仕事から帰ったら、
弟家族が夕飯を食べに来ていた。
私は疲れてた。
次の日も仕事だし、
早くごはん食べてお風呂に入って、
猫たちとごろんごろんしたかった。
なのに弟家族。
賑やかな盛りの甥と姪。
うるさい。落ち着かない。
私はすぐ買い物に出た。
音楽聞きながら涙が出た。
悲しかった。
あいつらと一緒に
ごはんなんか食べたくない。
同じ空間を共有するなんてしたくない。
“なんで私が孤独を感じないといけないの?”
そう思った。
血を吐くような思いをしながら、どん底から這い上がってきた私はまだ、心から幸せって笑える幸せを掴めていない。
それなのに、幸せな家族の中にいるのが嫌だった。
母親もロクなこと言わないし、
家族の中ではずっとピエロ的な役目をしていて辛かったっていうのも、家族というものの中にいたくない一因だと思う。
そうだな、私の中では家族というより
『家族ごっこに付き合ってた』に近い。
もうあの中にはいたくない。
私の中では、家族じゃない。
“本当に好きな人と一緒にいたい”
涙の理由が変わった。
居たくない中に無理して、自分を演じて居るんじゃなくて
飾らない私のまま、大好きな人と一緒にいたい。
私は、ずっとそう思ってた。
全然気付いてあげれてなかったけど。
そう思ったらさ、私ほんっとに長いこと
すっごく良く頑張ってきたなと思って(TT)
私の中では、本当はずっと
家族は『偽りの家族』だったんだよ。
偽りの私で頑張ってあの輪の中にいた。
本当はね、いつも居たくなかった。
辛かったよね(T^T)
嫌だった。
偽りの自分で居るってしんどいし。
本当は好きな人と、好きな私で、一緒に居たい。
ずっとそう思ってた。そう望んでた。
弟家族は、私のその隠れてた望みを刺激したんだね。
だから私は、一緒に居たくなかった。
悲しくて、孤独感も感じて、辛かった。
私は長いこと、
無理して “家族” という輪の中に居た。
無理していたこと、居たくなかったことに
やっと正面から向き合えた気がする。
だからこうして実感できるんだよね。
その輪の中に、無理してまで入ってない私になれたのもよく分かる😊
前だったら、絶対無理して食事してた。
偽りの自分を演じながら。
でも、そうしなかった。
外に出ることを選ぶことが出来た。
私は私に、嫌なことをさせなかった。
嫌だと感じる場所に長居させずに離れさせた。
自分の気持ちを優先してあげることが出来たんだ。
悲しかったけど
おかげで辛い思いをしてきたことも、
自分が本当に望んでいることも、よく分かった。
これも、叶ってる世界だからこそ。
受け取るためには
気付いておく必要があったんだと思う。
苦しいものがあったけど、
なんかスッキリしたし、良かった☺️