わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

現象として現れたけど・・・

先日、あることが現象として現れました。

それは「たまには怒られればいいのに」と思っていた同僚が、上司に怒られたこと。

でもこれ、望んでいた景色のはずだったのに
実際起こると気分の良いものではなく
「あー......」となりました。

怒られたと言っても優しくでしたし、怒られたとか叱られたとかいうよりも、軽い指摘という感じでした。
それに、出来ていない事があった訳ですから、そこは指導があって当然です。
そうでなくても、その人は『得意な仕事は率先してやるけれど、そうでない仕事は後回しにする人』なので「やってない、出来てない」が多くて、私は良く困っていました。
そういうのを上司は知らないし、当たらず触らずなのもあって(多分、今は特にですが、叱るのひとつとっても難しいのもあると思います) 、何かと負担が大きかった私は、日々ストレスを感じていました。「お互い様」を差し引いてもこの仕事振りはちょっと酷くないかと・・・それで「少しは怒られろよ」と思うようになったんです。

が。

いい気分はしないものだなぁと思いました。


現象として現れるまでにやったことは、
具体的な事は思い浮かべずに
「あー○○さん、ついにやっちゃった」とか
「あー○○さん、ついにバレちゃった」など
感じそうな気持ちを思い浮かべること。

そういった気持ちを感じるのは一瞬なので、ズルズルは続けず、数秒をちょくちょくやっていた感じですが、実際起きた時も、そういった気持ちを感じたのは一瞬だけ。そしてその後は「あー嫌なものだなぁ」という気持ちを長く感じていました。

怒られている光景を見て「嫌だなぁ」と感じる、その気持ちを先取りしていた気はしないのですが、怒られている光景を見た後に「ふん、ザマーみろ」と思うイメージでもしていたら、また違ったのですかね(^-^;
告げ口をした後の罪悪感みたいなものが、とにかく強かったです。

ちなみに、現象化が訪れたタイミングは、
私がその同僚に対する「怒られればいいのに」という気持ちが薄れた時でした。

同僚が怒られたのは、私が先輩にぽろっと言った事が上司に伝わった為でした。
同僚が出来ていなかった仕事の話なので、指導されるのは当たり前なのですが、まさかそれがお叱りの場を作るとは思っていなかったですから、罪悪感が強かったのはそのせいもあると思います。その上、もう「怒られればいいのに」とは思ってなかったですから... 余計ですね💧

もし上司が自主的に気付いて指導していたら、もし私の気持ちに「怒られればいいのに」が残っていたとしたら、この罪悪感はなかったかもしれません。

でも、自分の気持ちだって、いつどこで変わるか分からないもの。

今の自分の気持ちがイライラしていたら、誰かを攻撃するようなイメージを持つこともあると思いますが、実際それが現実に起こった時、全然スッキリしないです。

自分の怒りを、誰かを攻撃するようなイメージに使うよりは、無理矢理にでも自分のテンションや気分をアゲていく事に使った方がいいというのを体感した出来事でした。