わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

変わることに抵抗してるっぽい

さっきの記事で
私は決心がブレやすいから
それをしないぞって決めたんだけど

決心がブレる理由のひとつに
『変わることが怖い』っていうのが
あるんだろうなってことに気が付いた。

ハッとした気付きじゃないけど
心の奥底にじわりじわり
それがあるのが分かる。



私ね、変わらないのが好きなんだよ。
変わると落ち着かない。

なぜなら、私はいつも
周りの顔色を窺って
自分の在り方、立ち位置を決めてきたから。


周りが変わったら、私もその都度、
自分の立ち位置を省みなきゃいけないでしょ。
何かしら変えなきゃいけない。

相手が変わると私も変わる。
でも、相手が変わるのは不可抗力だから
それは仕方がないこと。

けど、私の変化は
起こさないことが出来るじゃない?
あれをすればこうなる、
ならば、あれをするのは止めておこう、
そうなっちゃう。
それは、私が変わると
相手も何かしら変わるから、
その相手に合わせて
また自分の立ち位置を定めたなきゃいけないから。

それが面倒だから
変わることは好きじゃない。

そんなことしなければいいのにって思うだろう。
私もそう思う。
でも、せずにはいられない。
何故ならそれは、
私にとって、身を守ることだったから。

いつ暗雲が立ち込めるか分からない、
そんな周囲の危険から自分を守る方法。
それは相手を観察して
機嫌を損ねないように、
暗雲が立ち込めないように、
配慮して動くこと。

それが、幼い日に私が見出だして
苦労して身に付けた策だったの。


周りが変われば
それに合わせて変えなきゃいけない。
自分の身を守るために。
でもそれは
すごく疲れるし大変なこと。

だから、何かが変わるっていうのは
私にとってはすごく危険。
それを自ら起こすっていうのは
出来れば避けたいことでしかないんよね。

そうは言っても、
私は幾度となく自分を変えたいと思ってきて
見てる世界も
もっと幸せなものにしたいと思ったから、
色々変えてきたのも本当。

観念、考え方、人との関わり方、色々。

でもその時は、軸が自分なんよね。
自分が望んでる変化で周りがどうなるかは
ほぼ気にしてない。
『私が変化することのなにが迷惑?』
くらいの気持ちでいる。
だから、
変化に伴う自分の立ち位置なんて気にしてない。

でも、そんな風に思える時もあれば、
思えない時もある。

そこまでの意思の強さや覚悟を持てない時は、
望んでることがあったとしても、
他人軸、他人目線で全てを考えてしまう。

自分が望んだ変化にも関わらず、
その変化によって周りがどのなるか、
その可能性のほうに意識を向けてしまい
『その後の自分の在り方』
などというものを探って考えて
結局変わること、行動することを
躊躇ってしまう。



私の変化が周りに及ぼす影響。

私が意見を口にしたら
ふてたようになる人が多かったので
私がやることは
周りの機嫌を損ねるのではないかと
恐れてきた部分も確かにある。

周りに暗雲が立ち込めた時、
周りの機嫌を取らなくてはと考えて
そのように動いてしまう理由も、
元を辿れば自分の言動に不安があって、
その思いが、
また不安になるような現実を連れてきている、
そういえると思う。

でも、理由はなんであれ

『相手が機嫌を損ねた場合
私はどのように振る舞うのが正解なのか』

そう考えることは
自分の身を守るためには、本当に不可欠だった。


変化があると、その度に
そういうことを考えなくてはいけなかったから
私はいつも変わらないこと、
恒常性を望んでる。


恒常性は安心。
顔色窺わなくて良い、
今のままで良いという安心がそこにはある。


私は、安心していたい。
変わらないことには安心がある。
でも、望んでいることがある。
現実を、その望むものに変えたい。

私は、どちらも望んでるんよね。

望んでいることが叶って変わることも
叶わない代わりに変わらないということも

どちらも望んでる。

だから
ものすごく拮抗するんだと思う。

どちらも望んでいるからこそブレる、
定まらない。


私は多分、
高波動で過ごしていれば
思うように変わっていくと分かってはいる。

けど、抵抗してる。

変わりたくないから。

どんな風になるか分からない。

どの私で振る舞ったらいいのか分からない。


変わりたい気持ちと同じくらい
変わりたくない気持ちも強い。

だから変わらない。


もっと、周りの顔色とか反応とか
無視して良いんだろうけどね。
自分のことだけ考えてたら
変わることで気にするのは自分のことだけ。
抵抗感も薄れそうなんだけどな。