わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

邪魔されてるという思い

この間、自分がすごく「邪魔をされてる」と思ってることに気が付いた。

それは最初、とても些細な気持ちだった。
仕事において、やりたい役割があったんだけど、他の人がいつもその役割のところにいるから出来ないってことが続いてた。いつもその人が率先してやっているから、やりたいと言うのが悪い気がして我慢してた。だけど、この時はまだ微塵も「邪魔をされてる」なんてことは思ってなかった。

でも、そのやりたいことが出来ない、やりたいと言えないってことが続いたある日。
偶然その「やりたい」と思ってたことが出来る機会があって、しかも丁度、話したいなーと思ってた人がそのタイミングで来てくれたから「関わることが出来た、ラッキー♪」って思ったんだけど、
その話したいなと思ってた人が、その用件以外のことで声をかけてくれたから、それに対応しようとしたら、横から別の人がスッと出て来て、その人と話すことが出来なかったんだよね。話すチャンスだったのにそれを奪われて、その時初めて『邪魔をされた』って気持ちを強く認識した。

そしたら芋づる式に『いつも邪魔をされる』って気持ちが出てきた。

『いつも』ってことは、今回話すチャンスを奪われたことに限らず、無意識では別の時にも『邪魔をされた』って思ってたってこと。
だから、そのまま『邪魔をされる』って気持ちに意識を向けてみた。
そしたら出てくる出てくる💦
たくさんの『邪魔をされた』という思い。

あの時も、あの時も、自分のタイミングが悪いというより、邪魔をされたと感じていたことに気が付いた。自己評価が低かった時は、何があっても『自分が悪い』と思っていたから、そういう『誰かが悪い』という気持ちは、感じてはいけないものになってたんだと思う。

でも今『邪魔されたと感じた自分の気持ち』をハッキリ認識した。

私は、私がやりたいことを
『いつも邪魔されていた』。

ただ、確かに親だったり、仕事においてはいつもそのポジションにつく人だったり、スムーズに進まないというか、弊害を感じてはいるんだけど、
結局自分が周りの目を気にして遠慮したことが、結果的に『邪魔された』『妨害された』と感じることに繋がっていたりして、
やっぱり【現実は内面の投影】というか、
自分の邪魔をしていたのは自分なんじゃないか、という風に思い始めた。

邪魔してると感じる行動をするその人が悪いのではなくて、私が私の思いをバカにしたり、望みを後回しにしたり、遠慮したりして行動しないから、
『望むようにならない』=『邪魔されてる』と感じる現実を周りの人が作ってくれてるというか、そういう風に感じる出来事を見ることになってたんだと思う。

本来なら、私の邪魔をすることは誰にもできないし、私自身にも私の行く手を阻むことは出来ない。

望むものは既にあるから望むことが出来る。
それを得る邪魔は、誰にもできない。

その意識が私にはなかった。
私の望みが叶うのは『誰かの手によるもの』で、他の誰かや何かの支配下というか、世界の気分によるものだと思ってた。

でも違う。全ては私なんだよね。
私が私の邪魔をしてる。

だから『邪魔をされた』と感じるものを見るし、自分の望みが叶うのを『誰かの言動次第』にしてるから、なおのことスムーズにいかない。

もっともっと、自分の気持ち、自分の存在を優先していこう。それはもちろん、誰かをけなしたり、見下したりすることではなく、誰が何してようと、今の自分に意識を向けてあげるということ。

周りじゃなくて自分にもっと意識を向けていこう。