わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

お局を通して理解したこと③✨~無理なものは無理~

お局は、自分の能力いっぱいのことをしていて、

更に、自分の能力に合わないことまでしている。


そこに気がついたわたくし。


例えば仕事。

お局は、非常に仕事はできる。

しかし、指導能力はない。

指導する立場にあるので

お局はお局の精一杯でそれをやってはいるが

そもそも

「どう言ったらいいか」

ということが、お局には考えられない。

だから、言葉も選べない、言い方もキツイ。


しかし、もうそれが精一杯なのだ。

何故ならお局は、

そう考える能力を持ち合わせていないから。


言葉選びが下手、高圧的な言い方をする、

『なんで一言を気を付けられないんだ?』

と周りが思っても、お局にはそもそも、

それを考える能力がない。

だから無理。

そこを考えるように求めることは

まだ歩けない子供に

歩くことを求めているようなもの。


無理。


能力以上の事を求めても

無理なものは無理なのだ。

分からないんだから。


といっても、

これは決して馬鹿にしてるわけではない。


Aという枠の中で生きてきたお局には

その枠から外れた考え方が出来ないだけ。

だから、本人は気付いていないんだよね。

自分の言葉の選び方、物の言い方、

不機嫌が声のトーンや雰囲気に出ていること、

その不機嫌が周りに与える負のエネルギーに

お局は気付いてない。

というより、気付けない。

自分の枠にないことだから。


その枠を変えることが出来るのは

その枠の中が窮屈になった時。


私だったら、体調を崩して

どうにもならなくなったあの時が

それまでの枠から外に出た時。


あくまでも本人は、

自分の精一杯をやっているということ。

私たちから見たら「おい!」と思うことでも

お局にはそれが分からない。

お局からしたら

精一杯やっているのに

何故か周りが離れていく、

うまくいかない、

そういう状態だろう。


多くの人は、大抵ここで

自分を客観的に見るとか

相手の立場を想像するとか

そういうことを実践して自分を改めていく。


「これはよくなかったな」

「こういう言葉は気を付けよう」

相手の反応や顔色などを見て、考えて、

変えていく。


けど、そういうことを学ぶ機会がなかったお局には

それが出来ない。

周りが全部悪いってなるだろう。

『私は十分やってるのに周りが分かってくれない』

そう感じれば、敵対心は募る一方だし、

分かって欲しい気持ちも強まる。

能力以上の事をしているから

常にフラストレーションも溜まってる。

それでもお局は

これまでのやり方を貫くしかない。


気の毒なことだ。

でも、仕方ないのだ。分からないのだから。


そんな人に

本来指導することなんて出来ないのに

人手不足なのかなんなのか

会社はそこを見抜けず

お局にそのような仕事を与えている。

長く勤めているとか、

何歳とか、そんなことは関係ないのだ。

持って生まれた能力、

育った環境、

家庭、学校、社会でのあれこれ。


会社がそういう能力を見抜けずに仕事を与えるから

おかしなことになる。


なんでも出来て当たり前ではないのだ。