お局には、お局の枠がある。
私には、私の枠がある。
どの人にも枠があって
その中で生きているんだけど
その枠の中にあるものは
人それぞれ違う。
例えば、お局の枠の中に
「相手がどう思うか」という想像力は小さくある。
だから、自分の言動がどんなものか
考えることが出来ない。
でも、私の枠の中には
「相手がどう思うか」という想像力は大きくある。
だから、自分の言動がどんなものか
考えすぎるほど考えてしまう。
職歴もそう。
職歴が多い人を
ある人の枠の中では
「定着率が悪くて心配」といい、
ある人の枠の中では
「経験豊かで即戦力!」という。
枠の中にあるもの=自分の見方、在り方。
私たちは、日々の関わりの中で、
その枠を広げあっている。
相手と話して新しい考えを取り入れたり、
自分の考えを人に伝えたりしながら、
私たちは視野を広げてる。
いらないと感じる考えや認識を捨てて
自分に合う枠を新しく作る時もある。
いまの時期とか、特にそうだよね。
卒業や入学で、自分のこれまでから脱皮して
新しい土地や、新しい学校で
枠が大きくなっていく。
だけど、自分の枠を広げるのではなく
自分の枠に相手を合わせよう、などと守りに入ると
枠が広がらないんだよね。
そうすると、
例えば大人になっても小学生の枠のままで
いわゆる「小学生か!」っていわれるような人間が
出来上がる。
でもね。
生きてると何かしら経験するから
何回も脱皮するチャンスってくるんだよね。
合わなくなった靴を無理に履いてても
必ず脱ぐ時が来るように
「今のままでは窮屈だな」
と感じる時が必ず来る。
私も、かなり頑なで
中々枠を取り替えられなかった人なんだけど
思い返せば何回も
うまくいかないなって時があって
その時は枠を破壊するチャンスだったと思うんよね。
でも、ホントに頑なだったわたくし😅
少し亀裂を入れて楽になったからって
そのままその枠を使い続けてた。
そしたら、体調を崩して
全取っ替えしなきゃならなくなったんよね💦
うまくいかないな💧っていうのは
自分の中の制限を外す時。
それこそ、
自分の枠の中にあるものを新しくしたり
枠そのものを新しく取り替えたりする時。
生きてる限り
常に何かを感じている私たち。
いつまでも同じ枠の中にいることは出来ない。
新しいものを取り入れることや
新しい枠に取り替えることに
いつまでも抵抗していると
古い枠の中で押さえ付けられてた心が跳ね返って
私のように我慢が噴出
→どうにもならない程に体調を崩す
→全てを取り替えざるを得ない状態
になると思う。
かくいうお局も、大病をしたと聞いたが、
相手にも気持ちがあることを理解するきっかけには
ならなかったようだ。