼女の口からはいつも飛び出すんだけど

【内面=現実】の観点から見ると

自己評価が低くて
「私なんか」という思いで
不幸話をたくさんしてるから

何やっても結局
不幸自慢になるような結果になるって話なんよね。


誰でもするような凡ミスでも
Aさんがやると厳しく言われる

確認してやったことでも
勝手にやったと言われて叱られる

断ってるのに結局押しきられ
乗り気じゃない予定を抱え込むことになる


彼女の身には
不幸自慢が積み重なるようなことばかり起きてる。


私も結構、その昔はうまくいかないことが多くて
タイミングがよくない、ツイてないって
しょっちゅう思ってたんだけど

その私も、このAさんのように
災難を拾って歩く人に見えてたんだろうね。

あの頃の私は、災難に遭う自分に
かわいそうな私ってレッテルをつけて
それでもそれが当たり前だと思って過ごしてた。

Aさんもきっと
ずっとそれで来たから
それがもう当たり前になってるんだと思う。

ちっとも深刻じゃなくて
「どうせ私なんか」って言いながら
ヘラヘラしてたわたくし。

Aさんも同じ。

そういう可哀想な自分に
心地よささえ見出だしてると思う。

私は、今となっちゃ幸いなことに
我慢しすぎて死ぬような思いしたから
我慢の類いを出来るだけやめて
自分を幸せにすることに意識を向けることで
変わることができたけど

もしあの頃の私のまま過ごしていたら

きっとAさんのように
自ら災難をかぶりにいって
理不尽な目に遭い
理不尽な扱いを受け
理不尽な思いを甘んじて受ける
そんな私であり続けたんだろうと思う。

今ではむしろ
タイミングが合って良かったとか
なんとなく止めて良かったとか
そういうことが増えていて

自分の本音に従うかどうか、
心地よく過ごすかどうかだけで
こうも違うんだってことを実感してる。


Aさんは
あの頃の私のまま
自分を偽って生きることを選び続けた場合の
私だったんだろうな。

だからどっちが良いとか悪いとか
そういうのはないけどね。
それこそ気付きにはタイミングがあると思うから
「私は早く気付いたのよ~~オホホ」なんてことは思わないけど、

せっかくの人生だもん。

「私なんか」と思って
甘んじて災難を受けるより

「私だもん!」と思って
溢れんばかりの幸福を受け取った方が
楽しくていいじゃん?

みんなそうなるといいなぁと思う。

もちろん私も
いまの幸せに感謝しつつも甘んじず(笑)
もっとたくさんの幸せを感じて過ごしたい(^^)