わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

現象化なんてどーでも?!?!

私はすごく現象にこだわる人だった。

目に見える形で確証が欲しかった。


「こう考えたらどうだ?! 現象変わるかな?!」


私はいつもそんな感じで

常に現象を見張ってる人だった。


潜在意識を勉強してると

「手放せ」ってよく聞くけど

「現象なんてどうでもいい」なんて

そんなことを考えてしまったら

現象化しない気がしてた。


だからいつも

「もういい」って思いつつも

いまひとつ思いきることが出来なかった。


だけど、もうどーでもいいって

本当に思うに至った。

現象化なんて、本当にどうでもいい。

でもそれは

「諦めた」などとは違う感覚。

投げやりな感じでもなくて

単純に

『興味が薄れた』というのかな。


興味がなくなった雑誌って

もう読まないじゃない?

テレビを見ていても

つまらないと感じたら

もう見ないじゃない?

そんな感じ。


かといって

現象を見ることを

「つまらない」と思ってるわけではない。

そういうジャッジすらない。

「現象が変わる」「変わらない」

そういうのも気にしてない。


目の前の景色は

単純にそこにあるだけ。

それが今の感覚。


目の前の景色がどんなものであろうと

私はいま、自分の力で

自分を幸せにすることが出来る。

『現象がこうだから幸せ』ではなくて

現象がなんであろうと幸せになっていいのよね。


現象を理由にして

いま幸せになることを選んでないのは何故?


幸せを感じることって

現象に関係なく出来ることなんだよね。


私、父親の通夜の晩でも、

スマホで潜在意識について調べてたの。

現象だけを見ていたら

通夜の晩にそんなこと出来ないでしょ。

不謹慎かなーとも思うし(^^;


でも私は、辛いとか、苦しいとか

そういうのは一旦脇に置いて

潜在意識について調べることを

あの時選んだ。

たくさんの達人の言葉を読んでる最中のことで

時間がいくらあっても足りないと

感じていた時だったし

辛い、苦しいという思いから

現実逃避していたといえばそうなんだけど

こうして振り返ってみれば

“内面の決定が全て” っていうのを証明してるよね。


現象がどうであろうと

その時にやること、感じることは

私自身で選べるってこと。


っていっても、

今日までよく分からなかったし

出来てもいなかったけど笑


番犬のように現象を見張ることで

私は常にいまの自分を疎かにして

幸せを感じる事を門前払いしてたと思う。


今となっては

そうやって気を張って現象を見張っている間に

美味しいご飯を一口

ゆっくり味わうことを楽しんだほうが

よほど良かったなって気がするわ(^^)