わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

痛さから気付いたこと💦💦

あまりの痛さに悶絶するほど痔が痛くて💦💦

何で急に?! って思って検索かけてたら
スピリチュアル的には
【忙しい、強情】な時に痔になるんだそうで。

確かに最近めっちゃ忙しかったから
思い当たらないことがないわけではないんだけど

それよりもしっくり来たのは

【過去を引きずっている】
【恨みつらみがある】
【怒りがある】

っていう意味のほう。

親兄弟に怒り狂ってる今の私そのまんまじゃない?って思ったんだよね(^^;

元々便秘がちで、下痢もしやすかったから
若い頃から痔の気はあったんだけど
今回は突然の違和感からの激しい痛みだったから
「いよいよ病院か?!」って覚悟した(^^;

でも、日中仕事で、病院に行けなくて
その時に思ったのが
「これだって私の何かが
現象化したものなんだよな」
ってことだった。

親兄弟への怒りや
自分がこれまでしてきたことへの後悔。

直近でもかなり、親兄弟への怒りはもちろん、
自分がとってきた言動への後悔も半端ないんだよね。

「ああしなければよかった」
「こうしなければよかった」
「あの時こうしていればうまくいってたのに」
「こんな思いしなかったのに」
「なかったことにしたい」
「取り消したい」

過去のある一瞬を起点にして
ホントにずーっと後悔してるんだよね。
それも同時に複数のことを。
1つは中学生の頃のことだったり
1つは3年前のことだったり
そうやって複数の過去を根にもって、引きずって、
ずーっと後悔してきた。

そういう手放せない感情の数々が鬱積して
今回の痔の症状なんだって考えたら

もちろん食生活うんぬんもあるんだろうけど
すごく納得するものがあった。

っていうか
今回このヒドイ痛みを感じて調べたことで
そういう感情の鬱積のひどさに
気付かされた気がする。

改めて考えてみて、過去にとらわれてるの
自分が思ってた以上だったって思ったんだよね。
あの時だったり、あの時だったり、
ホントにあらゆる消化しきれてない過去が
私の中に残ってて

その時に自分が取った言動を
恥ずかしいと思ったり
悔やしいと思ったり
情けないと思ったり


きっとずっと自分のこと責めてるんだよね(>_<)


過去って、過ぎ去ったことって書くけど
私の中では過ぎ去ってなくて
何度も何度も心の中でリプレイしてやり直してる。
そして、その度に
「その時に、いま思ってるような言動をとれなかったこと」を感じて
そういう言動を取れなかった自分のことを
「バカだった」「愚かだった」「情けない」って
責め続けてるんだと思う。

何気なくしていたから、
こんな深く考えたことなかったけど
無茶苦茶だね、私...

ホントは悔しかったのに
そう感じることを我慢してた。

本当はこうしたいって思ってたし、
こうするのがいいって分かってたのに
自己評価が低くて、周りの目を気にして
そうすることが出来なかった。

思ってた風に出来なくて
間の抜けた言動になっちゃったり
本当はそれじゃないものが欲しかったのに
ズレたもので手を打つしかなくなっちゃったり

ホントにいつもいつも
納得できない結果ばかりだった。
消化不良だった。

本心とは違う言動をとる自分のことを
本当はめちゃくちゃ嫌いだったし
望んでることと違う結果を手にすることが
本当はめちゃくちゃ悔しかった。

そういう自分の
状態が
本当はずっと悲しかった。

こうしたらいいって分かってたし
こうしたいって気持ちにも気付いてたのに
誤魔化した。嘘ついた。

そうするうちに段々と
本当に自分の気持ちが分からなくなってしまって

自分の気持ちが分からない私に『私』はいないから
何もかも全部が周り基準になってしまって
結局振り回されるはめになって

悪循環だったと思う。

やりたいこと、やったらいいこと、
そういうのが分かってたからこそ
余計悔しかったんだよね。
こうしたらいい、こうしたい、
そういうのが分かってたのに従わなくて
結果辛い思いをすることになってしまったから。

だから、私から自己評価を奪った家庭、
思うような言動をとる自由を奪った家族に対して
半端なく強くて大きい怒りを感じてるんだと思う。



だけど、ここまで書いてて気付いたんだけど
私の言動って結構、昔は鋭かったんだよね。
尖ってた。

考え基準が全部自分でね、それこそ
いま私が立腹してる親兄弟くらいに身勝手だった。

自分の気持ちには敏感だったけど
人の気持ちに鈍かったんだよね。
いまと真逆(^^;


家庭で道化師をしていたストレス、
そういう感情の発散方法も分からなかったから
八つ当たりをよくしていたし
関わる友達も気分でコロコロ変えてて

精神的余裕によって
1日1日が大きく異なってた。

自分の思うように出来ないストレスからかな。
周りを、自分の思うようにコントロールしたい
気持ちも強かった。

自分が自分の思うように動けなかったから
『周りに、自分の思うように動いてもらって』
自分の思う状態にしたかったんだよね。
無茶だけど(^^;


でも、そういう勝手な人って扱いにくいじゃない?
集団生活に染まるために
自分を放り投げるしかなくなったんだよね。

家庭だけじゃなく、学校生活でも、社会生活でも
自分を無視して、気を張り続ける私になった。

そうしているうちに
今度は『自分』が全くなくなってしまった。
折り合いの付け方が分からなくて
極端だったんだよね(>_<)
バランスが取れなかった。


だけど、両極を経験して
今はバランスが取れてきている。


過去、ああすればよかったって思うポイントは
たくさんあるけど

これらがなかったら

私は未だに

自分か他人か
どちらか一方に傾き続ける私だったんじゃ
ないかなって思う。


そう考えたら、やっぱ完璧?
悔やむことないのかもしれないよね。
責める必要なんてないのかも。

何故なら全てが必要なことだったから。

恥ずかしい、悔しい、消し去りたい。
そういう思いをしたから、バランスがとれる私に
なったんだもんね。

かつては親兄弟と同じ、
周りに配慮できない性格だったけど
多くのことを経験した私は
自分を大切にすることと
周りに配慮することとが
平行して出来る私になったんだ。


感じたことをなくすことは出来ないけど
それに対する捉え方は、これから変えることが
出来る。


もっともっと
自分のこれまでを肯定的に考えてみよう。