わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

私だけ満足するのはいけないという思い

始まりはいつだったのか
きっかけはなんだったのか

私には
『私だけ満足するのはいけないこと』
という思いがあることに気が付いた。


例えば、
私は「コレ」があれば満足なんだけど
周りが「えーそれでいいの?」と言ったら

「周りは満足していないから」

それを選んだ自分は間違っているとか
それで満足してる自分はよくないんだとか

そんな風に思ってしまう。


私は、小さい頃から
周りの顔色をうかがう子供だった。

いつ空気が変わるかわからない、
そういう不安定な家庭で育ったから
自分のことより
「周りの空気、顔色、ご機嫌」
に敏感だった。

周りの満足が当たり前だった。

周りの機嫌を損ねないこと、
それが最優先事項で当たり前の子供で

おかげで自分の気持ちが分からなくなるくらい
自分の欲求は二の次三の次だったんだけど


それもいまにして思えば

『私だけ満足するのはいけないこと』

というこの観念が

そう感じることの出来る現象を
見事に引き寄せていたのではないかと
そう感じる。


『私だけ満足するのはいけないこと』

どういうわけか知らないけど
私には幼い頃から
その観念があったんだと思う。

だから私は、私の意思で
こうしたい、こうがいい、これがいいと決める事が出来なかった。
自分が満足するのはいけないことだと思っていたから、自分の気持ちは抑圧してきた。


だけど、私は少しずつ
最近は特に目覚ましく
『自分の気持ち』に主軸をおいて

何より誰より

『自分が満足するために』

動くようになってきた。

(もちろん周りとの兼ね合いは
それなりに気にしつつ)


今日も私は

☆自分が心地イイと感じる考え方をして

☆自分が納得できる在り方を選んで

☆自分が「したい」と思ったことをして

☆自分が欲しいと思ったものを吟味して買って

自分が満足するように、喜ぶように、
そこに意識を向けて過ごした。

昨日もそう。一昨日もそう。

自分に意識を向けて
過ごしたいように過ごしてあげる時間が
最近は急に増えた。


ここにきて
エゴがモヤモヤを出して抵抗してきた理由は
そこにあると感じる。

私が今している
「自分を満足させる過ごし方」は、
これまでと違いすぎて摩擦がおっきくて
エゴにはキツかったのだろう。


そしておそらく、これ以上続けることは
エゴにとって好ましくない。

でなかったら
抵抗なんて出す必要ないから。


このタイミングでモヤモヤが発動されたのは

『私だけが満足するのはいけないこと』

という観念に気づいて取り下げてしまう事や

『自分を満足させてあげること』

に慣れて、当たり前になっていく事を
エゴが妨害したかったからかもしれない。