わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

目の前のことに怒っても満たされない理由

先日お風呂に入っていた時に
漠然と思ったことをまとめられたのでので書くw

もう2~3日前になるのかなー。
その日の私は、怒りでいっぱいでございました💦

元々怒りっぽいところがあるわたくし。

些細なこと(と周りが思うようなこと)でも
過敏に反応して
一度イライラに火が着いたら
怒ることに疲れたり、
飽きたりしない限り消火は困難。
我ながら、いつも手をつけられない!
ってなるんだけど、
その日もまさにそんな感じだったんよね。

イライラに支配されると
まったくもってコントロール不能になる
厄介なわたくし。

こうなったらもう気分のままに出すしかない。

イライラを抑えようにも
あらゆることが刺激になってるから
とても出来ない。
感情を抑えると
抑えがきかなくなる時が来るっていうのも
知ってるから
お風呂場でも気持ちのままにイライラしてた。

でも、その時はもう
怒って何日も経ってたからかなぁ。

お風呂場での怒りは、
激しく怒り狂うというよりは
静かに文句をいう感じの怒り方に変わってた。

大体、私の怒りの初期は

『なんであーなんだ、こーなんだ、
こうしてくれればいいのにムカッ💢』
『あーもー何でこんなことするんだムカつく!!』

っていう風に、
気持ちのままストレートに飛び出すような
勢いのある怒り方をしてるんだけど、

ある程度落ち着くと

『もっとこうしてくれればいいのにブツブツ』
と一人で文句を言ったり

頭の中に誰か思い浮かべて
『こうだったんですよ。どう思います?』
と事情を説明するイメージングをしたり、
時には私の意見に(勝手に)同意してもらったりw

いくらか静かな、理性的な?怒り方に
変わるみたいなんよね。


その時のお風呂場でも、
この理性的な怒り方をしていた自覚はある。
頭の中に誰かを思い浮かべて、
何らかの話をしていた自覚はあるんだけど、
誰を浮かべてたのか、
何の話をしてたのか、
その辺は全く記憶にない。

だけど、逆に言ったら
そういう無意識状態が良かったのかな?

急に、ブツブツ怒ってるのに、ホントに急に
『目の前のことにいくら反応しても
満足するわけがない』
って思った。

目の前のことに反応して、
それを解決したところで
満たされるわけがない。

なぜなら、怒りは
目の前にある「現実」から生まれているのではなく
私の中にある何かから
怒りを感じる「現実」が生まれているから。

そう思った。


全ての始まりは『私自身』。

目の前のことは【内面の結果】。

だから、結果である目の前のソレに反応して
何らかの対応をして
ソレに対する怒りがおさまったとしても

【内面がそうである限り】
【現実は内面の投影】だから

本当には満足しないんだよね。

目の前のことへの対処も大事だろうけど
それよりも大事なのは
怒りというソレを生み出す
【内面のボス】をなんとかしてあげること。

例えば
私の中に大きな暗い穴があるとして
その上にブルーシート張ってるのが
普段だとするでしょ。
ブルーシートで隠してはいるけど
穴はあるんだよね。あいたままなの。
普段は隠してるし、場所も分かってるから
落ちることはないんだけど

風でシートがめくれるなどして
穴が垣間見えると(刺激)
否が応でも穴を自覚することになるから
「いつか落ちるかも」
とか考えるわけじゃん。(感情がわく)

その時に
「いつか落ちるかも」って気持ちに対処して
「大丈夫!落ちない落ちない」って納得するのも
大事だけど
穴があいてる限り、その気持ちはまた
沸き上がってくるんだから
本当に安心しようと思ったら
ブルーシートで隠したりしないで
その穴を埋めてしまうのが一番じゃん?

穴を埋めてしまえば
隠すものはなくなる。
シートは要らない。
シートがめくれることも当然ない。(刺激はない)
当然
「落ちるかも」なんて不安にもならない。(感情はわかない)


怒りはさ、
刺激される何かが私の中にあるから
起きてくるんだよね。

目の前の現実が怒りを生み出してるんじゃなくて
怒りが目の前の現実を生み出してるということ。


最近、私が特にキレたことを例にあげればw
不幸自慢大好きなおばさまに関してかな。

不幸自慢のおばさまに腹が立つということは、
このおばさまは、私にとって刺激なんよね。
私がブルーシートで覆ってる何かをめくる刺激なんよ。

じゃあ、私は一体
何をブルーシートで隠しているのか??

それはおそらく、
不幸自慢のおばさまが
不幸自慢をすることで手に入れているもの、利益。

たぶん
『人に気にかけてもらう』とか
『承認欲求』。

つまり私にも
『気にかけてもらいたい』
『認めてもらいたい』
『注目してもらいたい』
『凄いと言ってもらいたい』
そういう思いがあるってこと。

さすがに不幸自慢を手段にして
それらを得たいとは思わないけどね笑

でも、取る手段は違くても
根本にある思いはおんなじ。
『気にかけて欲しい』
『構って欲しい』。

私はどうしてその気持ちにシートをかけて
見て見ぬふりしちゃっているんだろうね?

『認めて欲しいなんて恥ずかしい』
って思ってるのかな?
『人に褒めて欲しくてやるなんて良くないことだ』
っていう思い込みでもあるのかな?
あるいは
『気にかけて欲しいなんて、そんな子供みたいなこと言って困らせてはいけない』
っていう決め事を持ってて
自分自身に課しているのかもしれない。


でもね、理由はなんであれ
それは確かにここ、私の心にあるものに違いないんだよ。

どんなに目の前のおばさまにイライラしても
そのイライラを発散しても
おばさまを理屈で受け入れたとしても

『私の気持ちが満たされない限り』

そういう【現実】が生まれてくるんだよ。


『何がその現実を生んでいるのか』ってことだよね。


目の前のことを生み出したのは何なのか。

自分の中にある何がその結果を見せているのか。


それを知ること、そこに対処すること、
それが大事なんだって思う。



うん、大丈夫。
やっぱり怒るとか気持ちが沈むとか
なんかあった後は、多少なりとも必ず
突き抜けるものがある 笑
分かっててもさ、
ガーッと怒る時もあると思う。
内面どうこうっていうのは
自分に原因があるから怒ってはいけないとか
自分が発端なんだから反応してはいけないとか
そいうのではなくて

理不尽だと感じれば怒るのは当然だし
ムカッとくるものはくるんだから仕方ないし

それを感じて吐き出すことは、
自分を守ることであったり
否定しないで大切にすることであったりするから
それはそれで大事だと思うんだけど

怒るって疲れるし、気分もよくないことじゃん?

だったら、
怒る現実を生み出すような、そんな大元なんて
さっさと取り除いて
噴火回数も時間も短くてすむように、
少なくてすむようにしていったらいいんじゃない?
って話だよね。


そうだよ。うん、ぼちぼちやってこ(*^^*)