わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

選択肢から選択する自由の保証

それぞれの枠に

それぞれの選択肢がある。

選択肢とは、対処方法のみならず

物の見方や捉え方も含むと思う。


私の場合は、

私の枠の大半に

ネガティブ思考がある。

だから何が起きても

否定的に捉えやすい。

『否定的に見ることを選択している』といえる。


引き寄せに絡めて言えば、

自分の感情が戻ってくるのだから

物事を否定的に見て、

マイナス思考に陥っていれば

またそうなる。


例えば

無視されたという時。

自分の枠に

プラス思考よりの選択肢が多いAさんは

「聞こえなかったのかな」

「機嫌かな」

で終わって、あとはもう考えない。

でも

マイナス思考よりの選択肢が多いBさんは

「嫌われてる」

「何か気に障ること言ったかな」

と気に病んで、

そこに攻撃思考が加わると

「無視しやがって!」

「許せない!」

という怒りに転じてくる。


自分の枠の中にあるものから何を選ぶか。

その自由は保証されている。


もし、マイナス思考よりの選択肢が多くて

それが嫌だと感じるならば

プラス思考よりの選択肢を増やせばいい。


それは私に保証された選択の自由であり、

そのままでいることもまた

私に保証された選択の自由だ。


私は、あるところまでは

頑なに枠を外さなかった。

でも、体調を崩してから

枠を変えた。

私を見ていた人の中には

もっと前から「こうすればいいのに」

と思ってた人もいるだろうし

覚えてはいないけど

それなりにヒントをくれた人もいると思う。

でも、私は聞く耳を持たなかった。

私の枠の中に

人の意見を聞くことはその人に従うこと、

という否定的な考え方があって

それを採用していたから。


枠の中から何を採用するのか。それは私の自由。

採用するものや、選択していることを変えるのは

周りの気持ちではなく、自分の気持ち。

意見を言われたから

採用しなきゃいけないってことはないし、

意見してあげたのに採用されなかったって

悲観的になることもない。


私たちは、個体。


それぞれに独立した枠がある。


その中で何を選ぶかは、私の自由。

そして、相手の自由でもあるということ。


先に経験していれば分かることがあるから

それを伝える、伝えない、それだって自由。


でも、聞く耳を持たない枠の時もあるし

それを聞き入れても

自分の状態やこれまでを加味して選ぶかどうかは

自分次第、相手次第。


どんなに小さい枠だとしても

相手はその枠の中で

一生懸命選択して生きている。

『非常識』と感じる言動をしていても

その人の今は、それが精一杯なのだ。

いつか枠を広げる時まで

その精一杯は続く。

相手を変えることは出来ない。


そして、それは私も同じ。

今の私の枠の中で、私は精一杯生きている。

その枠に何を残し、何を選んでいくかは

私次第。

だから、誰にも私を変えようがない。


何を選んでいくか、

それはお互いに保証された自由。


意見を与え与えられ、

その中で

聞き入れるも聞き入れないも、

採用するもしないも、

ただ置いておくだけも、

ほんとに全て自由。


私たちがすることは

その自由のもとで

私の枠の中に選択肢を増やしたり

時には枠を新しく作り替えたりしながら

選びたいものを選んで

精一杯生きることなんだと思う。


介入しない、されない。

枠が違う。

枠の中にある選択肢が違う。

私から見たことと

相手から見たことは違う。


選択の自由は、侵害されるものでも

侵害していいものでもないのだ。