わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

私の思う【現実と現象】

私が潜在意識について勉強し始めた後、
最もつまずいたのが

『目の前の現実は現実ではない』

という点。


これまで
目の前の景色=現実が全てだった私にとって、

『目の前の現実は現実ではない』
『内面が本当』
『内面の投影』

などという言葉はホントに意味不明だった。

なんとか理解しようとして、
現実だとか現象だとか、
色々と言葉を変えて検索して
たくさんのサイトを訪れたけど、
これはほんっとに分からなかった。
理解不能


それでも、理屈屋のわたくし。

自分を納得させる為に
何度も何度も記事を読んで考えた。

その中で

これまでは、目の前の景色を
《現実》と言っていたけれど

これを【現象】言うようになった。

『目の前の景色は、現実ではなく現象』

現象。何が現象として現れたのか。

『私の内面』

ということは【現実】は?

『私の内面』

目の前の現象関係なく
いま私が内面で意識してること、
これが【現実】である。


【現象】=目の前の景色は
【現実】=私の内面が投影されたもの。


そう、例えば学校で

嫌いな授業を受けていても
(これは目の前の景色なので現象)

晩御飯のことを考えることは出来る。
(これは内面で意識してることなので現実)

つまり、
目の前の景色がなんであれ、
それに関係ないことを
私たちは考えられるということ。

関係ないことを考えられるのは
いまの私の内面こそが真実だから。


私たちは
目の前の景色=現象がなんであれ、
内面=現実では
好きなものを好きなように選んで
それについて考えることが出来るということ。

【現象は後追い】。

私の内面=現実。

それが後追いで投影されたものが
目の前の景色=現象。


そんな風に理詰めで考えていくと、

『後追いで投影された目の前の景色に
とらわれてる場合か?』

っていう気になってきた。

私が見ているのは
かつての内面。

大切なのは
かつての自分より、いまの自分でしょ?

前に好きだったアイドルより
いま好きなアイドルを見た方が楽しいのと同じ。

例えかつては、
目の前の景色のような内面だったとしても、
だからといって、
今も同じじゃなきゃいけない事はないし、
いま好きなものを見たらそれでいい。


【現象】は後追い、目の前の景色。

【現実】は内面、いま私が意識してること


これらを繰り返すうちに、
あれだけ目の前の景色に明け渡していた主導権を、自分に取り戻すことが出来るようになってきた。

それでも現象には振り回されるけど、
その時間は段々と短くなり、最近ではほぼ反射的に
望むことに意識を向ける癖がついてきて、
嫌な気持ちを引きずることがホントに減った。

目の前の景色が
まだ望まないものであったとしても、
嫌な気持ちになってる時間が長くないから
それだけで心地よくて幸せだったりする。

そういえば
いつの間にやら
【現象化】にこだわらなくなった。

目の前の景色を変えなくても
幸せでいられるからだと思う。

前は、目の前の景色を変えないと
幸せを感じられないと思ってた。
急いで変えなきゃならないほど、
私の現実は酷いものだと思ってた。

でも違った。

現象(目の前の景色)と
現実(私のいまの内面)は別。

現象(目の前の景色)がどんなものであったとしても

現実(私のいまの内面)は私の自由。

なんでも選べる。好きに選べる。

目の前の景色を変えなくたって、
急いで変えなきゃ私は幸せじゃない!なんて宣言をしなくたって、

今すぐ幸せになることは出来る。

そしてそれは

【現象は後追い】
【いま感じてることが次に来る気持ち】

だから、

いまだけ幸せになってるようでいて、
実は次の瞬間の幸せを創ってることに
なるんよね。



こうやって改めてまとめると、
今この瞬間の自分の気持ち=現実って
すごく大事だなって実感するね。

不安や焦り、
そういう気持ちを感じちゃいけない訳じゃない。
ダメだって思うから蓋をしちゃう。

けど、不安や焦りも
自分が感じてる大事な気持ちなんよね。

見て見ぬふりしたり、
押さえつけたりするんじゃなくて、

自覚するからこそ
感じてることを変えることが出来るんだから
ちゃんと感じてあげること。

何がその不安や焦りを生み出してるのか向き合う、あるいはバッサリ断ち切ってしまう、

そうやって【現実】と向き合っていくから
反映である【現象】も変わっていくんだよね。


私も、もっと現実を大切にして
現象を楽しんでいこう。