わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

常識や普通に思うこと③

母親に気に入られたい
見捨てられたくない

私が『常識や普通』を気にするのは
そういう思いがあったからだと思う。

私が誰よりも『常識や普通』に沿いたかったのは
母親との絆を切りたくなかったから。

いい子でいれば
普通の子でいれば
大丈夫。
生きてていい。

そう、
周りの常識や普通は
私にとって安全の指針だったのよね。
逸脱していなければ
私は大丈夫って言い聞かせてたと思う。

だけど
そうやって合わせ過ぎたから
防御服の方が強靭になっちゃって
心の成長を止めちゃったのね。

多くの人は思春期などで
親からもらったもの
親に合わせてきたものは脱ぎ捨てる。
心の成長に合ったものを選んで
身に付けていくのよね。
でも私は
安全の欲求が絶えず満たされていなくて
いつもギリギリだった。
親に合わせてきたものを脱ぎ捨てるわけには
どうしてもいかなかったのよ。
だって
常識や普通に頑張って沿ってるから
受け入れられてるって思ってたんだもの。
周りが普通としてるものに馴染んでるから
母親も見捨てないって思ってた。
どんなにキツくても
外すわけにはいかなかったのよね。

だけど
ホントはいつからか叫んでた。
「こんなの嫌だ、苦しい」って。

常識や普通なんかに沿いたくなかった。
その為にいつも私は
私の気持ちを犠牲にしていたから。

一方で
それは仕方ないことだと諦めもしていた。
私は悪い子だから
そうしなければならないとさえ思ってた。
それを普通にできない自分が子供だとか
悪いんだとか、否定しまくってた。
そうでも思わなければ
我慢なんか出来なかったから。

そうやって我慢して機嫌を取っておかないと
後々面倒だったしね。


いま思えば
ほんっとに
なんてワガママな母親だろうと思う。

私が自分の意思を通して
それで機嫌が悪くなるって何?

お前私と同列なのか?

母親だからって
子供の言うこと何でも聞いて
当たり前だとは思わない。

でも
あなたの思うところに従わなかったからって
一体なんだって言うの?


この人、昔から私に
張り合うところがあった。

女としてなんだろうか。
今でも服装とか
「どう?」とか聞いてくるけど
ぶっちゃけ娘がワイドパンツはいてるからって
あなた似合ってないから。
もっと身の丈に合った服にすればいいと思う。
お洒落とはちょっと違う。
だって本人に全然似合ってない。
自分を想って着てないからだろうなと思う。

なんとなくだけど
私が幸せになることや
周りに大切にされてることに
嫉妬してると思う。
自分だけが取り残されてるような
そんな感覚になるんじゃない?
だから、自分だけ取り残されないように
不機嫌で私を支配しようとしてたのよ。
私はその支配下
ご機嫌を損ねないように
秀でないように
『常識や普通』に沿って小さく生きてた。
それが
私が『常識や普通』に囚われてた
根本的な原因かもしれない。


母親は
私を支配していたからか
他の兄弟には割と寛大だった。

でも
私はもう母親のために生きるの止めるわ。

母親がどう思おうと
私には何の関係もない。

これまで私は
あの人に遠慮して小さく生きてきたけれど
もうあの人を置いて大きく生きてく。

自分の思った幸せを選んで生きていく。

取り残されたくないからといって
ご機嫌崩して思うようにしようなんて
何歳の子供?って感じだもんね。
もういい加減
私に甘えないで
自分の気持ちは自分で整えてくださいって感じ。


私は確かに母親に育ててもらったけれど
その何倍も母親の面倒を見て育ててたわ。

なんで私が保育してたのかしら。
なんで私がご機嫌とってたのかしら。

変な話。
もう要らないわね、そんな関係。

私は私。
大きく秀でて結構!
何言ってきても届かないくらい
輝いてやりましょ✨


そういえば私、
周りに嫉妬されてると感じることが
ちょくちょくあるのよね。
どうしてなのかと思ってたけど
身近な母親にそうされてると感じていたら
そりゃ周りもそうであるように
感じるんじゃないかと思ったわ。

まぁ羨ましいなら
羨ましがってれば?で流すけど。
もう周りのあれこれには
囚われたくないの。

私はもう
支配と感じるものは受けない。
『母親に従って当然』とか
『育ててもらったんだから大切に』とか
そういう常識や普通はそれこそいらない。
否定されたと感じた苦しみや苦痛は
とてつもないものだったから。

私がきちんと
自分の意思で生きて幸せを感じる時まで
すべての影響は捨て置かせて頂くわ。

誰かの常識や普通に囚われず、依存せず、
自分の意図に信頼を置いた人生を確立するぞ!!