わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

長話の続き②

前回の続きです。


私は、しんどくても、キツくても、対象者より勝ってる自分でいることで、自分を安心させようとしていました。

相手より勝つ→自分はここにいて大丈夫なんだという安心感を得る。

なぜそれが成り立つのか。
相手より上になることで、特別感を感じるからです。

そう、私が欲しい「安心感」には「特別感」が必要なんです。

安心感を得る方法が、自分にとって、相手より勝って、特別感を感じることしかなかった。私がうんと幼い頃、知らず知らずのうちにそれが成立してしまい、基準となってしまったわけです。

あまり覚えてないですが、比較されて育ったんですね私。安心できたり、自分の存在が必要とされてると感じたりした時というのは、誰かより秀でていると感じた時だったり、褒められた時だけだったのだと思います。

そう考えるとね、健気なんですよね・・・ 😢
子供の時って、食べることすらままならないじゃないですか💦親の機嫌を損ねたら生きていけません。それが子供なんですよ。
そんな子供の自分が自分を守ろうとして編み出した方法。それがどんなものであれ、今の自分にあるものです。

外敵だらけの中で、自分が安心できる状態を学習し
「誰かより優秀な私であれば、特別な私であれば、私は大丈夫、安心できる」という答えを、幼い頃の私は見つけた。
そしてその状態を作ろうと必死になった。
それがこれまでの私です。

その代償として、本来の自分を捨てることが生じました。けど、子供の頃の私に、それ以上の何が出来たでしょう。
誰も与えてくれなかった存在価値、生命の安全、それを自分で自分に与えようとしたその選択に間違いがあったとは全く思いません。事実、マズローの欲求でも、生命の安全は優先事項。私はそこを満たすことに一生懸命だったんです。


けどですね。

成長していくと、子供の頃の考えではうまくいかなくなるんですよね。経験を重ねる中で、子供の目線では見えなかった事が見える、分かる、感じられるようになってくるからです。

自分に与えられることも変わってきますよね。食べるもの、着るもの、子供の頃よりうんと自由になってるはずだし、何かしらの制限があったとしても、ただ言うことを聞くしかなかった子供の頃に比べると、自分の意思が強くなってたりすると思います。

私は、つい先日、そういうのを実感する時が来まして、それが「もう周りと比べて頑張らなくて大丈夫」という認識に繋がり、その意識を自分に与えることが出来ました。まだ馴染んでないので「以前より少しマシになった程度」なんですけどねw


たどり着いたきっかけは、あることに気付いたことです。

それは、

比較しなくても素晴らしいから比較しないのではなく、比較しても素晴らしいのは変わらないから比較しなくていい、

ということ。


続きます。