わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

否定は理にかなってない

昨日、嫌だなーと思う出来事があって、爆発しそうな怒りだったりなんだったり、まぁ色々感じたんよね。
でも、あまりに大きな怒りだったから
「あーもういいや!」
ってなった部分もあって、気持ちを早めに切り替えられたのも本当(^^)

ただ、引っ掛かってる事もないわけではなかったから、ネットで感じる気持ちの解消法を検索した。

これね、結構良い内観になるんだよね。

例えば、昨日感じてた気持ちのなかで
「勝ってないと自分の存在が消えそう」
っていうのが、割と強くあったんだけど

こういうのを思い付くまま
思ったままの言葉で検索かけるのね。

それで思う内容の記事が出てくることもあれば、
出てこないこともあるんだけど、

自分が読んでしっくり来る内容の記事を見つけるまで、ワードを変えて検索を繰り返すの。

すると、

「勝ってないと自分の存在が消えそう」

「優劣を気にする」
「負けるのが怖い」

「負けるのが悔しい」
「存在を消さないで欲しい」
「存在を忘れないで欲しい」

「張り合う、嫉妬」
「譲りたくない、とられたくない」
「ここにいることを図々しいと思われたくない」
「ここにいていいのか確かめたい」
「嫌われたくない」

などというように
繋がってるんだかいないんだか分からないけど

とにかく色んな気持ちが絡むようにして出てくる。

そして、

「あ、嫌われたくないと思って不安になってるから、嫌われてるのではないかと不安になるような
景色を見てたんだな」

ということを思い出したり

「目の前の景色は関係なく
私が決めたことが真実なんだった」とか

「叶ってる私だからこそ経験したんだな」とか

少しずつ整理がついたりする。


怒りなどのネガティブな渦から外れて
客観的になれるからなんだろうね。



今回色んな気持ちが出てきて思ったのは、

やっぱり自分の存在を他者評価ありきにしてるなってこと。根強いね~これ(^_^;)

でも、そういう自分を否定するのも
もう嫌なんだよね。


少し前、私の周りには
私を頭から否定する人が何人もいた。

その人たちは
多分本当に私のことを思って言ってくれたんだと思うけど

今の私はそう思ってるのにそれを肯定されず
そう思うに至った理由も知ろうとされず

頭から「それは違う」「それはこう考えなきゃ」と言われ、私はずいぶん悲しくなったし、

今ここにいる自分という存在を全否定された気がして、すごくすごく嫌な思いをしたのね。


でもそれは、やっぱり私が私をそのように
頭ごなしに否定していたからだと思う。


「こんな自分はダメ」
「こんなんじゃいけない、変えなくちゃ」

そんな風にたくさん思っていたから、
自分はダメなんだって感じさせられる出来事をたくさん見ていた。

私を否定してきた人達も、それを見せる為にいたと思う。


私は、もう否定したくない。

なんであれ、私はそのように思ってきて、
今そのように思ってるんだもん。

そういう自分を否定せずに受け入れてあげたい。



存在の許可を他者に求めて委ねるのは
相手ありき、現象ありきの行動。

いつまでも

【全て自分が創ってる】

っていう目線に立ちきれないんだよね。

創造の1ピースが、他者、周りにある状態だから。


それに

自分が勝って相手が認めてくれるから
自分はいても良いんだ、という考え方や、

自分を褒めてくれる人がいるから、
自分がここにいることは図々しいことや
ふてぶてしいことではないんだ、という考え方は

『ここにいる為には、相手の許可が必要』

『ここにいて良いかどうかは、
相手が認めてくれるかどうかによる』

という条件を強める考え方。


認めてもらうためには
ご機嫌を取らなきゃいけない私になるし、

私自身を認めてもらう為に、
周りに負けるわけにはいかなくなる。

周りは敵になる。

だって
「この人いらない」って言われることを
最も恐れているんだから。

その為には、人を下に見下したりもする。

自分の方が必要なんだってことを誇示するために。

少なくとも、あの人より自分はダメじゃないって納得することで、あの人がいるんだから私もいていいはずだって免罪符を得られる。

ただ、土台がないから不安は付きまとうし、
全然解決にはなってないんだけどね。

それでも、遠泳してる最中に流木の柱を見つけて、しばらく掴まって漂っていられるような、
そんな休憩にはなってたんだよ。

そのくらい、
存在に対する不安感っていうのは
エネルギーが大きい。

不安感そのものも大きいし、
ずーっと不安で気を張って周囲を見張ってるから、消耗するエネルギーもすごく大きい。

根幹に関わる状態で周りを敵視してるから、
周りに対する攻撃性も半端ない。

不安や恐れが大きいぶん、それを脅かすものに対する攻撃性はホントに大きくて強烈。

自分の存在に他者をからめてるから、
他者との境界線も普通にないし。


周りの存在はオーディエンス。

機嫌が悪くなったら自分のせいではないかと不安になる。
それは、周りの反応が私の評価にイコールだから。

評価に怯え、ご機嫌取りに動き、本来の私はその裏でどんどんくもっていく。


そんなことをすごく感じる。


ただ、これは本当に根深くて
『感じたから解決した』とはとても思えない。

他者と自分とをしっかり切り離して、
全ての力を私自身に取り戻したいと思う。

周りも現象。全て現象。

自分が生み出した現象なんかに

それらを生み出す大元である
『私という存在』の何を決められるというのか。

私という存在に対する評価やら価値やらなんやらを
自分の今の心以外に決められたくない。

委ねたくなんかない。


そんな自分のスタイルはもう終わりにしたい。


私という意識がここにあること。

意識をこうして与えられていること。

その私の存在を否定することなんて
誰にも出来ない。

私自身にも出来ないはずなんだ。

だって、こうして意識があるんだもん。

意識があることは消せない。

何故なら『意識を持つ価値がある者』として
意識を与えられているから。

意識があるから否定できる。

存在してるから否定できる。

『存在してる』のに消そうとするなんておかしい。

存在してるんだから、存在してればいいんだよ。

理にかなわないことはやめよう。


『全てあるから思い浮かぶ』のも同じ理由だと思う。あるんだから、否定なんかしなくていい。


否定することは出来ない。しなくていい。

あるんだから、いるんだから、思い浮かぶんだから、その感情を感じられるんだから、それで良いんだよね。