わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

引き続き吐き出し中

昨日、家でちょっとしたトラブルがあった。
一言で言えば、大事なものが不注意のせいで使い物にならなくなった。
ほんの少し気を付けて見てれば防げたことなのに、うちの家族は何も思わず、それを全く見てなかったんだよね。
おかげで困った。

大事にしなくては、という私の意識と、なんとも思ってない家族の意識の差が明確になったと同時に、私が物事を深刻に考える性格をしてるのは、間違いなく家族の適当さから来てると確信した。


それが使い物にならなくなったと知った時、
「マジでふざけんなよ⚡」って私は思った。
芋づる式に
「ホント適当!」
「意識低すぎ!」
「なに考えてんだ!」
「浅い!最低!」
「クソガキ!(親に対してだけど)」
「ごめんね~なんて笑ってんじゃねー!!」
って気持ちが引っ張り出されてきた。

私は立腹しながらも、妙に冷静に『あーこういう気持ち確かに小さい頃から感じてた。これを吐き出す為に今回のゴタゴタは起きたんだな』と思ったんだけど、結構なことを幼いながらに溜め込んでたんだなってことを実感した。


私の親は、例えばそれを言ったらどうなるか、そういう僅かな先のことを読むことが出来なくて、感情のままというか本能のままというか、自分の思いだけで動く人たちだった。おかげで、子供であるこっちが親の動きに配慮したり、フォローしたり、合わせたりしなければならず、
「余計なこと言わないで!」
「ちゃんとして!」
「好き勝手しないで!」
などなど、親目線の気持ちを感じた記憶がたくさんある。

特に「ちゃんと」というフレーズがついた気持ちは多用していた。

「ちゃんと親らしくして!」
「ちゃんと綺麗にして!」
「これくらいちゃんとやって!」

ホントに親の言動に不満だったなぁとしみじみ思う。そういう親の、こちらを気にしない在り方に合わせる中で、嫌な思いたくさんした。我慢もした。「ちゃんと(親らしく)して欲しかったのにしてもらえなかった」
「おかげで私はやりたくない(精神的な親の親という)役目を果たす羽目になった」
➡ひどい、理不尽だ、不服だ、不満だ!

私の心には、そんな思いがきっとたくさん詰まってると思う。

いまの職場で、自分勝手に動く人がいて不快な思いをしてるのも、これらの気持ちを自覚して吐き出してなかったからかもしれない。

自分が、親にあれこれ譲らなければならなかったこと。その裏でたくさん我慢して、不快な思いをしてきたということ。

抑えていた不満、不服、理不尽だという思い
ズルイ、許せない、悔しいという思い
そのせいで楽しみにしていたことや、欲しかったものを手に入れるのを諦めてきた悲しいという思い

本当はあれもこれも譲りたくなかったし、我慢もしたくなかったんだよね。それでも、親の感情やご機嫌のために、楽しみにしていたことを諦めてきた。欲しいという気持ちを諦めてきた。その痛さ、辛さ、悲しさ。そして、自分の幸せを邪魔されたという思い。他ならぬ強い怒りを産み出していると思う。本当はこうしたかった、そういう気持ちがあったのに出来なかった、そのことへの怒り。

例えば、楽しみたかった。
楽しめたはずなのに、親の顔色を気にして楽しめなかったことがあるとか、自分本意な親たちがいらん事を言って険悪な雰囲気になったために楽しめなかったことがあるとか、自分の幸せや望みを他者の手で壊された、邪魔された、そんな経験と怒りが、たくさんあるんだと思う。

道理でね、何かにつけ「邪魔された」と感じるわけですよ。小さい頃から何かを諦めることが当たり前で、その裏でいつも「邪魔される」「自分の思うことは優先してもらえない」って思ってきたんだもん。

そりゃね、根付きますよ。
そんな風に思うな、感じるなってほうが無理な話。

私はいつも、私が感じたい気持ちを感じることや、やりたいことをやる機会を邪魔されてきた。
もうね、誰がなんと言おうと、それが全てですよ。
その中で私は、ずっと言えなかったけど「邪魔しないで」って本音を、ずっと抱えてきたんだよね。

邪魔しないで、手を出さないで、それをしないで、私がやりたい、それが欲しい、そういう風にはしたくない、こうしたい、これがいい、こっちがいい。

たくさんの言えなかった気持ちたちが、私の中にはホントにたくさんいるんだ。

その時々のリラックス法では一時しのぎにしかならなくて、何回も不機嫌を繰り返してきた理由が良くわかる。本当にたくさんの、叶えてあげられなかった思いや欲求でいっぱいだもの。

どうしたら浄化させてあげられるんだろう。