わたくしなりの毎日

これがわたくしなり(^^)ということで、私だから思うことや感じることを、毎日ゆるゆる綴っていきます。

気付きと腹痛と新たな気付き

"満たされたかった"

かつて抱いていたその気持ちに
今もとらわれていることに気が付いたわたくし。

【目の前の景色は後追い】

そのことが、他の事には適応できていても、
何故かその『満たされたかった』っていう思いに
関しては、適応されてなかった事にも気が付いた。


それから数時間後のこと。

じわじわとお腹が痛くなってきた。

昼も夜も結構食べたから
多少お腹が痛くなっても不思議はなかったけど

「それにしてもこの鈍痛は、
いつものお通じの腹痛とは違う」

そう思った。


前から度々あったんだけど

何かに気が付いたあと、それも、
核に触れるような大きな何かに気付いた後、
お腹が痛くなるんだよね、私。

痛みの感じからし
これはきっとそうだと思った。


例えとして書いても分からないかもだけど、

痛みは
生理の時に来る鈍痛に似ていて、
波の起こり方は
便秘が解消される時のそれに似てる。

最初は鈍くて
「痛いのかな?痛いかも」
程度にしか思わないんだけど、

ある時きゅーっとなってきて
段々耐えがたくなってきて
トイレに駆け込む感じ。

後はもう、痛みが引くまで耐えるしかない(>_<)


最近はないけど、以前便秘だった時は、
栓をしているそれを出すまで
鈍痛→きゅーってなる→耐えがたくなる、
この痛みのパターンを繰り返してた。

これが来たらもう、出すものを出しきるまで
どうしようもない orz


ちなみに今回は就寝前に来たけど、
この痛みは夜中に来ることが多い。

大体寝てから1時間後とかに鈍い痛みで目を覚ます。

ウトウトしてるうちに痛みが強くなってきて、
耐えられるところまで耐えたらトイレ💦

トイレでも耐えて、やっと出れたと思ったら
しばらくして第2弾がやってくる💦💦

ほぼ寝ぼけてるから余計しんどい(>_<)
リラックスしてる時に起きやすいのかな...😅


ただ、本当に便秘だったり、生理が近かったり、
ちょっと暴飲暴食って時もあるからね。
気付きがあったからこの腹痛とは決められないかもだけど、

でも
例え暴飲暴食からの腹痛だったとしても、
それを利用して、内側に溜まってるものを外に出そうとしてることに、変わりはないと思うんだよね。

内側に溜まってるものを出す為に
暴飲暴食してるとさえ言えるかもしれない。

それくらい、何かを出すことと腹痛は
関係があると思ってる。

今回だったら、過去

「こうしたかった」
「こうされたかった」
「こう在りたかった」

そう思ってた、満たされなかった気持ちや、叶える事が出来なかった本当の思いに気付いたでしょ。

その時、その気持ちに伴ってた悲しさや悔しさ、
辛さやもどかしさにもスポットが当たってる。

そういう諸々を、精神的にだけじゃなく、
肉体的にも外に出してるんじゃないかなと思う。

心と体は繋がってるって言うからね。


「本当はこうが良かった」
「本当はこう在りたかった」
その気持ちは、
「あの時こうしてれば」
っていう後悔をずっと引きずってるのと同じ。

私の一部は、まだかつてのあの頃の、
あの時間に留まってるんだと思った。
こだわってる。手放せない。

けど、そこにこだわることは、
その選択や経験を経て辿り着いたいまの自分のことを、真っ向から否定してるのと同じだと思う。

『あの時こうしてれば、今のようにはなっていなかった』ってことでしょ。

それはつまり
今のようにはなりたくなかった、ということ。

本当には、いまの自分を受け入れられていない。

満たされなかったあの頃の自分。
叶えたかったのに叶えられなかった自分。
手に入れたかったのに、手にする事が出来なかったもの。
味わいたかったのに、味わうことが出来なかった気持ち。

必死だったのに叶えられなかった。
一生懸命だったのに報われなかった。

そういうたくさんの不満を経てのいまの自分。

どこか二番煎じで我慢してるような、
惨めで切ない感じがあったと思う。

本当の本当には、それが一番ほしかったんよね。
だからこだわってたし、たくさん頑張りもした。

でも、未だにそれが叶っていないのは
【叶っていない私】があまりに強すぎて
その立ち位置から外れられなかったからだと思う。

【現象に対して何かをする自分】から
抜け出すことが出来てなかった。

他の事柄はともかく、かつて願ってた事に関しては
イメージングしても欠乏感が強すぎる。
だからまた【欠乏感】を感じる現象が来る。


満たされたい。満たされたかった。満たしてほしかった。
こうなりたい。こう在りたい。こう言われたかった。

そういう強い気持ちにも
一気にスポットが当たったんだろうな。
だから、浮かび上がってきたそれらを出すことと
腹痛とが、急激に関連したんだと思う。


それにしても、かつての願いに絡まってる
【欠乏感】
ホントに滅茶苦茶しつこいというか、
ねじれてる。ひねくれてる。

【欠乏感】からスタートした願いは
本当にどんどん【欠乏感】を引き寄せるのね。
ガッカリだとか、ショックだとか、
そんなのばっかり見てきたってしみじみ思う。


あの頃、願いを叶えることが出来なかった自分。
そのことが《いまの私》を否定しているとしたら
それはいまの私に流れてくるはずの幸せを
塞き止めているんでしょうね。

だって、幸せ感じちゃったら
『これで良かった』って本心から思っちゃったら、

あれだけ『叶えたい』って必死になってた自分が
馬鹿みたいじゃない?
『これで良かった』ってことは
『叶わなくて良かった』って事とイコールでしょ。
いまの自分のこの状態を
『これで良かった』って肯定しちゃったら、
一生懸命だったあの頃の自分はどうなるの?
叶わなかった上に否定までしちゃったら、
それこそ報われないじゃない?

例え、必死にならなくて良かった、
頑張らなくて良かった、
一生懸命だったからこそ叶わなかったんだ、
そんな言葉を言われたとしても、
あの頃の私はそうするしか出来なかったんだもの。

叶えられなかった、報われなかった、
やり方も考え方も全て間違ってた、
それなのに
『でもそれで良かったんだ』って言われたら...
立場ないよね、私。


昔に比べたら、今の方が断然幸せって本当に思ってるけど、それでも、今の私が手にしている幸せは
あの頃の自分を否定しない程度の幸せなんじゃないかって、そう思えてきた。
本当はもっと受け取れるのに、かつての自分を否定しないで済む程度のものしか、許可してない気がする。

いまの自分を完全に肯定することのないように
幸せを制限してるかもしれない。
もしかしたら、受けとる幸せをセーブする為に、
私はあの頃叶えたかったことに未だこれ程こだわってるのかも。

『これを叶えるまでは幸せになってはいけない』
『これを叶えてこそ幸せなんだ』

そう思ってる気がする。