わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

取り入れることは従うこと、ではない

例えば、何においても線引きや

感じることがそれぞれ異なるのは

それぞれに、それぞれの人生が

これまでにあった、ということ。


そこを一致させよう、理解し合おうと思ったら

それぞれの意見を出しあい、

それを自分の中に入れてあげる必要がある。


取り入れるというのは

そういう意見もあると受け入れることであり

決して『言いなりになる』ということではない。


取り入れる=それに従う、ではないから

『相手が優位に立つ』ということはないし

また同様に、自分の意見を聞いてもらうことは

相手を従わせることではないので

『自分が優位に立つ』ということもない。


それぞれに、それぞれの枠があって

その枠内で物事を見ている以上

そういう優劣はつきようがないのだ。


だけど、私もそうであったけど

取り入れること、つまり

そういう考え方もあるよなという見方を

1つ増やすということが出来ない人も

たくさんいる。


例えば、私は否定が強かったので

意見を言われると、否定されてる気がしたから

頑なに受け入れなかった。

言い訳したり、理屈こねたり

『なんであんたの言うことを聞かなきゃならないんだ』

そういう姿勢で、自分を守ってた。


でもそうすると

自分の枠って広がらないんだよね。


枠が小さかったり

枠の中にある選択肢が少なかったりすると

対応できないことがたくさん出てくる💦


『こういう言い方されたら嫌だろうな』

考えられない。

だから『何あの人』ってなる。


『相手に配慮しながら自分を大切にする』

方法が分からない。

だから『何も言えずにひたすら我慢』になる。


ちなみに私は

自分を大切にする方法が分からなくて

我慢を積み重ねた人。

すごく窮屈だった💦しんどかった💦

心の中では、自分の向きを変えたかったけど

カチコチに固まってて変えようがなかった。

『どうしたらいいのか分からない』


当たり前だ。

自分の枠の中に

自分以外から取り入れたものはなかった。

選択肢が非常に少ない状態では

せいぜいその一瞬

ハイテンションになることくらいしか出来ない。

でも、そんなのすぐエネルギー切れする。

無理矢理だから。


自分が向きを変える時は

顔だけじゃなく

体ごと変えないと無理がある。

一瞬は大丈夫でも、長くは続かない。


体ごと変えようと思ったら

自分の土台である枠に何かを取り入れること。

今の自分のまま精神論で頑張るというのには

限界があるのだ。


だから、本や会話で人の話を聞いて学び、

取り入れる。


取り入れるというのは、

選択肢の1つとして、

考え方の1つとして、

自分の枠の中に入れてあげるということ。


それを使うときが来れば使えばいい。

使わないなら置いておけばいい。

あまりに使わないなら捨てればいい。


人の意見を採用することは

相手を優位に立たせることでも

言いなりになることでも

自分を否定することでもない。


自分を楽にしてあげる方法や、

自分を幸せにしてあげる選択肢を増やすということ。


ただそれだけのことなのだ。